好きなことをやる以上は責任を負え
──結成から6年、4人の役割もより明確になってきたのでは?
k:そうですね。僕とmasaがオリジナル・メンバーで、今ブンブンサテライツをサポートしているyokoが初代のドラムだったんです。最初のシングルを出して、僕はバンドを続けるつもりがなかったんですよ。でも、それが意外と続いちゃったんですよね。まさかこれだけ続いて、4枚もアルバムが出せるなんて思ってもみなかったです。まぁ、そういうヘンに力が入ってないのが良かったんでしょうね。
──残響レコードの中でも戦略的ではなかったと言うか、割と趣味性の高いバンドだったんでしょうか。
k:残響というレーベルで生計を立てるなんて発想は一切なかったし、最初はホントに趣味でした。今じゃ趣味だなんて言うと怒られちゃいますけど(笑)。ただ、派手な動きはせずに地道にやってきたのが功を奏した気はしますね。
──でも、te'が残響レコードのブランド性や色付けの雛型になっているのは間違いないと思いますが。
k:そうなんですよね。今の残響は9mm Parabellum BulletやPeople In The Boxのイメージが強いのかなと思うんですけど、te'を見て下さった方は「残響のイメージの発端はte'だね」と言って下さるんですよ。まぁ、それほど気負いもなく、te'はte'らしく進んできた感じですけどね。残響はバンドが好きなことを自由にできるフィールドが用意できればいいなって感じなんです。みんな好きなようにやればいいんじゃない? っていう。
──とは言え、自由を履き違えると無法になるし、最低限の制約も必要になってきますよね。
k:制約も自分で作るものだと思いますね。すべてはバンドの責任ですよ。責任感を持たせるとバンドが大きくなっていくのを最近よく感じますね。作品もいいものを作ってくるし。
──konoさんが上梓した『音楽ビジネス革命〜残響レコードの挑戦〜』の中に"自分ができない仕事は自分の責任で人に任せろ"という章がありましたけど、バンドにおける人心掌握術にも通じるものがありますね。
k:そうですね。好きなことをやる以上はちゃんと責任を負えと。自分にできないならできる奴に預けろと。そして、できる奴は責任を負えと。バンドも社員も立場は一緒なんですよ。バンドも残響の看板として動いているんです。
──te'のギタリストと残響レコードの代表というスイッチのオンとオフは明確にありますか。
k:ありますね。te'でツアーに出れば、僕の場合は経費を使って新幹線でも行けちゃうわけですよ。でも、それじゃte'のメンバーとしておかしいのでメンバーと一緒にツアー車に乗って行きます。ちゃんとマネージャーを付けて、いろいろとお伺いも立てていますし。そういう切り替えは大事ですよね。
──レーベルの代表という立場はご自身の性に合っていますか。
k:向いてはいるんでしょうね。理系だったし、数字も得意だし。ただ、ブログを書いても社長ではなくバンドマンの目線なんですよ。だから、立脚点としてはバンドマンなんだと思います。
──残響レコード所属のバンドと対話をする時の立ち位置は代表としてですか? それとも同じバンドマンとして?
k:そこはあまり意識してないですね。バンドがどう思うかだけで、僕はひとりの人間として向き合います。ギターのエフェクターはもっとこうしたほうがいいとかの話もするし、今の音楽業界はこんな感じなんだよとかの話もしますから。
"何かいいな"という直感を大事にする
──ひとりの人間として向き合うからこそ、あれだけ人間的にも音楽的にも魅力のあるバンドが残響に集ってくるんでしょうね。
k:有り難いことだし、ラッキーですよね。いろんな棚ぼたが連なった結果だと思うんですよ。取り立てて戦略的なことを仕掛けたわけじゃないし、"こんなことができたら面白いな"っていう思いで取り組んだらたまたまこうなった感じなんです。Peopleが残響にデモを送ってきたのは、ウチのマニアックなバンドが好きだったからなんですよ。それも、売れるものばかりを追っ掛けてたわけじゃなくて、もっと本質的な部分で面白いバンドをリリースしてきたからこそ起こったラッキーですよね。まぁ、"ここは絶対に曲げないぞ"というポリシーみたいなものはいっぱいありますけどね。今はそれに共感してくれるバンドが集まっていて、彼らにも「大事なところは曲げるなよ!」という話はよくしています。
──ちなみに、te'自体は今回からレコーディング環境が変わったりは?
k:大きな変化はないですね。今までと同じスタジオを使いましたし。インスト・バンドは日数が掛からないんですよ。単純に歌入れがないし、普通はそれが一番時間が掛かりますからね。普通のバンドが1日で2、3曲録るところを、僕らは6曲くらい録れるんです。何と言うか、te'のメンバーは"何となくいい感じだな"っていう直感を大事にしていて、その感覚は今凄くあるんですよ。"何かいいな"とじわじわ伝わってくるものがあるって言うか。
──"何かイヤだな"と思うことに根拠はないけど確信はあるみたいな感じですね。
k:うん、そんな感じです。レーベルの代表として新人バンドを見る時も、凄い格好いいのに何かが違うなっていう時がありますからね。"何となくいい感じだったらそれでいいかな?"と思うところが僕にはあるんですよ。あまり良くない時はビシッと言いますけどね。
──それはつまり、ご自身の感覚に絶対の自信を置いているとも言えますよね。
k:自分の中の基準値はありますね。物事が悪い方向へ進んでいる時にはバッサリと決断はします。そうしないとズルズル行っちゃいますから。多分、その決断ができれば誰でも社長になれるんじゃないですかね(笑)。自分の経験や理論に基づいて決断を下すのが一番大変なんですよ。バンドマンも社員も、肝心なのは責任が取れるかどうかなんです。バンドでも「スタッフが悪い」とか「プロモーションをやってくれなかった」とか言う奴がいるけど、全部は自分の責任なんですよ。説得力のある作品を作れなければ周りは動かないのに、それをスタッフのせいにするのは違うでしょう?
──あの石井岳龍(聰亙)監督がte'のライヴを見て「日本にもこんなバンドがいたんだ!」と感銘を受けたそうですが、te'はインスト・バンドだから言葉の垣根を超えて世界へ打って出ていきやすいですよね。
k:残響では海外のバンドの音源もリリースしているんですけど、世界と交信するのは楽しいし、全然遠くないですよ。日本は海外から人気があって、こちらからちゃんとアプローチをすればそれなりに反応してきますから。歌のあるバンドでもどんどん海外へマーケットを広げていけばいいのになとよく思いますね。その点、te'はヨーロッパやアメリカでも人気があって、今は台湾や香港、韓国でもリリースしているんですよ。
──今後はte'をどのように発展させていきたいですか。
k:『ミュージックステーション』とか民放の音楽番組に出られればいいかなと(笑)。僕らみたいなバンドがお茶の間に進出したら面白いことになるし、絶対に日本の音楽シーンは変わると思うんです。何が起きているのか判らない感じになるだろうし。まぁ、そんなことになったら面白いよね程度の話ですけどね。その前に武道館でやれたらいいなという野望もありますね。今までは全然現実的じゃなかったけど、ここまで来たら行けるところまで行ってやろうという意気込みは強いです。
hiro
part of guitar
インストで歌を担う男が語る音楽を奏でる歓び
自分のポジションは面白おかしくすること
──konoさんがサード・アルバムでひとつの達成感があったと仰っていましたが、hiroさんも同じ気持ちでしたか。
h:うーん、どうでしょう。常に失敗の連続と言うか、僕は毎回何かしらの失敗をしてるんですよ。音源で言えば"もっとできただろう"とか、ライヴで言えば"こうすればもっとお客さんがアガッただろう"とか。どんな場面でも常に持ち得る力を全部出し切ってはいるんですけど、やり切ってはいないって言うか、まだまだやれるんじゃないかっていう思いがあるんですよね。
──ハードルがどんどん上がっていく感じ?
h:いや、ハードルを気にしたことはないですね。それよりも、自分のポジションを見据えてバンドと向き合うことが大事なんです。僕のポジションは面白おかしくするところだと思うんですよ。固いものを溶かしていくような感じで。
──絶えず課題が生まれる貪欲な姿勢ということでしょうか。
h:欲は凄いあるんですけど、どうなんでしょうね。欲にはずっと抱いてた欲と、瞬間的に生まれる欲があるじゃないですか。ずっと抱いてた欲は割とすぐに消化するんですけど、その場で生まれた欲は凄くフレッシュなことで、録り終わった直後に生まれたりするんですよ。その瞬間的な欲が自分の中でガソリンみたいな感じになってるのかもしれませんね。
──前3作までと違って本作は緻密な音作りになっているし、その欲もだいぶ満たされたんじゃないかと思いますけど。
h:確かにそれはありますね。今までの反省を活かすと言うよりも、今回は"もうちょっとできるんじゃないか?"っていう気持ちで臨んだんです。今までのte'は鮮度の高さが売りだったんですよ。ピチピチの魚を捕まえてきて、それを捌いてお客さんにすぐ届けるっていう。その期間が短ければ短いほどフレッシュなまま届けられるし、築地直送みたいなノリでリスナーの方に食して頂いてたんです。それが今回は、フレッシュな食材も一度じっくりと煮込んだりしてお客さんに美味しく召し上がって頂く感じにしたんですよね。だから時間も凄い掛けて、心の整理もした上でお出しした感じですね。
──本作は、hiroさんが病気を克服して活動を再開させた以降にレコーディングに臨んだんですか。
h:僕が病気になる前にメインとなる曲の骨組みは出来てましたね。te'のレコーディングは、まず大きな骨組みとなる曲を作るんです。その骨組みの段階で僕が病気になってしまって、その間は全くレコーディングの作業ができなかったんですよ。ただ、骨組みだけ建ってる家を見て、"こんな窓の縁でもいいかな?"とか"こういう屋根瓦だと面白いな"とか新しい見方ができるようにもなったんです。
──hiroさんが戦線離脱している時に、te'というバンドを客観視できた部分もありましたか。
h:バンドのことを考える余裕はなかったですね。それよりも、ライヴに穴を開けてお客さんやメンバー、スタッフに対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。自分としては生きれるかどうかの瀬戸際だったので、音楽がどうこうよりも、まず生きられればいいなとばかり考えていました。正直、音楽は二の次でしたね。でも、お客さんから励ましの声をたくさん頂いたからこそ奇跡的な回復を遂げられたし、それがなければ僕は今ここにいないですし、生きることを諦めていたと思います。今は音楽をやれて凄い幸せですし、久し振りにte'でスタジオに入った時は初めてバンドを組んだ頃の新鮮さ以上にワクワクする感情が起こりましたね。アンプのつまみを触るだけで得も言われぬ感情が込み上げてきたんですよ。だから今回、僕としてはお客さんに対する感謝の気持ちも含めて"僕はこういう気持ちだったんだよ"という思いに重点を置いて、それを最大限に頑張ってパッケージできたんじゃないかと思っています。