98年九州ツアーの回想、ジョン・ゾーンとの共演
吉田 肇:意外にもと言いますか、達也さんがRooftop初登場ということもありますんで、いろんなことを読者に伝えられたらなと思います。まずですね、RUINSの九州ツアーをやりましたけども、あれが98年の春ですかね?
吉田達也:ツアーって、磨崖仏フェスティバルのこと?
吉田 肇:そうですね。福岡のビブレホールと、熊本のジャンゴと、北九州のマーカスの3ヶ所ですね。
吉田達也:それが最初だったかなぁ…。その前にRUINS単独で1回やったような気がするんだけどね…忘れちゃった(笑)。
吉田 肇:一番最初は、確か岡山ペパーランドの能勢さんの仲介で「RUINSを九州でやれないか?」っていう話を頂いて、達也さんも直接電話を掛けてきてくれたんですよ。正直、そのお話をもらった時に相当ビビったんですよ、「RUINSの吉田さんって人からから吉田さんに電話ですよ!」って言われて(一同笑)。何故かって言うと、やっぱり高校生の時にYBO2とかあぶらだことか聴いてて、そのドラムの人がベースとデュオでRUINSっていうのをやってるっていうのも知ってたんで、もの凄いおっかない人に違いないと思ってたんです(笑)。でですね、その当時の達也さんを取り巻く状況とかってどんな感じだったんですか?
吉田達也:98年って言うと、佐々木君(RUINSの4代目ベーシスト)が入ってから2年目くらいかな。RUINS以外にもいろいろとバンドを立ち上げていって一段落しているくらいかな。ジャズ系の人とやり始めたのもその少し前ぐらいからじゃないかな?
吉田 肇:RUINSのプロフィール的に言うと、海外進出を本格的に始めたのは90年代に入ってからですよね?
吉田達也:そうだね、大体90年くらいかな。
吉田 肇:その時の向こうでの活動ペースだったり、国内での活動状況だったり、今と比べてどんな違いがあります?
吉田達也:いやぁ~、今も昔もアンダーグラウンドで、客の数はあんまり変わらないよね(笑)。なのでやってる店とかはほとんど同じですね。客層とかはちょっと違ってきてるのかな。以前はハードコア/プログレ/ジャズとジャンルによって客層は別々だったんだけど、音楽自体がどんどんボーダーレス化するにつれて聴く側もあまりジャンルにこだわらなくなってきてるんじゃないですかね。
吉田 肇:僕らの聴き方っていうのが、福岡だったからかもしれないですけど、まさに逆輸入方式だったんですよね。ニルヴァーナとかソニック・ユースが「日本のオルタナ・バンドは面白い」って言うので、RUINSやボアダムズを知ったっていう感じだったんです。
吉田達也:まぁ、東京にいる人はそうでもなかったかもね。そういうことで客が凄い増えるとかいうこともなかったからね。
吉田 肇:そうなんですね。でも、福岡みたいに隔離されてる所だと、雑誌なり、電波媒体なりから情報が入って来てたので。で、海外での活動ペースはどうでした?
吉田達也:えっとね、RUINSで年に1~2回とかは海外に行ってたんじゃないかな。アメリカとかヨーロッパに。
吉田 肇:その時の向こうでのお客さんの反応っていうのはどうでした?
吉田達也:やっぱり向こうのほうが反応はいいよね。日本より知名度もあるし。
吉田 肇:海外にはそういう土壌があるなって思います?
吉田達也:特にアメリカなんかはね。日本だとインディーとメジャーの落差が凄いけど、アメリカのインディーっていうのはメジャーと比べてもインディー自体の層が厚いから、どんな変な音楽でもメジャーになる可能性っていうのが高いよね。客の聴き方も凄いオープンだしね。
吉田 肇:音楽を聴く楽しみ方が根本的に違うんですかね?
吉田達也:違うよね? 日本はマスコミに左右されるのが多いもんね。
吉田 肇:そういった状況で海外でライヴをやりつつも九州に来たわけなんですけど、あの九州ツアーをやった感想を今聞いてもいいですか?(一同笑)
吉田達也:九州と言うか、博多と言えば「めんたいロック」というイメージしかなかったんで、RUINSなんて絶対受けないと思っていたんだけど、PANICSMILEみたいな変なバンドがいて、そういうシーンがあるのを知って結構ビックリしたよ(笑)。
吉田 肇:ありがとうございます! でですね、そのツアーでRUINSを待ち望んでた人とか、達也さんのRUINS以前のキャリアを知ってる古いお客さんとかも来たと思うんですよ。
吉田達也:来たんですか?
吉田 肇:えぇ、来ましたよ!
吉田達也:少し?(一同笑)
吉田 肇:(笑)あのツアーは僕的に凄い有意義なツアーで、その時のエピソードについて話すともの凄い文字数になるんで端折りますけど、ベースの佐々木さんから、カナダにRUINSでライヴをやりに行った時にNO MEANS NOのメンバーがライヴを観に来てサインをねだられた、っていうもの凄い話を聞いたんですけどね。
吉田達也:へぇ? そんな話があるんだ(笑)。それはちょっと覚えてないけど、オレはしてないなぁ?
吉田 肇:NO MEANS NOって言うと、僕らはもちろん観たこともなく、音源を聴くことしか出来ない凄いバンドっていう認識があったんですよ。だからあの頃、「NO MEANS NOはRUINSに影響を受けたに違いない!」ってみんなで話してたんです(笑)。
吉田達也:いやいや、向こうのほうが早いとは思うけどね。影響を…オレも影響を受けてるとは思うけどね。音楽的にもそうだし、インディペンデントな姿勢とかにも共感出来るよね。
石橋:私、大学生の時にNO MEANS NOに宅録のテープを送って、ロブ・ライトからお手紙で返事が来ましたよ(一同爆笑)。
吉田達也:ハハハハ、それはいい話だ。あとね、彼らは自分達で録音してるじゃない? あのスタジオで録音したいなと思って問い合わせしたんだよね。そしたら結構高かったからやめた(一同爆笑)。
吉田 肇:じゃあやっぱり、交流はあったんですね?
吉田達也:いや、交流はない(一同爆笑)。
吉田 肇:ダハハハハ! 問い合わせだけですか!
吉田達也:しかも、レーベルにね(笑)。
吉田 肇:それ以外にも、高円寺のスタジオでジョン・ゾーンとセッションしたって話も聞いたんですよ。
吉田達也:それ、録音じゃなくて?
吉田 肇:リハをやったって聞いたんですよ。
吉田達也:いや、ジョン・ゾーンとは録音もライヴもやったけど、その為にリハはしないんじゃないかなぁ。その時か判らないけど、20000ボルトでライヴをやったね。RUINSと、ジョン・ゾーンと、フレッド・フリスで。あっ、あとNULL(ZENI-GEVA)も。で、『MASSACRE』の曲をやったりしたよ。
一同:うわぁ? 凄い!
吉田 肇:そういう話を聞いてですね、ジョン・ゾーンと言えば当時僕らは『NAKED CITY』を聴いて初めて知ったくらいだったんで、NO MEANS NOに続きまたそこでビビりましたよ(笑)。そういう意味で凄い刺激になったツアーで、ホントにその節は九州まで来て頂いてありがとうございました!
吉田達也:いえいえ(笑)。
吉田 肇:その時にRUINSがやったライヴは確実に九州に種を蒔いていって、今まさにそういうムチャクチャなバンドが増えてるんですよ。最近、確実に吉田さんの影響がでかいなと思ってたんです。
吉田達也:それは光栄です(一同笑)。
吉田 肇:僕らも当時からKIRIHITOとか突然段ボールみたいに、これ以上ないオリジナリティを持ったバンドを福岡に呼ぶのに夢中だったんで。
吉田達也:それも大変そうだよね。
吉田 肇:で、そのツアーの後に僕たち上京したんですけど、いきなりベースをクビにしまして(苦笑)、その後ホッピー神山さんに気に入られてアルバムを作った際に、ベースの佐々木さんからコメントもらったりとお付き合いさせてもらうんですけど、初めて3人編成になったPANICSMILEとRUINSで対バンしたんですよ。
吉田達也:それっていつ?
吉田 肇:確か99年の年末だったと思うんですけど、ライヴ終わって楽屋に戻ったら達也さんと佐々木さんがいて、「4人より今のほうがいいよ!」ってもの凄い勢いで言われたんですよ(一同笑)。で、その後にドラムが抜けて、それで石橋さんの登場になるんです。それが2000年くらいですね。石橋さんの加入後は試行錯誤して、僕が唄うのを辞めて石橋さんが叩きながら唄うっていう形になったんですよ。
吉田達也:その間はオレ全然観てないんだよね。なんかの雑誌で、女の子のドラムが入ったんだっていうのは知ったけどね。