
最終的には本人の根っこにある才能がすべて
──そういうやり取り、おふたりがやっているポッドキャスト『池袋交差点24時』みたいですね。
古市:お陰様で、誰に会っても「いつも聴いてます」って言われるんだよ。
加藤:みんな面白いと言ってくれて、あれでライヴの動員が増えたりもしたんだよね。自分で聴いていても笑っちゃうんだよ。年寄りだから何を喋ったか忘れちゃうからさ(笑)。
古市:うん、忘れる(笑)。でも、シビアだよね。音楽を掛けられないし、喋りの内容と間合いだけが勝負だからさ。
加藤:確かにね。ポッドキャストもいつ衰退するか判らないけど、俺はポッドキャストが21世紀を一番感じたかもしれない。YouTubeとかMySpaceとかいろいろあるけど、どれも決定打にはならないんだよね。20世紀はテレビに大量の情報が投下されて、そこでどれだけ多くの人たちに見せたかが売上と比例していたけど、今やそれが崩壊して、一個人のブログからじわじわ情報が伝播していく超個人主義の時代じゃない? ポッドキャストを始めて、そういう時代が変わる息吹をリアルに感じた。昔、NACK5で生の2時間番組をやっていたけど、その時だってポッドキャストみたいな反響はなかったよ。如何にみんなが自由な時間に聴いて、勝手に反応したいかを感じて驚いたね。投稿メールは世界中から来るしさ。しかもそこには声のいいアナウンサーも必要ないし、台本も要らないし、才能さえあれば面白いネタを書くシナリオライターも要らないわけで。
──今やUSTREAMで生の動画配信ができて、ツイッターでその反応がオンタイムで寄せられる時代ですしね。
加藤:それも度を超せば飽きられるだろうけどね。何でも早いだけがいいわけじゃないから。
──どれだけソフトウェアが進化しようと、肝心のハードウェア...つまり、おふたりの巧みな話術さえしっかりとしていれば、新たな時代の波にも対応できるんじゃないでしょうか。
加藤:最後はライヴという原点に帰るのと一緒で、どんなにいいアンプを使っていいセッティングをしたって、その人の持つ個性がなければダメなんだよ。どんな時代でもそういう人しか面白くない。
──『池袋交差点24時』はどんなペースで収録しているんですか。
加藤:一度に4話くらい録ってるよ。基本的には呑んでいる時と同じ感じで、コータロー君と延々喋っているのを編集してるだけ。放送できないことも散々言ってるけどね(笑)。まぁ、結局何が言いたいかって言うとさ、最終的には本人の根っこにある才能がすべてだってことなんだよ。それはポッドキャストをやってよく判った。才能は努力によって大きくなっていくものだけど、最初から面白い奴は何をやらせても面白い。コレクターズがこうして残っているのは、23年前から面白かったからなんだと思う。これがどこまで続くかは判らないけどさ。
──これだけCDパッケージが売れない状況になって、音楽家がリスナーに対して音源をMP3で直に販売することも増えた昨今ですが、リスナーもシビアだし、いよいよ本物しか残らない時代になったと言えますよね。
加藤:家で吹き込んだ粗悪品をそのまま売る商売ができるわけだからね。逆に、レコード会社が「保証を持って出しました」って断言するものしか買わない時代が来るかもしれないよ? 「インディーズは音も悪いし、ロクなものがないからもう当てにならない」なんてことになってさ。でも、形はどう変われど、面白いものやいいものっていうのは絶対に残っていくからね。
──コレクターズがデビューしてから今日に至るまでの23年間というのは、記録メディアが目まぐるしく変化していった時期でもありましたね。
加藤:ファースト・アルバムを作った時は、CDよりもアナログ盤のプレス枚数のほうが多かったからね。俺たちもCDなんて封も開けずに、アナログ盤をもらって喜んでいたしさ。ところが、セカンド・アルバムを出した時にそれが逆転して、CDの枚数がアナログ盤を超えたわけ。サード・アルバムになるとアナログ盤のプレスは中止になって、CDオンリー。それじゃ寂しいってことで、アナログ盤のジャケットだけをプレゼントすることにしたんだよ。'90年代に入ったら、アナログ盤のことなんて誰も考えないようになった。
古市:カセットは辛うじて残っていたけどね。
加藤:うん。そういう時代を過ごしてきたから、音楽をダウンロードするようになっても、それに対して何の抵抗もなかったよ。別に、アナログが凄くいい音だとも思っていなかったしね。むしろCDのほうが聴きやすくなって良かったと思ったくらいで。そういうフォーマットの転換期みたいなものは気にせずにやってきているけど、世の中のほうのシステムが整っていないから、気にせざるを得なくなっているよね。ダウンロードとCDの利益が同じくらいなら気にはしないけど、未だにダウンロードのほうが利益の少ないシステムだからさ。それなら昔ながらのパッケージで売らないことには...ってところで、死にもの狂いで今はやっているけどね。まぁ、それもまた過渡期なんだろうけど。
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自分が今できる最大限のことをやればいい
──でも、たとえばコレクターズのライヴを初めて見た人が音源を欲しくなった時に、ちゃんとパッケージがあったほうが喜ばれるんじゃないですかね。
加藤:パッケージが欲しくなる世代っていうのはもう古いんじゃないかなとも思ったりするんだよ。今の若い連中は音が良かろうが悪かろうがそれほど気にしないだろうし、ある程度大まかなものさえ聴ければいいんじゃないかな。そういう連中には、アナログ盤なんて単なるプラスティックの円盤でしかないわけだからさ。それに対して俺たちはそういうのをモノとして持っていないと安心しない世代だし、お爺ちゃん、お婆ちゃんがいつまでもカセットで聴くのと同じで、それはそれでいいと思う。音楽を楽しむことはみんな一緒なんだから。
──ライヴの物販におけるCDパッケージって、今やTシャツやバッチと同じ存在になっていますよね。
加藤:誤解を恐れずに言えば、俺たちが今CDを作っているのはTシャツを作るフィーリングに似ているんだよ。全般的にライヴの動員はあるのにCDが売れないっていうのは、まさにそれを反映しているよね。
古市:だって、音源は自由に手に入っちゃうんだもん。
加藤:友達から焼いてもらうので充分って人も多いんだろうしね。だから、こっちも考え方を柔軟に考えていかないと。これもポップ・ミュージックって呼ばれるコマーシャルなものの宿命だよ。もともとバブルガムなものだし、ハンバーガーみたいに身近なファーストフードっぽいところはあるよね。ただ、いくらファーストフードと言っても、作り手は美味しいものを食べて欲しいと思えばパテにも凝るし、野菜の鮮度にもこだわると思う。それはロックンロールも一緒なんだよ。
──ファーストフードでも美味しければ人に言いたくなるし、それが広まっていきますよね。
加藤:その店のものしか食べなくなることもあるだろうしね。
──"明るい未来"のために、音楽を通じて次世代へトスを上げたいという意識はありますか。
加藤:今の大人がやれるだけのことを一生懸命やればいいんだと思う。子供は宝だけど、あまり下の世代のことばかり考えなくたっていいんじゃないかな。自分が今できる最大限のことをまずやればいい。特に俺たちの世代が大人として楽しめることをやるのが一番だよ。だって、俺たちもそうやって楽しんでいる大人たちに憧れて育ってきたわけじゃない? 先輩のやっていることを背伸びして真似したりしてさ。先輩が後輩を優しくフォローしていたら、下が育たないよ。だから、自分たちが楽しむ環境を常に作っていかないと。まずはそこからだよ。
──そんな加藤さんも、11月には50歳を迎えることになりますね。
加藤:そうなんだよ。花田(裕之)君と違って誰にもお祝いされないけどね(笑)。でも、歳を取っていくのは未知なことだから、楽しみと言えば楽しみかな。自分が60歳になった時もまだ今と同じ髪型をしているんだろうか? とかさ(笑)。昨日そんなことを考えて、思わず鏡をまじまじと見ちゃったもん(笑)。
古市:俺は最近、鏡を見るのが何よりも嫌いだね。超えなきゃいけないハードルだと思う(笑)。でも、今は20代、30代よりも全然楽しいよ。面白いことに、人間って歳を重ねて少しずつ出来てくるものだからね。
加藤:それはある。自分たちのビデオを見ても、30代の半ば頃からだんだん太り始めるけど、今のほうが自分は好きかな。コレクターズは今が一番格好いいと思うしさ。
古市:デザイナーの信藤(三雄)さんもこの間、写真を撮りながら同じことを言ってたよね。ベーシックにあるハングリーな部分は変わらないのに、あれは何なんだろうね。まぁ、いろんなテクニックを覚えたこともあるのかな。諦めることでも何でもさ。
加藤:確かに、諦めを覚えることは重要だよね。そういうネガティヴなことを言うのはダメだっていう風潮があるけど、全然そんなことないんだよ。1日の半分は夜で、半分は昼なんだから。半分がダメで半分がOK、両方あって幸せなんだと俺は思う。それでちょっとでも幸せなほうが多ければ儲けもの。そんなふうに考えられるようになったのは、やっぱり大人になったからこそだよね。ホールデン・コールフィールドみたいに生きていたらいつかは自滅してしまうし、悪くないよ、大人になるってことは。