ジムノぺディアというバンドを御存知だろうか? 1983年結成、そして80年代半ばから90年代初頭にかけてのインディーズ・シーンで凄まじい人気と実力を誇ったバンドだが、そんな事より何よりとにかくその楽曲が、そして佇まいが素晴らしいバンドだった。パンクロックのクールかつニヒルな視点で綴られる歌は、危険を孕み、闇にまみれている。それでいてロックンロールの痛快な魅力を最大限発揮。ダークにしてアグレッシヴにして大ポップ。極めて華のあるそのサウンドに、当時のパンクスたちは軒並みノックアウトされたものだった。
そのジムノぺディアが、下北沢シェルターの20周年イヤーを祝うべく、ここに一夜の復活ライヴを敢行する運びとなり、さらには彼らの初期作品、キャプテン・レコードからリリースされたのべ3枚のアルバム+αが、『ロスト・チャイルド〜キャプテン・イヤーズ・アンド・モア』という2枚組大容量の復刻盤となって新たにリリースされる運びとなったのだ! また、宙也、ヤマジカズヒデ、モスキート・スパイラルらがジムノの名曲を片っ端からカヴァーする初のトリビュート・アルバムも進行中であり、そしても一つ加えてジムノぺディアの要、Vo&G.ヒデタカの現在のバンドであるメタルピルも、4thアルバム『セックス・モンゴロイド』を遂にリリース!! というわけで、この盛り沢山状態を機に、ジムノを知らんという若い皆さま、というかもう誰も彼もに推しまくるべく、そのヒデタカに登場して頂き、当時から現在に至るまでを激しく聞き倒したので、読んで下さい。お願いします!(interview:中込智子)
1983年、ジムノぺディア結成
── 私がジムノぺディアをはじめて知ったのは86年なんですが、とにかく音源を聴いて一発でファンになったんですよ。凄いバンドが出てきたと、攻撃的&挑発的でありながらもポップかつキャッチーで、しかも極めて独創的。ヒデタカさんの声にもド真ん中でヤられました。ということで、まずはそのジムノぺディアの結成から順を追って聞いていきたいのですが。
うん。はじめてライヴハウスで演ったのは17才の時で、それがジムノぺディアだったんだよね。確か結成が83年、初ライヴは84年だったと思う。R&Rバンドがやりたかったんだけど、当時のシーンで凄く影響を受けたのがパンク・ロックだったんで、パンク・シーンの中でR&Rバンドをやりたいなっていう感じでスタートしたんですよ
── 結成当初から明確なビジョンがあった。そして83年というと、日本ではハードコアを中心としたパンクロック、インディーズ・ロックのムーヴメントが起こりはじめていた時期でもある。ちなみにその頃好きだったバンド、影響を受けたバンドというと、どんな名前が上がります?
最初に好きになったのは、中学の頃に出会ったRCサクセションだね。で、当時同じ中学にパンクをやってるヤツがいて、そいつに誘われてパンクバンドを一緒にやるようになったんだけど、その時にはじめてスターリンとか、アナーキーとか、ガーゼを知って、コピーしたりしてたんですよ。で、もともとRCが好きだった流れからストリート・スライダースとかルースターズも好きだったんで、そこでR&Rとパンクっていう発想になってった
── なるほど、それでその2つが自然にクロスオーヴァーしちゃったんですね。ジムノぺディアのサウンドは、当時かなり斬新な響きを持っていたわけですが、こうして改めて聞くとすごく納得です。で、中学生のコピーバンドからはじまって、高校2年あたりでジムノぺディアを始め。
うん。その頃になると、とにかくもうインディー少年だったんで(笑)、レコード屋さんに通って自主盤を聴きまくる日々だったな。下北沢の五番街によく行ってましたね
── ああー。83〜84年辺りだと、月にリリースされる自主盤はせいぜい10〜20枚程度でしたし、当時は安価なソノシートやカセット、EP等が多かったですから、リリースされたものを全部チェックすることもまだ可能な頃でしたよね。
そうそう、そうなんです
── ちなみにその頃購入したもので、印象深いものと言うとどんなものがありますか?
やっぱり、E.D.P.S.。すごく衝撃的だった。元から結構ノイジーな、歪んだ音が好きだったんだけど、E.D.P.S. はノイジーだけどもしっかりロックっていうか、リズムが凄くタイトで、当時はもう『金でこんなものが買えちゃうんだ!』って感動したね。ほんともう、理想の音だった。あと、こういうバンドをやりたい! って思ったのは、バトル・ロッカーズ
── 映画『爆裂都市/バースト・シティー』に登場した、ロッカーズとルースターズの混成バンドですね。ってEDPSと全然違うじゃないですか! いや、私も両方好きですが(笑)。
バトル・ロッカーズは大江慎也のコーラスがメッチャかっこいいんだよね〜
── はははは。でもジムノぺディアの音は、その両者とは別に似てないですよ。
だね(笑)。当時は、やっぱり、歌をちゃんと歌いたかったっていうのがあったから。当時のパンクやハードコアは、歌というよりボイス的なものが主流だったと思うけど、パンクでも、メロディーのちゃんとある歌を歌っていきたいというのがあって、そういうところから徐々に自分達の音が出来上がっていったんだと思う
攻撃的なパンクでありながら、軽快なロックンロール
── なるほど。私がはじめてジムノぺディアの存在を知ったのは、初音源となる1stソノシートの"GYMNOPEDIA"なんですが、確かに痛いほど攻撃的なパンクでありながら、同時に軽快なロックンロールであり、さらにメロディーが非常に際立っていたのが印象的で、本当にもう何回も何回も聴きまくったものです。で、これが86年のリリース。結成からはちょっと間が開いてますよね?
ソノシートを作ったのは19才か、20才の時だったんだけど、その間に一回、悩んだというか。もともと僕は音楽を聴くのがすごく好きだったんで、自分でバンドを本格的にやっちゃったら、純粋に音楽を聴けなくなるんじゃないか? って真面目に考え込んじゃった時期があって
── ええ!? あ、そうか、何かカッコイイ曲を聴いても、「カッコイイ!」と感動する前に「この曲の構成はああでこうで」と分析する方向にいっちゃいそうとか。
そうそう。そういうことを真面目に考えちゃったんだよね。で、もしそうなったら、純粋に音楽を聴けなくなったら、楽しみが減っちゃうわけじゃないですか。それとあと、遊びたいっていうのもあったんですよ。性格的に、自分でバンドを本格的にやりだしたらもう、真面目にバンドだけをやっちゃうだろうことは想像ついてたんで、もうちょい遊びたいなと(笑)
── まだ高校生ですしね、ってどんな高校生だよそれ(笑)。とにかくヒデタカさんはかなり一本気なところがあり、何かを始めるとそこに一点集中になる傾向があった。
そうそう。でも、(いざ遊んでても)すっごくつまんなくて
── 何が?
何もかもが(笑)。もう何もかもタイクツで、『バンドやるしかねえな』と。俺、すっごくタイクツ性で、タイクツするとすごくイライラして頭がボーッとなってくるんすよ。で、精神衛生上よくないなと思って
── それで、バンドを本格的に始める決意をした。また、その辺の独特のイライラ感は最初の作品にリアルに反映されている気がします。そしてジムノぺディアは『乱痴気2』等のオムニバス作品に参加し、『CHINESE ROSE』『FREEJEIL』の2枚の12インチシングルを次々とリリースしていきました。
やっぱり、ソノシートを出したことで、聴いたって言って話し掛けてくれる人が増えたんですよ。あと、ライヴハウスにもしょっちゅう通ってたんで、そういうところで仲良くなる人も増えてきて
── 例えば?
んー、良太くん(ジグヘッド)とか。まだPOGOをやる前、THE305の頃だと思うんだけど、確か渋谷のライヴインにコンチネンタル・キッズを見に行った時、隣にいたのが良太くんで、それで話すようになったりね。あと、西荻ワッツでライヴをやり出すようになってからは、ストラットとかビリー・ザ・キャップスとかとも一緒にやるようになって
── ああ、その辺ってジムノと同期バンドのイメージが凄くあります。あと16TONSとかアレックスとか、いわゆる当時のサイコビリー系バンド。
ですね、あと当時のスキンズ、アングリー・ダックス(Vo.は現在の鉄槌)とか。ワイアッツとか、CHU毒とか、つれづれ草とかもそうだね。で、新宿ロフトはストラットの企画で初めて出て、そっからジムノぺディアも出させてもらうようになったんですよ
── 好きだったバンド名がガンガン出てきます(笑)。この当時って、みんな全く音が被ってないんだよなあ。例えば同じサイコビリー系でも、ストラットとキャップスじゃ正反対といってもいいほどに音が違って。
そうだね。それで、その中から新しい音がどんどん出てた時代でもあったから刺激し合える環境だったと思う。また、それこそがパンクの在り方でもあったよね。みんな違って、それぞれ自分達の音を出してた
── そしてこの辺りになると、タイクツだった時代が嘘のように、ものすごく濃密な時間を過ごすようになってきたのではありませんか?
うん、毎回打ち上げも凄い盛りあがってたし(笑)
── どんな打ち上げだったんだか、想像するだけでも怖いです(笑)。そういえばジムノぺディアは、歌詞が非常に危ういものが多かったイメージがあるのですが、あれはほぼ実生活と考えてよろしいのでしょうか?
モロそのままじゃないよ、根は結構真面目だし(笑)。それと、歌詞に関しては、やっぱりインパクトを与えたいっていうのと、サラッと流れない、ひっかかりのある歌を歌いたいっていうのがあったな。言葉と歌でインパクトを与えたいっていう。そういうところをかなりこだわって作ってたから。もちろん楽曲についても。とにかく四六時中ギター弾いてましたね