ニュー・マキシ・シングル『死ぬまで生きろ』を引っさげてリリース・ツアーを終えたばかりのソウル・フラワー・ユニオン(SFU)。徹底した現場主義を貫く「主張するバンド」において、常にフロント・マンとして観客を熱狂させてきた中川敬氏に、新作を含めたバンドの近況と今の社会状況について語ってもらった。(構成:前川誠)
死ぬまで生きろ!
──ニュー・シングル『死ぬまで生きろ!』発売記念ツアーお疲れ様でした。リキッドルームでのライヴを拝見したんですが、凄かったです。今、バンド的にも充実している時期なのでしょうか?
演奏している側はそういうのがわからないもんなんやけど、今は若手バンドのようなノリでリハーサルしてるのは確か。まあ、お年頃的にはもうちょっとリラックスするべき時期なんやろうけど(笑)、高木克という新メンバーも入って、リズム隊も日々前進してる。
──若手バンドのようなノリのリハーサルとは?
大体どのバンドも俺らぐらいの歳になってくると、リハーサルもそんなに詰めないんよね。若い頃に比べて演奏力も上がってくるし、楽曲への理解も深まってるし、メンバー各々がOKであればOKなんよ。ところがこのバンド、「まだまだ凄い演奏ができるんじゃないか? まだまだいいアレンジがあるんじゃないか?」って、それこそ子どもの様に無邪気に取り組んでるよ。昔のニューエスト・モデルのような感じやね。だから、これからのSFUが実際、俺自身楽しみなんよね。
──今回のシングル『死ぬまで生きろ』のコンセプトは、ライヴのMCでよく言われている「人生は祭りだ! 共に生きよう!」ということでよいのでしょうか。
四分の一世紀も曲を書き続けていると、曲作りって、もはや空気を吸うみたいなもんなんよね。「伝えたい魂のメッセージ」があるから曲を書く、というわけでもない(笑)。性格的にも、丘の上で風に吹かれながら明日の天気のことを考えるようなタイプでもない(笑)。曲を書くときは俺の抱えてる心象風景を楽曲に集中させて落とし込むんやけど、それを、聴いてくれた人が誤解も含めて「共有」できたらええなぁということ。あとは、この音楽で人生をスイングさせてくれたら、もう言うことなし。。
よくインタビューの最後とかに「ファンの皆さんにメッセージをお願いします」みたいな振りがあるけど、適当に「死ぬまで生きろ!」とかよく言っててんね。卑近過ぎて、今まで曲のタイトルにも歌詞にも使ったことなかったんやけど、ちょうどできあがりつつあったメロディとうまくマッチして。「死ぬまで生きる、我等の掟!」。で、この曲を作ってる頃、ちょうどハイチの震災があって、ツイッターとかやってると細かい情報まで入ってくるから気が気じゃなくなって、毎日ヘイシャン・ミュージックを浴びるように聴いてたんよね。生命に関わる重い事象と、軽快なカリビアン・ミュージックが頭の中に鳴り響いてる時期に、一気に書き上げたのが、この「死ぬまで生きろ!」。
常に、東京であれ、辺野古であれ、祝島であれ、ハイチであれ、現場でそれぞれの思いを抱えながら今を生きてる人間たちと共有できるダンス・ミュージックを創りたい!ということなんよね。
神戸でやっと音楽と向き合った
──今ちょうど現場という話が出たのですが、SFUほど現場にこだわるミュージシャンも珍しいですよね。
具体的にいえば、95年の阪神・淡路大震災のときの出前ライヴ(95年の一年間で百回を越える)のように、すべてを自分らで管理してやれば誰に利用される事もなく思いっきり現場で活動が出来る。
よく「現場へ行くのって大変じゃないですか?」とか聞かれるんやけど、むしろ実際には現場へ入って行った方が精神的にラク。自分のやりたいことをやって、話したいことを話して。しかも日頃のルーティンワーク的世界では出会うことのないリアリティや学びがたくさんあって。音楽業界に干されること以外では、「マイナス要素」を探す方が難しいよ(笑)、。
──大震災の被災地である地域に入って演奏活動をするということは、中川さんにとってどういうことでしたか。
学ぶことだらけやった。その段階で十年以上音楽をやってきてたんやけど、神戸で始めて音楽と向き合った感じがすると言ってしまっていいぐらい、俺にとって一番重要な時期やね。あまりに凄惨な状況の中、国家、行政、宗教、民族あらゆるボーダーが崩壊して、それが机上のお勉強ではなく、まさに眼前に広がっていたからね。まず人間がいた。そして音楽を鳴らす。踊る、歌う、笑う、泣く、怒る...。それまで自分自身の中で無意識の内に引いてた「境界」を認識することも出来たしね。
──「境界」とは?
なんでもいいよ。「属性」とか「意味付け」とか。国家、民族、言語、障害の有無、ジェンダー、イデオロギー、宗教...。そんな「境界」が、問われながらも見事に溶解してしまう場所やったんよね、俺にとっての神戸は。だからこそ、音楽が唄が際立ってくる、ということがあった。
──そうした活動をすることで「SFU=反体制バンド」というレッテルが貼られ、音楽的な評価を抜きにそのイメージが先行したと思うのですが。
それは神戸に入る前から既にそうやったから、もはや諦めの境地(笑)。当初戸惑いがなかったかといえば嘘になるけど、逆にそう思われることでマイペースに動きやすかったってことも事実かな。
自分の子どもたちの世代には
どんな社会になっていて欲しいか
──と、そんな中川さんに今回の参議院議員選について伺いたいと思います。歴史的な政権交替を経た今、有権者の皆さんは民主党を中心とした新政権に結果を求めすぎている気がしているのですが。
結果を求めすぎているというよりは、目標や理想を立てなさすぎなんじゃない? 我々は何処へ行きたいのか?
すべての物事が「アンチ思考」で進んでる気がするね。自分自身「こうしたい、ああしたい」という能動性よりも、「あれ嫌や、これ嫌や」っていう具合に、常に他との相対的な関係の中でしか物事を考えられなくなってる。「右翼」らしき連中も、実はよくみりゃ単なる「反左翼」みたいな(笑)。一人ひとりが自分の立脚する場所から、自分の価値観に基づいて思考する世の中になっていかなきゃどうにもならない。地上波を消して、全国紙を捨てろ!(笑)
──政党もこれからの未来をどうしていくか、有権者に示せていない?
他律的な安っぽい「現実主義」だけがある。「利権」と(笑)。今回の政権交代も、有権者の多くは、自民党政権が嫌やから民主党に投票しただけ。もはや「有権者」っていうより「視聴者」って感じやね(笑)。これはギャグやけど、民主党は、実際にはアンチ自民で得票を稼げただけっていうことを深く理解できているからこそ、あれほどマニフェストを書き換えられるんと違う?(笑)。社民を切り捨て首相が菅になって、見事に別物になってきてる。なんなの、あの消費税率10%引き上げって。呆れるよね。
──では、今回の選挙は何を基準に候補者を絞ればよいのでしょうか?
新自由主義、対米従属主義、軍事依存主義、カルト、利権屋の巣食う政党の議員を一人でも減らす、とかいうと社民党と共産党しかないという話になるけど(笑)、まあ、どの政党に、どの候補に投票するかの前に有権者一人ひとりが考えなきゃいけないのは、これからのこの国をどうしていきたいのか、自分の子どもたちの世代にどんな社会を残していきたいのかっていうこと。個々の理想や目標からしか物事は始まらないんよ、本当は。あと、小選挙区制の問題もあるね。
──最近、政治に不満をいいながら投票にいかない人々が各世代で増えています。
当たり前の話やけど、この社会は具体的に一人ひとりの人間が形作っている訳であって、俺はその中の一人やと思ってるだけ。戦争にしても環境問題にしても今の社会のありようはほぼ「人為」によってなされてるし、同じ社会で暮らし税金も同じように支払っていながら、選挙権を持ってる人、持っていない人が政治的に存在しているのなら、持っていない側の代弁もしなきゃいけない。一つひとつの問題が個別具体的である以上、そんな簡単に厭世的になったり諦めたりはできないでしょ。逆になんで選挙に行かないのかがわからない。俺は、音楽もすれば、エッチもするし、選挙にも行けば、デモにも行く。何ごとも他人に勝手に決められてしまうのが嫌なんよ。
──今日はいろいろとお話ありがとうございました。それでは最後にモノノケ・サミットの8月に行われる『もののけ盆ダンスツアー/〜辺野古の海から世界が見える』についてお願いします。
沖縄から知花竜海と上間綾乃ちゃんが参加する以外はまだ内容は決まってないんよ。綾乃ちゃんは去年のPeace Music Festaで<豊年音頭>を一緒にやって、凄く良かったんよね。期待の若手民謡歌手。べっぴんさんやし(笑)。竜海は沖縄の読谷で生まれ育って、ウチナーンチュとして色んなもんを抱えながら音楽をやってきてる。是非みんなに聴いて欲しいね。