Massive AttackやPortisheadなどが確立したブリストル・サウンドの音響系アプローチを出自としながらも、あらゆる音楽的ジャンルを貪欲に呑み込んだ幅広い音楽性とその幻想的かつ耽美な世界観で確固たる地位を築き上げたREDЯUM。12年に及ぶその活動の全貌を俯瞰できるアイテムの発売が長らく待ち望まれていたが、彼らの代名詞である『CINEMATIC SOUND FOUNDATION』と銘打たれた2枚組・全26曲収録のベスト・アルバムがこの度発表されることになった。代表曲やライヴの定番曲はもちろん、今や入手困難となった音源の楽曲、今回新たにレコーディングされた楽曲までが収録された豪華な逸品であり、REDЯUM未体験のリスナーにとってはまさに打って付けの入門編的作品だ。このベスト・アルバムの発表の経緯、紆余曲折を経た12年間の軌跡、果ては新宿LOFTとの密接な繋がりに至るまで、バンドの首謀者であるKAZI(ds)にたっぷりと話を訊いた。(interview:椎名宗之)
バンドの軌跡を俯瞰できるベスト・アルバム
──今回、このタイミングでベスト・アルバムを発表するに至ったのは?
KAZI(以下、K):会場限定盤を含めて、今までに音源を16枚ほど出してきたんですよ。その中には品切れになったものも多いから入手できない人もいるし、その時々で音楽性も変化してきているので、バンドの歴史を辿れるようなアルバムがここで1枚欲しいな、と。それで、いろんなタイプの曲を2枚組のヴォリュームで入れられるだけ入れてみようと思って。このベスト・アルバムを聴けば、REDЯUMのことがほぼ把握できる内容になっていると思います。
──『CINEMATIC SOUND FOUNDATION』というタイトルは、以前バンドの自主企画に使われていましたよね。
K:そうですね。バンドのキャッチコピーみたいな感じで自分たちで考えた造語なんです。
──REDЯUMの音楽は映像喚起力が高いものだし、まさに言い得て妙ですね。
K:音を聴いて映像が頭に浮かぶような音楽をやりたいと結成当初から思っていたので、それを表すにはもってこいの言葉ですね。
──選曲はメンバー全員で決めたんですか。
K:メンバー各自に"これは入れたい"っていうのを挙げてもらって、その中で該当するのが多かった曲を中心に決めていきました。いわゆる代表曲みたいなものは一通り揃ったんじゃないですかね。個人的には「ROOM」や「緑の砂漠」といった初期の曲はまず外せないと思いましたね。
──選曲にあたって、過去の音源を聴き直したりはしたんですか。
K:それはなかったですね。普段から割とよく聴いているし、ライヴでも万遍なくやっている曲ばかりですから。"ああ、こんな曲もあったな"みたいなのはなかったです。ホントはもっと曲を入れたくて、泣く泣く選曲を見送った曲がいくつもあるんですよ。会場限定で出した『CRONENBERG』('01年11月)と『4』('02年12月)の中の曲は特に。当時は自分たちでもかなりコアなことをやろうと思っていた時期だったんで。
──このベスト・アルバムを聴くと、Massive AttackやPortisheadに代表されるブリストル・サウンドを基点としながら決して一筋縄では行かない音楽的変遷を辿ってきたのを改めて感じますね。この雑食性だけを見ても、つくづく特異なバンドだと思うんですが(笑)。
K:そこはいつもギャップがあって、自分たちとしては普通に判りやすいことをやってきたつもりなんですけどね(笑)。別段難しいことを唄っているわけじゃないし、メロディも極々シンプルだし。自分で言うのも何ですけど、いいバンドだと思いますよ(笑)。
──それはもちろん。
K:まだまだ俺たちのことを知らない人がたくさんいると思うので、このベスト・アルバムがその良いきっかけになれば嬉しいんですよ。「どのアルバムから聴けばいいのか判らない」と言われることが多いので、まずはこのベスト・アルバムを手にして頂ければと。
──安直な編集盤とは訳が違いますからね。新たにレコーディングされた曲も収録されていますし。
K:「アルタードステイツ」はライヴ盤に収録されていただけだったので、今回録り直したんですよ。ミックスをやり直した曲も結構ありますしね。単純に作品ごとの音のバランスを調整する意味もありますけど、エンジニアのほうからもう一度ミックスし直したいというリクエストを受けたんです。当時録ったのを聴いて、今ならもっと良くなるということで。だからその数曲は当時とはまた違った、曲が生まれ変わった感じになっていますね。
引き合うべくして引き合ったメンバー
──それにしても、バンドの結成から干支が一周してしまったなんて信じられませんね。
K:そう考えると長いなとは思うけど、実感としてはそれほどでもないですね。年がら年中ツアーを回ったり、長い時間を掛けてレコーディングをするようなバンドじゃないですし。まぁ、この程度の活動歴のバンドは他にもたくさんいるし、まだまだですよ。これでようやく、1/3くらいは到達したかな? って言うか(笑)。俺の理想は、お爺ちゃんお婆ちゃんになっても今のメンバーでバンドをやり続けていることですから。
──そもそもKAZIさんとTSUYOSHIさんとYUMIさんはバイト先の仲間で、SOTOさんとは雑誌のメン募を通じて知り合ったんですよね。
K:メン募の返事が来たのは一通だけで、それがSOTOさんからだったんです。SOTOさんは当時、30歳だったのかな。当時の30歳と言えば凄く年上に感じましたけど、実際に会ったら凄く若くて。本人はキャロルとか矢沢永吉さんとかが好きで、メン募で"こんな感じの音楽をやりたい"と名前を挙げていたPortisheadとかTrickyとか、そういうバンドをほとんど知らなかったんです。唯一知っていたのはRadioheadくらいで。
──それでよく応募してきましたよね(笑)。
K:いや、だからこそ良かったみたいなんですよ。次にやるバンドは、自分が全く知らない音楽性がいいと考えていたらしくて。不思議な縁ですね。引き合うべくして引き合った気がします。
──REDЯUMが結成された'96年頃はインディーズがまた活性化してきて、ひとつの枠に収まりきらないユニークなバンドが続々出て来た印象がありますね。
K:54-71やmonoとかとは結成時期が近くて、凄く刺激を受けましたね。純粋に格好いいと思えるバンドもちゃんといるんだなと思って。あと、ネット環境も整備されてなくて、フライヤーも自分たちで切り貼りをするハンドメイドなものでしたね。まだホームページもなかったから雑誌が一番の情報源で、そこに載った小さい写真を見ながら"どんなバンドなんだろう?"とわくわくできる時代でしたよね。
──この12年の間には乗り越えるべき壁がいくつもあったと思いますが、中でもSOTOさんが一度脱退した時('04年12月)はその最たるものだったんじゃないですか。
K:やっぱり、ずっとこの4人で続けたい気持ちが強かったですからね。でも、有り難いことに割と早い段階で直己(平林直己、ex.THE BACK HORN)がバンドに加入してくれることになったので、その時点で解散や休止を考えたことは全くなかったです。逆に、違った人間とやるのも面白いかなと思って、ポジティヴな発想に切り変えていきましたね。
──平林さんは半年後に脱退して、その後は現・無限マイナスの本田裕也さんがサポートとして参加して、'07年4月にSOTOさんがめでたく復帰するというドラマティックな展開でしたよね。どんな経緯で復帰が決まったんですか。
K:SOTOさんがLOFTでやった俺たちのライヴを観に来てくれた時に、バーで一緒に呑んだんですよ。その時に「そろそろいいんじゃない?」と(笑)。SOTOさんは一身上の都合でバンドを辞めることになったんですけど、当時はそのペースに合わせたくなかったんです。でも、やっぱり俺たちにはSOTOさんのベースが必要だった。で、お互いのペースを歩み寄ってやらないかと話したら、もちろん一緒にやりたいと言ってくれて。
──考えてみれば初代ベーシストの方もバンドのペースに合わなくて辞めてもらったくらいですから、何事においてもバンドを優先させる姿勢は一貫していますよね。
K:そうですね。ただ、どうしてこうもベースの出入りが激しいのかは謎ですけど(笑)。
REDЯUMと新宿LOFTの密接な関係
──3年振りに鉄壁の4人が集まって制作されたシングル『TOKYO』('07年10月)は、特定のジャンルに染まることのないバンドの確たる風格の出た傑作でしたね。
K:『TOKYO』を作った時は、その時点での流行りみたいなものには敢えて合わさなかったんですよ。時流になびくよりも、ただ自分たちのやりたいことだけをやったと言うか。結成した当初から天の邪鬼でしたからね。みんながそっちに行くなら俺たちはあっちに行く、っていう。
──結成当初のエピソードで個人的に好きなのは、全国に同じ名前のバンドがかなりあるのを知って、自分たちが一番有名になることでそいつらを全部改名させてやろうと決意したというものなんですけど。
K:そうなんですよ。こっちが有名になれば向こうが変えるんじゃない? っていうことで。
──KAZIさんの中で、この12年間においてターニング・ポイントとなった作品は?
K:やっぱりファースト(『REDЯUM』、'99年5月)ですかね。これが世に出るのは大変な事件だと当時は勝手に思ってましたから(笑)。こんな音楽をやっているのは他にいない自負もあったし。
──僕もMassive Attackの『BLUE LINES』やPortisheadの『DUMMY』、ビョークの『POST』なんかが好きだったので、トリップ・ホップを人力でプレイして日本語で唄うREDЯUMの登場は新鮮な驚きでしたね。
K:それは最初のコンセプトとして決めていましたからね。英詞で唄うのは抵抗があったんですよ。Portisheadに影響を受けたようなバンドのライヴもいくつか観に行ったんですけど、ターンテーブルの力に頼っていたり、マニアックになりすぎて単なる模倣に終わっているのもあったんです。でも、根本は激しいロックが好きな俺たちなら面白いことができると思った。あとはやっぱり、YUMIというヴォーカリストの存在感ですよね。よく男勝りな唄い方をする女性ヴォーカルがいらっしゃいますけど、そういうのはもったいないと思って。俺たちはもっと女性ならではの慎ましさや佇まいを全面に出したかったんですよ。
──YUMIさんのヴォーカルは瑞々しい透明感があって、今回のベスト・アルバムを聴いても傑出したヴォーカリストであることを改めて痛感しますね。
K:良い意味で汚れてないし、無垢な輝きがありますよね。何かに左右されることもないし、凄いヴォーカリストだと思います。
──REDЯUMの軌跡を顧みると、我が新宿LOFTとの関わりが思いのほか多いことが判りますね。新曲ばかりを収録したライヴ・アルバム『ARIZONA DREAM』('03年12月)はLOFTで行なわれたワンマンの音源だし、『TOKYO』を発表した後の復活ワンマン('07年11月)もLOFTでしたし。しかも、今年最もLOFTのバーに立ち寄って下さるバンドマンがKAZIさんであるという情報を店長の大塚君から入手しまして(笑)。ねぇ、大塚君?
大塚智昭(新宿LOFT店長:以下、O):いつもお世話になってます(笑)。
K:この間、「また来たんですか?」って大塚君から言われましたけどね(笑)。
O:いや、それは愛情のこもった表現ですよ(笑)。
K:俺が東京に出て来て一番最初に足を運んだのが、当時小滝橋通りにあったLOFTだったんですよ。東京タワーよりも先に行きましたから(笑)。
──何のライヴを観に行ったんですか。
K:いや、昼間に店の前まで行っただけです(笑)。「ここかぁ...」と外観を眺めて、感慨深かったですよ。当時のバンドのメンバーと「ここに絶対出ようぜ!」って意気込んで。結局、REDЯUMとしては旧LOFTには一度も出られなかったんですけどね。前にやってたバンドで昼のオーディションに出たくらいです。
ライヴハウスに行けば面白いことがある
──REDЯUMの初ライヴは、下北沢251でしたよね。
K:そうです。やった曲もほとんど今と変わってなくて、お客さんが4、5人でしたね(笑)。それも全部バイト先の友達ばかりで。Tシャツとジーパンでステージに立つのがイヤで、YUMIはワンピース、俺たちはスーツを着て出たんですよ。当時、いろんなライヴハウスにデモテープを送ったんですけど、相手にしてくれたのは251だけだったんです。どこもだいたい「一緒にブッキングするバンドがいないんだよね」と言われて。
O:俺がREDЯUMの音楽に一番グッとくるのは、他のバンドと一線を画した"違和感"が際立ったオリジナリティなんですよね。だから「ブッキングするバンドがいない」っていうのも体の良い断りじゃなくて、ホントにそう思われていたような気もしますね。
──何処にも属せない歪さみたいなものは、確かに結成当初から際立っていましたよね。
K:本来の資質や嗜好がそういうものなんでしょうね。皆で楽しく盛り上がるライヴも観に行くぶんには好きなんですけど、自分がステージに立つとなると、そういうのは何処か恥ずかしいんです。そこで共有できるものがないと言うか。乱暴な言い方になるけど、こっちから一方的に見せ付けるやり方のほうが合ってるんですね。それをどう感じるかは人それぞれでいいし、皆が皆同じノリや楽しみ方をするのはどうも腑に落ちないんですよ。
O:REDЯUMのお客さんは、もの凄く泥酔している人と可愛らしい女の子が共存しているんですよ。そこにもいい意味で違和感を覚えるし、やっぱり唯一無二の世界なんですよね。一音を出すと、その場の空気がガラッと変わりますしね。
K:LOFTは俺、メンバーの中でも一番憧れが強かったし、ライヴをやるなら日本一有名なライヴハウスでやりたいとずっと思ってたんですよ。LOFTには他にもたくさん看板バンドがいると思いますけど、俺たちもその中に食い込みたいんですよね。
O:KAZIさんが足繁くLOFTのバーへ呑みに来てくれるのは、その昔、アナーキーの(仲野)茂さんやARBのキースさんが旧LOFTで呑み明かしていたのとオーヴァー・ラップするんですよね。
K:昔からライヴハウスに行くことは好きでしたけど、やっぱり未だに好きなんですね。いろんな人たちと触れ合えるし、そこに行けば何か面白いことがありそうな気がする。今は綺麗なライヴハウスも多いけど、昔は怖い兄ちゃんが集ってタバコの煙が充満していて...ああいう悪い感じに憧れていたんですよ。その感覚が未だにあるのかもしれない。
──KAZIさんから見た今のLOFTは、他のライヴハウスとどんなところが違うと感じますか。
K:大塚君を始め、スタッフに楽しい人が多いですよね。あと、どんな人が来てもウェルカムな温かい感じがある。バンドと同じ視線に立って面白いことをやろうとする姿勢が好きですね。
──LOFTで観たライヴで、とりわけ印象に残っているものは?
K:何ですかねぇ...。自分は九州の出で、解散してしまって当時は観れなかったバンドがたくさんいたんですよ。それが再結成したのを観れたのはやっぱり嬉しかったですね。ARBとか、ROCK'N'ROLL GYPSIESとか。
──そう言えば、KAZIさんはARBのカヴァー・バンド、ARCBとしてLOFTに出演されたこともありましたよね(笑)。
K:ありましたね。LOFTが歌舞伎町に移転した時と、オープン30周年記念の時と。
──ARCB以外で(笑)、ご自身がLOFTのステージに立ったライヴで印象深いものは?
K:やっぱり、ライヴ音源にもなった『ARIZONA DREAM』ですかね。新曲を作って、初めてライヴでやった演奏をレコーディングするっていう。失敗は許されないし、もの凄く緊張していたのを覚えてます。レコーディング部隊もいたし、予算もどれくらい掛かっていたか知っていたので余計に(笑)。でも、結果的にはその緊張感がいいパッケージとなったんですけど。
──大塚君は?
O:どれかひとつを挙げるのは難しいですけど...敢えて言うなら、今年の4月に行なわれた無限マイナス、THE BACK HORNとの対バンですかね。REDЯUMは最新のライヴが常に最高なので。
"桃園の誓い"における義兄弟の契り
──復活以降のライヴは、程良い緊張感を保ちつつも何処か肩の力が抜けた感じもありますね。デンと構えた懐の深さがあると言うか。
K:うん、そうですね。自分たちでも何かが変わったと思いますよ。お客さんの反応も変わってきた感じがするし。それまでは直立不動でジッと聴き入る人が多かったけど、最近は適度に身体を揺らしている人が増えましたね。昔はもっと歌を聴きに来ている感じだったのが、今はサウンド自体を楽しんでいるように思えたり。
──昔のほうが割とサウンド志向が強かったのに、反応が真逆というのもREDЯUMらしいですけど。
K:確かに。昔はパイプ椅子があってもいいくらいでしたから(笑)。今考えると、活動を休止していた頃に自分たちを見つめ直せたのはいい経験でしたね。自分たちがどういう音楽をやりたいのか、どう在りたいのかをそれぞれが考えるのに必要な時間だったと思います。漠然と音楽を続けるよりも、一度仕切り直すことが大事だったんですね。以前なら自分たちがライヴでどういう曲を求められているかとか、そういうことにわざと耳を貸さないようにしていたんですよ。でも今は、求められているんだったらやろうよ、と素直に思えるようになった。
──不定期ながら継続的に続けられている自主企画"桃園の誓い。"ですが、このタイトルの出典は『三国志演義』の中に出てくるエピソードだそうですね。
K:そうなんです。俺が好きなエピソードなんですよ。劉備、関羽、張飛の3人が宴会で義兄弟となる誓いを結んで、「この先は生きるのも死ぬのも3人一緒だ」と宣言をするっていう。まぁ、結局は3人一緒に死ぬことはないんですけど(笑)。その"3"に引っ掛けて、この自主企画は基本的に3マンでやることにしているんですよ。毎回違う顔触れである必然性も感じてなくて、いつも同じ3マンでもいいくらいだと思ってるんですよね。まぁ、今度LOFTでやるのはメイン・ステージとバー・ステージに分かれてたくさんのバンドが出る趣向になっていますけど。
O:REDЯUMの自主企画は、バンド間の距離が凄く近くて濃密なんですよね。まさに"桃園の誓い"の通り、義兄弟の関係に近い。たった一度のライヴに対してそれだけ重みのある言葉を使っても納得の行く関係性なんです。今度の"桃園の誓い。vol.8"も、「REDЯUMのためなら」と二つ返事で出演を快諾したバンドばかりだし。そのイヴェントに出ることがバンドにとってプラスかマイナスかっていう以前の話で皆出演を決めているし、最近はそういうイヴェントが少なくなってきましたね。
K:有り難いですよね。俺たち以外に総勢12組の仲間がお祝いしてくれるわけだから。バー・ステージのほうは基本的に弾き語りで、俺たちのカヴァーもやってくれるみたいで。若いバンドと一緒にライヴをやるのは、刺激と驚きがあって純粋に楽しいですね。"彼らの年齢くらいの時、俺たちはこんなにちゃんとしてなかったなぁ..."とも思うし(笑)。
──今回のベスト・アルバムを発表したことで一区切り付いたところはありますか。
K:ありますね。ここからまた新たなチャレンジをしてみたい感覚もあります。REDЯUMでやれることはまだまだたくさんありますから。今ちょっと考えているのは、初期の頃のアプローチでまたドン詰まりに暗い曲を作ろうかな、と(笑)。あと、鍵盤とか他の楽器を入れたレコーディングにも取り組んでみたいですね。
O:LOFTでもまた何か面白い企画をやりましょうよ。
K:そうだね。7日間連続ワンマンかな、ニューロティカみたいに(笑)。REDЯUMとしてLOFTでライヴをやれるのは、年に2、3回くらいですからね。
O:KAZIさん個人は年に通算100日くらいLOFTに来てくれますけどね(笑)。
K:バーのほうにね(笑)。"桃園の誓い。vol.8"の終演後にそのホームグラウンドで"KAZI NIGHT"があるので楽しみですね。ぶっ通しでセッションをやったり、ビールを注いだりもするので(笑)、是非お立ち寄り下さい。