2009年4月25日、新宿ロフトにて行なわれるライヴをもって13年間にわたる活動に終止符を打つREDЯUMのラスト・インタビューをお届けする。昨年11月、"桃園の誓い。vol.8"のアンコールの際に突如解散を宣言してから早4ヶ月。彼らは目下"TOMORROW NEVER COMES"と題されたラスト・ツアーと並行して新曲の制作を敢行し、さらにはラスト・ライヴに向けた入念な準備に日々勤しんでいる。REDЯUMとしての明日は4月25日以降にはもう二度とやって来ない。残されたわずかな日々を無為にすることなく、最大限の力を振り絞って有終の美を飾ろうとするその姿には悲壮感すら漂うが、幸いなことにスワン・ソングの最後の旋律を奏でるその瞬間まで時間はまだある。REDЯUMという不世出のバンドが市松模様のステージで命を燃やし尽くすその時を見届ける好機があるのだ。華々しく散開することで鮮烈に焼き付けられたREDЯUMの残像を、僕たちは後々まで語り継いでいく義務がある。その際の格好のサブ・テキストとしてこのインタビューが機能すれば嬉しい。(interview:椎名宗之)
YUMIのいないREDЯUMはあり得ない
──REDЯUMとしてのライヴが残すところあと4本(トーク・ライヴ含む)となった現在の率直な心境を聞かせて下さい。
KAZI:断腸の思いですね。やり残したことがいっぱいあるし、吹っ切れた感覚はまるでないです。ただただ残念、無念としか言い様がありませんね。まぁ、自ら進んで解散したわけではないので...。
──事の詳細を知らない読者もいると思うので、改めて解散の経緯を話して頂けますか。
KAZI:去年の11月のある日、リハが終わった後にヴォーカルのYUMIから「唄うことをやめたい」と告げられたんです。YUMIのほうからは、自分が抜けても別のヴォーカルを入れてバンドを続けて欲しいと言われたんですが、俺たちとしてはその選択肢はあり得ないと。YUMIが唄わないんだったら、それはもはやREDЯUMじゃないし。その時点で解散が決まりました。驚くほどあっという間で、呆気ないものでしたよ。そんな話がわずか30分くらいで終わりましたから。
──ベスト・アルバム『CINEMATIC SOUND FOUNDATION』が世に出た直後の話でしたよね。
KAZI:そうですね。YUMIから突然「みんなに話があるんだけど...」って切り出されたんですけど、その時点で"ああ、遂に来たか..."と思いました。
──"遂に"ということは、その予兆みたいなことがそれまでにあったんですか。
KAZI:YUMIの中で感情の波があって、俺はそれをよくわかっていたつもりなんです。改まって話があると言われたこと自体がつまりそういうことなんだなと直感したわけですよ。でも、彼女が凄く意志の強い人なのはみんなよく知っていたし、引き留めることはできなかったですね。「歌をやめたい」と言う人間に対して今さら「唄えよ」なんて言えるか? っていう気持ちが俺たち3人の中で暗黙のうちにありましたから。
──YUMIさんの中では、歌を唄うことへの葛藤が絶えずあったということなんでしょうか。あれだけの歌声を聴かせることのできるヴォーカリストもそうはいないと思うんですが。
KAZI:REDЯUMを始めた20代前半の頃はただがむしゃらに唄ってきたと思うんですけど、年齢を重ねていくうちに"自分の人生は果たしてこのままでいいのか?"という思いが強くなってきたんじゃないですかね。そしてそんな思いが芽生えた以上は、真剣にバンドをやっている他の3人の前で唄うのは失礼だと。3人の気持ちに応えられないままバンドを続けるのは自分としても不本意だから、抜けさせて下さいという話だったんですよ。
──愚問だと思いますが、別のヴォーカリストを迎えてREDЯUMを続けようという思いは1ミリもなかったですか。
KAZI:なかったですね。仮に新しいヴォーカリストを入れるんだったら、バンド名も変えてREDЯUMの曲も一切やらないでしょうね。昔からヴォーカリストがよく変わるバンドは余り好きじゃなかったんですよ。俺はデイジー・チェインソーが凄く好きなんですけど、ヴォーカルのケイティ・ジェーン・ガーサイドが脱退してから新しいヴォーカリストを迎えてアルバムを出した時にガッカリしたことがあるんです。いくら他のメンバーが一緒とは言え、よりによってヴォーカリストが変わるっていうのはあり得ないだろうと。ヴォーカリストはバンドの花形なわけですからね。
──バンドは純血主義であるべきだという意識が強いですか。
KAZI:そうかもしれないですね。脱退したメンバーを超える何かを持っている新しいメンバーなら受け入れられるんですけど。
──YUMIさんから告げられた脱退の意志に対するTSUYOSHIさんとSOTOさんの受け止め方も、KAZIさんと同じようなものだったんですか。
KAZI:そうですね。凄く悔しいけどしょうがないよね、って言うか。みんなも年齢を重ねてそれぞれ事情があるのはお互いに理解していたし、音楽だけで生計が成り立っているバンドであればまた違ったんでしょうけどね。無理に引き留めて生活を保証させるだけのことができるのかっていうのも正直ありましたし。最終的には、YUMIはYUMIの人生を歩むべきだというところで自分たちを納得させましたね。
終わるならちゃんと終わらせたほうがいい
──"唄うことをやめる"というのは、相当の覚悟と決意がなければ下せない判断ですよね。
KAZI:俺自身、音楽をやめるなんて到底考えられないし、並大抵の覚悟じゃないはずですよ。もしかしたら俺たちのほうが音楽にしがみついているのかもしれないけど、音楽をすっぱりやめるなんて全く想像ができませんね。まぁ、俺たちに言い出す前からYUMIの中ではずっと考え続けていたことなのかもしれないけど。
──数多く存在する熱烈なファンのためにも唄い続けようという選択肢は...熟考の末にきっとなかったんでしょうね。
KAZI:仮にYUMIの中でそういった考えがあったのなら、ライヴをもっとゆっくりやるとか、またしばらく休止して1年後にやろうという選択肢もあったと思うんですよ。でも、そうではなく"唄うのをやめたい"という決断なわけですから。そうなった以上はみんなで話し合いをして、再結成は絶対にしないことをまず最初に決めたんです。また何年後かに集まることを見越して終わらせるのではなく、きっちりと終わらせることにしようと。解散した以上、安易に再結成するのは潔くないですから。
──結成から12年間の軌跡を凝縮させたベスト・アルバムを経て次なる作品の発表がとても楽しみだったので、たとえばSOTOさんのように一時期戦線を離脱するなどして解散を回避できなかったのかなとは思うんですよね。今まで通り休みたい時には休んで、無理のないペースでバンドを継続させていけばいいのにと言うか。
KAZI:それはいろんな人から言われましたよ。敢えて解散を明言することなく、ちょっと休めばいいんじゃないかって。でも、それも何だか潔くないと思ったんですよ。終わるならちゃんと終わらせたほうがいいと思ったんです。
──解散が決まる前にも新曲は作り続けていたんですよね?
KAZI:解散が決まって以降に曲作りのペースが上がったくらいで、今も凄い勢いで新曲を作っているんですよ。この間はTSUYOSHIが6曲、俺が2曲くらい持っていって、さらにセッションで2曲くらい出来たりして、フル・アルバムが作れてしまうくらいの勢いなんです。解散を宣言してからどんどん曲が出来るっていうのも妙な話なんですけどね。
──それだけのペースで曲が出来るのは、REDЯUMとしては珍しいことなんですか。
KAZI:いや、普通ですね。普段から割と曲は出来るほうなんです。ほとんどの曲はギターと歌メロを軸としてセッションで作っていくんですけど。ただ、TSUYOSHIが余りに曲を持ってくるから、俺が「ちょっと待ってくれ、追い付かないよ」ってストップを掛けたくらいなんですよ(笑)。まぁ、その気持ちも凄くよくわかりますけどね。TSUYOSHIなりにやりたいことがまだたくさんあるんだろうし、俺もあるし...。今考えているのは、とりあえず最後に3、4曲を仕上げようと。それをREDЯUMのラスト・シングルとして出そうと思っているんです。
──その音源はどんな形態で発表されることになるんですか。
KAZI:ラスト・ライヴの会場限定で出す予定です。その後に通販もやると思いますけど、全国流通は多分ないでしょうね。
──触りだけでも、その4曲がどんな感じのものか聞かせて頂けませんか。
KAZI:TSUYOSHIが2曲、俺が2曲作曲をしているんです。TSUYOSHIの曲はいわゆるREDЯUM節の効いた物悲しい感じの曲と、彼の好きな音楽を彷彿とさせる枯れた感じのロック。俺が書いたのはただただ悲しい感じの曲と、セッションで固めていった曲ですね。それと、それらの曲はメンバー全員が詞を手掛けるつもりです。今まではYUMIと俺が半々で詞を書いてきたんですけど、今回はYUMIから「1人1曲ずつ詞を書いて欲しい」という提案があったんですよ。まだ未定ですが(笑)。
──解散を目前として書き上げる歌詞は、どうしても感傷的な内容になってしまうような気がしますけど...。
KAZI:俺が書いた歌詞はまさにそんな感じですね。結成から今日までの思いの丈をぶつけたと言うか。もともとそんなに明るい作風ではないですけど、今はちょうど解散ツアーを回っているので余計に辛いんですよ。どこへ行っても別れを告げることになるし、俺はライヴのたびに毎回泣いているんです。メンバーからは「まだ早いんじゃないの?」って言われてますけどね(笑)。
この解散にもきっと何かの意味がある
──でも、ツアー・タイトルからして"TOMORROW NEVER COMES"(明日は二度と来ない)ですからね。"TOMORROW NEVER KNOWS"(明日のことなどわからない)ならどんなにいいかと思いますけど。
KAZI:それくらいの覚悟で臨んでいることの表れなんですよ。REDЯUMはもう二度とないんだ、もうここで終わりなんだよっていう。どうしても感傷的にはなってしまいますよね、なにぶん解散なんて初めての経験ですから。
──13年間の重さもそこに加味されるわけですからね。
KAZI:だから、解散を経験された先輩方と呑みながらいろいろと話を聞いたりもしたんですよ。解散した当時の心境だとか、解散ライヴで泣くのはいいのかどうかとか(笑)。まぁ、みなさん「ありのままでいいんじゃない?」と言って下さいますけどね。「泣きたければ泣けばいいし、そこで我慢する必要なんてないよ」と。あと、いろんなバンドの解散ライヴの映像や音源に接して、どういう終わり方がREDЯUMらしいのかを考えてみたりもしました。その答えはまだ見つかっていないんですけど。
──古今東西の解散したバンドの中で、その散り際にシンパシーを覚えるのはどんなバンドですか。
KAZI:キャロルやBOφWY、ストリート・スライダーズとかですね。解散して以降、一切再結成をしないじゃないですか。再結成しそうな噂は絶えずあるけど絶対に再結成しないのは、メンバー各自の意志が今なお揺るいでいないからだと思うんですよ。その姿勢には共感できるし、純粋に格好いいと思います。何度も安易に再結成されると、あの時に流した涙を返してくれ! って思いますからね(笑)。
──一期一会の美学と言うか、儚いからこそ美しいという信条がKAZIさんの中にはありますか。
KAZI:ありますね。解散に関して最近よく思うのは、同じバンドをずっと続けていられるような人は選ばれし人なんじゃないかということなんです。俺はいわゆる運命論者ではないですけど、そう思うんですよね。
──デビューから46年間バンドを続けているストーンズはその最たる例でしょうね。
KAZI:うん、まさに。年齢を追うごとに音楽をやめる人や解散するバンドが増えていく中で、それでも強靱な精神力のもとに続けていけているわけですからね。ただそれも、何かに導かれているところがあるような気もする。だからREDЯUMがここで終わるのは、俺には何か意味があるように思えるんですよ。所詮はここまでのものだったんだっていうのではなく、あの時解散を選択したのはこういうことだったんだなと後になって理解できるような気がするんです。
──最後にもう1枚くらいオリジナルのフル・アルバムを発表したかったという思いはありませんか。
KAZI:1枚どころじゃないですよ。何枚でも出したいくらいです。だからこれはさっきの話と矛盾しますけど、YUMIがいつかまた唄いたくなる時を待ちたい気持ちも俺の中にはあるんですよ。その時まで他の3人がちゃんと音楽を続けて、腕を磨き続けていなければと思いますね。腕も容姿も衰えて、まるで同窓会みたいなことをやるのはまっぴら御免ですから。まぁ、そこまでの話を他のメンバーとまだしたことがないから、先のことはわからないですけどね。音楽を続けていく人もいるだろうし、何かの事情でやめる人もいるだろうし。俺自身は音楽を続けたい気持ちはもちろんあります。ただ、いろいろ考えて辿り着いたのは、バンドが好きだったりロックが好きだったりするけれど、その上にREDЯUMが好きだったということなんですよ。きっと解散してしばらくは抜け殻のようになっているでしょうね。ちょっとおかしくなってしまいそうで、自分でも怖いんです。ラスト・ライヴの当日も、入りからすでに泣いていそうな気がするし。メンバーはよく知っているんですけど、俺は凄く涙もろいんですよ。
──ラスト・ライヴの場所として新宿ロフトを選んで下さったのは、KAZIさんの思い入れゆえですか。
KAZI:やっぱり一番最初に挙がりましたね。ロフトしかないでしょ? っていう。ロフトのステージに立てる歓びは常にあったし、節目節目の重要なライヴは常にロフトでやっていましたからね。
ラスト・ライヴはできる限りのことをやる
──REDЯUMが解散して以降のご予定は?
KAZI:今のところ何も考えていません。
──意識的に白紙にしているようなところはありませんか。
KAZI:みんなと話したのは、解散するまではそれぞれが水面下で動くようなことはやめようと。他のバンドのリハに入るとか、他のバンドのライヴに参加するとか。今はとにかくREDЯUMに専念しようと言うか、専念せざるを得ないんですよね。ラスト・ライヴでやる曲が多いので、リハで曲を復習するのがとにかく大変なんですよ。それと並行して新曲を作っているという慌ただしさなので。
──ラスト・ライヴはどれくらいのヴォリュームになりそうですか。
KAZI:4時間くらいはやろうと思っています。できる限りのことをやろうと考えているし、見に来てくれた人の終電のことなんて考えません(笑)。そこはもう、長い人生の中の1日くらい許してくれよと。やりたい曲は全部やりたいし、やり残すようなことはしたくないですから。
──ラスト・ライヴのセットリストを考えるだけでも相当な労力ですよね。
KAZI:やりたい曲が多い以前に、1曲が長いんですよ。だいたい6分くらいはありますからね。ラモーンズみたいに短い曲ばかりならたくさんやれるんですけど、全曲を隈無くやろうと思ったらオールナイトにしないと終わらないんです(笑)。そんな中でも自分たちにとって重要な曲はすべてやろうと思っているし、それをやり遂げるには4時間は必要だと思っているんですよ。
──ラスト・ツアーのセットリストも、4人がやりたいと思う曲は一致しているものなんですか。
KAZI:だいたい一致していますね。俺が基本のセットリストを組んで、後は個々で「これじゃなくてあれをやりたい」と差し替えていくんですけど、大幅に変わることはないです。TSUYOSHIと俺は自分の作った思い入れのある曲を挙げることが多いし、YUMIは自分の書いた詞で気に入っている曲が多いし、SOTOさんは自分のベース・プレイを活かせる曲が多い。みんな自分好きですから(笑)。
──ラスト・ライヴの前には、ロフトプラスワンで最初で最後のトーク・ライヴも行なわれますね。
KAZI:ロフトプラスワンの田実君から熱烈なオファーを受けまして。ブログにせよこうしたインタビューにせよ、バンドに関する発言の場はほとんど俺なので、他のメンバーが喋っているところを見る機会もなかなかないと思うんですよね。各人のキャラクターがどんなものなのか興味もあるだろうし。だからトーク・ライヴは俺が余り喋らずに、なるべく他の3人に話を振ろうと思っています(笑)。
──トーク・ライヴはステージ上で呑みながら進行していきますけど、酒を呑んで一番饒舌になるのはSOTOさんですか?
KAZI:間違いなくそうですね。酔うと朝まで矢沢永吉さんの歌を唄い続けるし、若いバンドマンに説教を始めますから(笑)。「お前、キャロルを聴いたことあるのか!?」って(笑)。
──個人的にはそんなSOTOさんのトークに期待したいですね。解散を公に発表した"桃園の誓い。vol.8"の時に一番涙腺を衝かれたのはSOTOさんの朴訥とした話でしたし。
KAZI:あの時も俺は他のメンバーから「泣かないように」って舞台の袖で言われていたんですよ。でも、いざ各自が話をし出して最初に泣いたのはSOTOさんだったんです。俺も泣きましたけど、SOTOさんが泣いているのを見てちょっと冷静になったくらいで(笑)。SOTOさんは酔うとただただ陽気になるんですよ。まぁ、男3人は矢沢さんの歌を唄う傾向にありますね(笑)。
──トーク・ライヴではYUMIさんとTSUYOSHIさんによるアコースティック・セッションも用意されていると伺いましたが。
KAZI:従来の曲に加えて、特別に新曲を先行披露したいと思っています。他にも貴重な映像を流したり、縁のあるゲストを呼んでみたりと趣向を凝らしているので、是非遊びに来て欲しいですね。
最後の姿を目と心に焼き付けて欲しい
──トーク・ライヴ当日は、一時期REDЯUMのサポート・ベーシストだった無限マイナスの本田祐也さん、3月に行なわれた"桃園の誓い。vol.9"でも共演を果たした盟友・THE BACK HORNの松田晋二さんも参加して下さいますね。
KAZI:マツには解散が決まった翌日に電話したんですよね。BACK HORNはツアー中で京都かどこかにいたんですけど。マツは「こんなにいいバンドがいるから是非聴いてみて下さい」ってメジャーのレコード会社の人にREDЯUMのCDを聴かせてくれたり、実はいろいろと動いてくれていたんですよ。好きなバンドとして常に俺たちの名前を挙げてくれたりもしたし、マツには凄く感謝しているんですよね。
──実際、BACK HORNを通じてREDЯUMのファンになった人もかなりいるでしょうね。
KAZI:そうですね。そんな経緯もあったので、余計にここでREDЯUMが終わるのが悔しいんですよ。「君たちのような存在が日本のロックには必要なんだ」とCDを出すきっかけを作ってくれたSUGIZOさんを始め、俺たちに力を貸してくれた人たちが今までにたくさんいましたから。別にそれが目標ではなかったですけど、音楽を通じて衝撃や影響を与えることはできたかもしれないです。若いバンドマンに「昔からよく聴いてました」と言われることも多いので。ただ、商業的な成功とは程遠かったし、もっといろんな人に自分たちの音楽を広めたかった。俺も結成した当初はラジカセを持ってレコード会社を回ったことがあったんですよ。レコード会社の場所を調べてアポなしで乗り込んで、受付で「エラい人を呼んでくれ!」って(笑)。当然取り次いでくれるわけもなくて、受付嬢に無理矢理聴かせたりもしましたね(笑)。カバンの中には常に自分たちのCDを入れておいて、酒の席で音楽関係の人と知り合うことがあればCDを渡してアピールもしたし。
──TSUYOSHIさんとSOTOさんとは解散後も音楽的な接点を持つことがありそうですか。
KAZI:先のことはわかりませんけど、俺の理想としてあるのはROCK'N'ROLL GYPSIESのお三方ですからね。
──花田裕之さん、池畑潤二さん、下山淳さんという元THE ROOSTERSの面々ですね。
KAZI:ROOSTERSが解散しても、いろんなレコーディング・セッションやライヴで度々共演するあの関係に憧れるんですよ。あのお三方のように、TSUYOSHIとSOTOさんとはこれからも何らかの形で一緒に音を出していけたらいいなとは思っています。
──KAZIさん本来の資質としては、セッションに呼ばれて叩くよりもバンドのほうが性に合っているように思えますけど。
KAZI:そうでしょうね。でも、求められればいろんな音楽を叩いてみたい。尊敬できる音楽であれば。REDЯUMが解散するのをポジティヴに考えると、新天地でドラムを叩ける面白さがあるんですよね。REDЯUM以外のレコーディングに参加した時も、それはそれで凄く刺激をもらったことがあったし。ただ、俺がバンドをやっていて一番面白さを感じるのは、スタジオで曲を作っている時なんです。何もないところから言葉とメロディを作っていく時間が一番充実しているんですよ。まだ世に出ていない曲を4人だけで煮詰めている時の企んでいる感じが堪らない。もちろんライヴもまた掛け替えのない充実した時間ですけどね。
──REDЯUMが解散しても、4人の良好な関係が終わることはないですよね。
KAZI:そうですね。バンドのメンバーである以前に無二の親友ですから。これから先、仮にREDЯUMに影響を受けたというバンドがもの凄く話題になっていると聞いたら、4人でそのライヴを見に行こうっていう話はしているんですよ。4人で見てダメ出ししようぜ、って(笑)。
──最後に、REDЯUMのKAZIさんとしてのラスト・メッセージをお願いします。
KAZI:こういうバンドが存在していたことをずっと忘れないで欲しいですね。バンドはなくなっても音源は残るので、いろんな人に語り継いでいって欲しいです。ラスト・ライヴで会える人たちには、俺たちの最後の姿を目と心に焼き付けて欲しい。これが正真正銘、最後のライヴですから。