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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】wash?(2008年2月号)- 一期は夢よ、ただ踊れ! 肉体性を帯びたプリミティヴな音楽性への回帰

一期は夢よ、ただ踊れ!肉体性を帯びたプリミティヴな音楽性への回帰

2008.02.01

前作『HOWLING』以来約1年半振りとなるwash?のニュー・アルバム『Slacker's high』は、5曲(+シークレット・トラック1曲)を収録したミニ・アルバムという体裁ながら、バンドにとっては極めて重要な意味を持つ作品だ。メンバー自らが新たに立ち上げたレーベル"368"からの本格的なリリース第1弾となる本作には、ダンス・ミュージックとしてのロックの可能性を際限まで追求するという志の高いテーマが掲げられている。ミラー・ボールがおあつらえ向きないわゆる4つ打ちのリズムに依存することなく、メンバー4人の腕っ節ひとつで奏でるプリミティヴなロックで聴く者にどこまで陶酔感を与え、血潮を滾らせ、踊らせることができるか。いや、踊らせる云々はもはや彼らにとってはどうでもいいことなのかもしれない。彼らはすでに嬉々として心ゆくまで踊り狂っているのだから。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々。誰かに踊らされるわけでは決してなく、彼らは自らの意志で"踊る阿呆"になることを腹に決めたのだ。これは、ただひたすらにロックに淫し、ロックを奏でることでしか社会と接点を持てないスラッカーな4人の壮絶な覚悟なのである。とは言え、堅苦しく考える必要は何ひとつない。その粗野で武骨なビートとメロディにただ身を任せればいいのだ。あらゆるリスクを背負い込んでバンドという一世一代の大博打に打って出る救いようのない阿呆達の歌は、ぶっきらぼうだがとてつもなく優しく、愛に溢れている。(interview:椎名宗之)

もう一度ファースト・アルバムを作りたかった

──今回、自主レーベル“368”(さん・ろく・はち)を立ち上げたわけですが、このレーベル名の由来は?

大(vo, g):
「36.8℃」から取った。あの歌詞がすべてのスタートだから。一番最初に作った曲じゃないんだけど、当時あの曲以上に自分達を表してるものはなかったからね。未だに凄く大切な曲だし。まぁ、レーベルを立ち上げたっていうほど大袈裟なもんじゃないんだけどね。全部に繋がるきっかけになったのは、それまで所属していたレーベルで俺達に携わっていた熱心なスタッフが辞めたことなんだよ。それでバンドの活動がしばらくの間足踏み状態になってしまったんだけど、新しい曲はどんどん出来る一方だった。で、その時にふと自分の頭の中で“もう一度ファースト・アルバムを作りたいな”と思ったんだ。一般論として、バンドのファースト・アルバムが好きな人って多いでしょ? 俺もその一人だけど。それは何故かと言えば、そこに収められている曲が決してルーティンの中で作られたものではないというのと、その楽曲自体が事前にライヴでもの凄く鍛えられているからなんだよ。直感でひらめいたものだから純度も高いしね。

──そういう純度の高い楽曲を収めたアルバムを作りたかった、と?

奥村:うん。そんなことを考え始めた時に自分達の置かれた状況がリンクしてきて、いっそのこと全部自分達の手でファースト・アルバムを作ろうと思ったんだよね。プレスはもちろんするつもりでいたけど、最初はライヴ会場の手売りでいいやくらいに思ってた。

──陳腐な言葉になりますが、バンドとしての初期衝動を取り戻したいという気持ちもあったんでしょうか。

奥村:何て言ったらいいのかな、たとえば前作のこの辺を伸ばしてみよう、みたいな気持ちで今回は作ってないんだよ。今はもっと根本的に違う立ち位置にいるのを感じている。バンドが1人の人間だとしたら、まるっきり人格が変わったんじゃないかというくらいの違いがある。それを含めてのファースト・アルバムなんだよね。

──確かに、従来のファンの中には今回の『Slacker's high』を聴いて多少の違和感を感じる人もいるでしょうね。

奥村:もちろんいると思う。拒絶反応があってもおかしくないだろうし。でも、幸いなことに俺達はロック・バンドだからね。変わろうとすることやより良くしようとする意志が、それまでの世界を守ろうとする意志よりも大事にして許される文化だから。その幸運に甘えているところはあるね。でも、だからと言って応援してくれるお客さんやシンパ全員が必ずそこに付いてこなくちゃいけないってものじゃないし。今まで見てきたものじゃないものをもっと見てみたいと思ったし、誤解を恐れずに言えばバンドをもっと“普通”にしたかった。“ノーマル”という意味の“普通”じゃないんだよ。自分達がやりたくてやっていることを極限まで突き詰めて追求していくとしたら、自分達1人1人の訳の判らないものがどんどん巨大化していくんだよね。基本的にその巨大化した自分のスタンダードをいつも表現すればいいと思ってる。ただ、以前ならそれが、ありのままを出さずに“じゃ、着替えようか?”みたいなところがあった。その着替え方がだんだんと極致になっていったのかなっていう気がする。もちろんそれは自分の意志でやっているんだけど、たとえば“こういう曲を作ると喜ばれるだろうな”という嬉しい期待値に対して応えたいという気持ちが意識せずにあったんだと思う。

──表現者なら誰しも、聴き手を喜ばせたいという意識が絶対にありますからね。

奥村:うん、いつもそう意識しているわけじゃないけどあったと思う。去年の11月にライヴで無料配布したCDがあって、その中に入ってる「great escape」っていう曲があるんだけど、俺の中でそれは完全に以前のwash?なんだよね。それまでのwash?を好きな人はやっぱりその曲を凄く気に入ってくれるんだよ。俺ももちろん嫌いじゃない。でもね、もう遅いんだ。俺の中の血や肉じゃない気がするんだよ。いつもはTシャツばかり着てるくせに、ちょっと襟付きのシャツを着てる感じがする(笑)。

──なるほど(笑)。それまでのレーベルを離れた去年の春頃から夏にかけて以降、表現に向かう奥村さんの新陳代謝が凄まじいスピードで活発化しているのを感じていましたけれど。

奥村:どんどんシンプルにすることと、構築するアイディアよりもひらめきを大事にすることが今のテーマなんだよね。ひらめきって言うとイージーに受け取られるかもしれないけど、自分の中にある程度の経験やモチベーションといった蓄積がちゃんとないと、出すべき時にちゃんと出てこないものなんだよ。今はそういう自分の直感を信じたいと思ってる。

感情を爆発させる手段としての“踊り”

──だからなのか、これまでの諸作品は微に入り細を穿つ端正さがありましたけど、『Slacker's high』は粗野で剛気な部分が突出した作風に変化したのを強く感じるんですよ。ひと思いに大鉈を振るうような豪快さを湛えた楽曲が揃っていると思うんです。

奥村:そうだね。意味は判らないけど凄いとか、何故か判らないけど好きだとか、そういうものに近付けたかったんだよ。それこそが本物だと思うんだよね。今までは“No”と言っちゃいけないものを作ってるような気がしてた。今回は意味が判らずに切り捨てられてもいいものを敢えて作りたかったんだ。「マッチョ」みたいな“なんじゃそりゃ!?”っていう曲が今の俺は大好きなんだよ。仮に2、3年前の俺が「マッチョ」を新曲として持ってきたとしたら、みんな絶対に付いてこなかっただろうけどね(笑)。

──「GOD save the Princess」「マッチョ」「Sleep walkers」という前半の3曲は特に、メロディを研ぎ澄ますというよりはこれまでになくリズムとビートを全面に押し出すことに特化していますよね。“えいやッ!”と力業で薙ぎ倒すような意気を感じるし。

奥村:うん。ロック・ミュージックとして“踊る”ということを追求したかったんだよね。削れば削るほどそこが残っていくようなところが俺の中にあって、一度きっちりと向き合わなくちゃダメだなと思った。だから、今は踊れるか踊れないかが曲を作る時の肝になってる。

──リトル・リチャードやチャック・ベリーの例を挙げるまでもなく、ロックンロールの源流はパーティのダンス・ミュージックだったわけだし、もっと言えば古代から豊作や祝い事に踊りは欠かせないもので、人間のDNAに刻まれているものですよね。

奥村:そうなんだよ。雨乞いの時だって踊るし、楽しい気分の時も踊るし、辛さを忘れたくて踊ることもある。それをダンスと呼ぶかどうかは別にしても、感情を爆発させる手段のひとつとして“踊る”という行為や概念があると思うんだよね。今まではその感覚に近いものを構築することで表現しようとしていたんだけど、よくよく考えてみると、それはそのパターンにハマッたことのある人しか反応できないような気がしたんだよ。そこまで判り合わなくてもいいところで何かできないかなと思ってさ。どうせどんなやり方をしたって誤解されるんだし、誤解上等でやらなきゃいけないしね。

──己の動物的な勘に重きを置く本来の資質に目覚めたということなんでしょうか。

奥村:ずっとやりたかったことなんだけど、自分の中でちゃんとしたオチが付いてなかったんじゃないかな。

──私見ですけど、『HOWLING』に収録されていた「スカーレット・ヨハンソン」のようにひとつのリフレインだけで最後まで引っ張る力業ありきの楽曲は以前にもあったし、本作に繋がる土壌はすでに整っていましたよね。

奥村:そう思う。ミニ・アルバムという形態はやったことがなかったから、今回は最初からミニを作りたいと思っていたんだけど、今までのようにフル・アルバムを作るやり方だと収拾が付かなくなると思ったんだよね。入れられるのも5、6曲だけだし。だからこそ、ライヴで生き残ってきた曲の中でも同じ傾向の曲…つまり踊れる曲に絞ってみたんだよ。候補曲は15曲くらいあって、それをリスト化してみんなでどれを入れるか決めたんだけど、選ぶのはだいたい似てたかな。ただ、俺が「『great escape』は入れない」と言ったら、他のメンバーから「え、いいの?」って言われたけど。新曲群の中でも凄く評価の高かった曲だからね。

──先ほど伺ったように、「great escape」は奥村さんの中で旬が過ぎていたわけですね。

奥村:無料で配布したCDの中に入れられればそれでいいかなと思って。滅多に聴けないっていう特別感をライヴに来てくれた人達に持ってもらえるし、“もう一度ファースト・アルバムを作りたいと言ってるのに、それかよ?”っていう自問自答もあった。それだけ周囲からの評価が高い曲とは敢えて決別するくらいの意識で臨まなければダメだとも思ったし。要するに、自分達の中のスタンダードの位置が以前とは全然違うんだと思う。

──レコーディングもすべて自分達の手で進めていったんですか。

奥村:個人的に髭(HiGE)の手伝いをしていた時にエンジニアだった清志君(bloodthirsty butchersの『ギタリストを殺さないで』やtoddleの『Dawn Praise the World』、BEYONDSの『WEEKEND』などを手掛けた植木清志氏)が俺達の『HOWLING』を凄く気に入ってくれて、「新曲、ヤバイのがいっぱいあるんだよね」なんて話をしていたら「是非一緒にやりましょうよ」って言ってくれてね。その清志君の一言が今回のアルバムを作る最終決定と言っても過言じゃなかった。それから『HOWLING』のアートワークやフライヤーとかで世話になってるショウヘイ(デザイナーのショウヘイ・タカサキ)も「描かせて下さいよ」って言ってくれたり、MAZRIのチームからも「PV撮りましょうよ」って言ってもらえたりして、凄く有り難かったね。「もう予算ないんですけど…」ってMAZRIの人に言ったら、「関係ないですよ、気にせず撮りましょうよ」と言ってくれたり。そういうのが本当に嬉しかったんだよ。そこまで言われたら、ちゃんとお店に並んでるものにしないと申し訳ないと思ってね。

──いざという時に力になってくれる人脈はまさに財産ですよね。wash?は特にそういった頼もしい関係者が周りにたくさんいると思いますよ。

奥村:本当にそう。その人脈がすべてだし、凄く有り難いことだよ。

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