バンジージャンプフェスティバルの解散から2年。ソロとして活動し、ついに初のフルアルバムをリリースすることとなった町田直隆。タイトルは『栄光なき兵士達に捧ぐ』。バンド時代を経てソロとなってから作られた楽曲達は、町田直隆というパーソナルに焦点を絞り、よりリアルな言葉となって伝えられている。また、10年という時を過ごして手に入れた大切な仲間達の協力もあり、多くの人の魂が込められているように思う。今回のインタビューに参加して頂いたエンジニア高原さんや、サポートベース横山さんの言葉も含め、この作品に携わった誰もが自分の作品のように愛し、情熱を注いだんだと、彼らの言葉の端々から感じ取ることができた。全ての奇跡が重なり合い、それは必然としてこれほどの素晴らしい作品になったのではないだろうか。他誌では読むことができない町田のストレートな感情を受け止めて頂きたい。(interview:やまだともこ)
立ち止まることなく駆け抜けてきた10年
──音楽活動10周年を迎えましたけど、これまでを振り返ってみてどうですか?
町田:長いようで短くて…。帰り道でいろいろと思い出してみることはありますけど、10年が経ったという実感は全然ないですね。
──バンジージャンプフェスティバルで8年活動して、ソロで2年。
町田:バンジーで8年やった実感がないんです。ソロをやり始めて2年経つのかなって不思議な感じもしますね。もっとやってた気もするし、もっとやってない気もする。駆け抜けてきたから、立ち止まってゆっくり考える時間がなくて…。気が付いたら10年って感じですね。
──それは立ち止まらないようにしていたということですか?
町田:そうですね。休んで考えることが増えるとどんどんネガティブになっちゃうから、考えるヒマがないぐらい動いていた方がいいんです。解散して間をあけてたら精神的に落ちちゃってたかもしれないな。バンジーで活動してた時からソロもやっていたけど、解散してソロでやろうという発想はなかったんですよ。でも、解散の次の日にライブに誘ってくれる人がいたりとか、解散を発表していてもソロでの出演依頼があって、こういう選択肢もあるなって思えて、そのおかげで今もやれてる感じはしますね。
──ソロでやっていても、いつかはバンドでやりたいという気持ちはありました?
町田:ありましたよ。もともとバンド育ちだし、音楽をやろうと思ったきっかけが「バンドをやりたい」だったから、今は町田直隆&PK BATTLESというソロ名義のバンドで活動しているけど、ソロ名義じゃないバンドをやりたくなったらやるかもしれないですね。
──バンジーの時代を経て、ソロで活動していく中で気付いた事ってありますか?
町田:いろいろあります。ライブのブッキングも、スケジュール管理もお金の計算も、全部自分がやることになりますからね。ライブに対する緊張感もバンドとは違って、大変だなって最初は思いましたよ。でも、ソロにしかできないことがあるから、そういう楽しさは見つけられて良かった。曲順とかバンドだとバッチリ決めて意思疎通してやらないとならなかったけど、突然曲順を変えたり、突然曲調を変えたり、1人だと好きなようにできる。
──町田直隆&PK BATTLESでは、ソロの時と同じぐらいに自由にやれてる気がしますが…。
町田:ソロを経て、バンドでもそれができたらすごい面白いんじゃないかって。そういうスリルがバンドにも欲しい。僕が見る側だったら予定調和でこう来るんだって想像できるライブより、次どう来るんだろう、今日はどういう演奏なんだろうって1曲1曲ライブによって変わるのが面白いと思う。PK BATTLESは、そういうハプニング的なことを含めてライブを楽しみたい人達だからすごい気が合う。すごい楽しいんです。
──PK BATTLESのメンバーはどう決めたんですか?
町田:最初にNANANINEのpeco(PK/Drums)がなんかのライブで一緒になって、「いつか一緒にやれたらいいね」みたいな話をしたままになっていたんだけど、ある日「町田君、ヒマやったら俺と一緒にやらんと?」って突然電話がかかってきて。その時は例え2人とはいえバンドをやるのは疲れていたから、そこまでノリ気じゃなかったんだけど、試しにリハに入ってみたらすごい面白くて一緒にやっていこうよって。それからどんどん欲が出てきて、キーボードとかベースが入ったらもっと面白いんじゃないのって今の形になった。吉澤さん(Key)はバンジーの時からお世話になっていて、弾き語りでやってるときもピアノがいることは自分の中で“あり”だったんです。吉澤さんと2人でやってるときもありましたから。
現実に苦しみながら生きている人達へ
──バンジー時代からソロになった時は変わったという感じがしましたけど、ソロからと今のバンドでやってる町田さんは変わったという感じはないですね。
町田:バンジーは、曲順もちゃんと決めて何回もリハをやっていて、それはそれの面白さと緊張感があって、ヒリヒリとしたスリリングなライブだったと思うんですよ。で、ソロになったら違うライブの楽しみ方をしたくて自然にこうなったんです。音楽に長く関わってくるに連れて、ライブも音楽も楽しくやりたいよねって。バンジーの時が楽しくなかったわけじゃなくて、もうちょっとリラックスして音楽を楽しもうって思ったんです。歌の世界はバンジーの時代から変わってないですからね。
──『拝啓ロックンロール』も、かなり尖ってますよね。
町田:僕にとってソロの活動はバンジーをやってきた上でさらに自分の可能性を広げたものなんです。ヒリヒリの部分はもっとヒリヒリさせて、楽しいところはもっと楽しくさせて。
──曲の作り方は変わりました?
町田:バンジーの時は、メンバーの癖も含めて一番合うのはどういう楽曲かを考えながらやっていたところがあったけど、ソロになったら自分が作りたい曲を作ればいいんじゃないかってパーソナルに近いものを作るようになりましたね。
──今回、アレンジはPK BATTLESのメンバーと一緒に考えたそうですが…。
町田:僕、アレンジ能力がないんですよ、全然(笑)。それに各パートが、それぞれの解釈でやったほうが気が楽だし楽しいんです。基本的には楽しくやりたくて集まってくれてるから、みんなが「こうしたほうがいいんじゃない?」っていうほうが曲が面白い方向に行くんですよ。本当はハードロックの曲を書いてきたのに、バンドで合わせたらテクノになりましたとかだったらさすがにちょっと違いますねって言うけど、最終的に全然違う楽曲になってもこれはこれで楽しめると思ってます。
──そうやって全然変わった曲ってあります?
町田:『絶望ファンクラブ』は最初に作った時より全然違う感じになりましたね。弾き語りの時はもうちょっとゆるい曲だった。
──私、アルバムの中でこの曲が1番好きでした。
町田:ホント? 僕も好き。この曲も俺がアレンジしたっていうよりは、バンドでアレンジしたっていう感じ。pecoがアレンジするのが好きで主導権を握ってくれた曲が多い。
──あと、全曲キーボードもきれいに響いてましたね。
町田:吉澤さんにはイメージしか伝えてなくて、きれいなのとか切なくなるのとかしか言わないけど、それで解釈してやってくれた音がまさに! だったりするから。
──『打倒運命』はのキーボードはキラキラした音になってましたね。
町田:まさかそういうピアノを弾いてくれると思わなくてビックリしましたよ。こういう感じだろうって言うのができちゃうからすごい。今回のアルバムは吉澤さんのピアノはかなりポイントですね。吉澤さんに関しては絶大なる信頼感があって、何も言わなかったとしても自分が想像してる通りに弾いてくれることはわかっているから。吉澤さんがいなかったらできなかった。みんないなかったらできないんだけど。
──アルバムタイトル『栄光なき兵士達に捧ぐ』も気になるところでしたが。
町田:2003年ぐらいに、友部正人さんが定期的にやっているポエトリーリーディングのライブに参加させてもらったんですけど、その時に朗読した詞に「栄光なき兵士達に捧ぐ」っていう言葉があるんです。その詞を書いた時に、これをタイトルにしてアルバムを作りたいと思ったんです。その時にバンジーで活動していたけど、バンジーのアルバムタイトルとは違うんだよなって。栄光なき兵士は、戦わなきゃいけなくて死んでいく兵士たちと、いろいろ夢があって一生懸命生きていて、でも現実に苦しみながら生きている人達へ捧ぐ。昔から一貫して思っていることで、僕の歌のテーマがそこにあるんです。アルバム通して聴くと頷けると思うんですよ。
──町田さんってみんなでワイワイしてるイメージはないし、そういうイメージだから“らしいな”っていう感じがしましたよ。
町田:みんなとワイワイすることはないですね(笑)。
──どういうときに一番気持ちがワクワクします?
町田:1人で森に行って昆虫を探してる時。今テンション高いわ!って思う(笑)。昆虫を心から好きで、昆虫に対する思いが俺と同じぐらいあるヤツだったら2人でもいいけど。
──(笑)アルバムトータルで孤独を匂わせる感じですが、だからと言って曲が全面的に悲哀を感じるかと言ったらそうではないんですよね。
町田:それが、音楽の良いところだと思うんですよ。歌に込める想いは基本的に悲しいものだとしても、音楽になった瞬間にポジティブなものになる。だから音楽が好きなんだろうなって思いますよ。
──『東京ファック』だって詞だけ読んだら相当ネガティブだけど、曲になってみると全然そんな気持ちにならないですしね。
町田:そういうことができるのって僕の選択肢の中には音楽しかなくて、だから音楽やってるんだろうと思うし。音楽にしてる時点でポジティブなんですよ。