ロフトのライブDVDシリーズ第一弾として、長いキャリアを持ちながら、今なお熱いライブを繰り広げているニューロティカとフラワーカンパニーズという2バンドによるスプリットライブDVDが発売! さらにはロティカ、フラカンにGELUGUGUも加えた3バンドでの「俺たちいつでもロックバカ!」ツアーも、この6月から開始される! その上、DVDと同時発売でフラワーカンパニーズのシングル「下北沢へ出かけよう/下北沢へ出かけない」も発売されるという盛りだくさんの今月。というわけで、ニューロティカとフラワーカンパニーズから、ボーカルのアツシさんと圭介さんに、再開発問題で揺れる下北沢にて色々と語らってもらいました。(interview : 北村ヂン)
自分たちの曲のようにやってました
──ニューロティカが23周年、フラカンが18周年という長いキャリアを持つ2バンドですけど。圭介さんはリスナーとしてロティカを聴いていた時期もあったんですよね。
圭介:一緒にやらせてもらうまでは生でライブを観たことはなかったんだけど、もちろん音源は聴いてたし、宝島とかのビデオも観てましたよ。
アツシ:曲よりもギャグだったけどね、宝島は。
──曲もカバーしたりしてたらしいですけど、それはどういうバンドだったんですか。
圭介:高校生の頃にドラムの小西くんと一緒にやってたバンドなんですけど、最初はラフィンなんかのコピーをやってたんですが、当時、インディーズブームが盛り上がりかけてた時期で、名古屋に一件だけ「ロックンロール・スウィンドル」っていうパンク・ショップみたいな店が出来て、そこでニューロティカのファースト・ソノシートを買ったんですよ。それに「青いお空に」っていう曲が入ってて、弟と良く聴いてたの。メチャクチャ良い曲だなって思って。
アツシ:ありがとうございます!
圭介:で、バンドでもやったんですよね。ラフィンは当時から売れてたからみんなわかるんだけど、ニューロティカはみんな知らなかったからオリジナルだと思われてましたね。「あの曲良いねぇ」とか言われて(笑)。こっちもあえて言わずに、自分たちの曲のようにやってましたから。そしたら、高校で一年上のパンクバンドをやってた人から「あれ、ニューロティカの曲だよねって」言われちゃって、バツの悪い思いをしましたね。
──その後、ロティカはバンドブームの流れに乗って一気に売れたという感じだったと思いますけど。
アツシ:完全に乗ってましたね。スカブームにも乗ったし、お笑いブームにも乗ったしね。全部乗っかってますよ(笑)。昔っからフェイクだからね(笑)。
──一方、フラカンはバンドブーム終焉後のデビューですよね。
圭介:バンドバブルが崩壊したとか言われてて、バンドなんか絶対に売れないとされていた時期ですね。ちょうど渋谷系とかが来てた時で、バンドはそういうしゃれた感じじゃないとダメで、ライブハウス系なんかダメだって言われてたんですよ。実際売れなかったですね、全然。
アツシ:フラカンはメジャーに行くのが決まってて東京に出てきたの? それとも東京出てきて何年か経ってからメジャーなの?
圭介:東京来て、一年くらい経ってからですね。
アツシ:それは、一年経ったら……とか約束されてたとかじゃなくて?
圭介:いや、違うんですよね。名古屋にいる時コンテストに出たら、名古屋のソニーの人が良いって言ってくれて、ライブにもちょくちょく来てくれるようになったんですけど、プレゼンにかけるって言われたまま全然引っかからなくて。それから、たまに東京に行ってはレコード会社の人をライブに呼んだりしてたんですけど、全然決まらなくって。結局、事務所だけついたんですけど仮契約だったんですよ。レコード会社が決まったら本契約しましょうっていう感じで。それで、もう名古屋いてもしょうがないから、バイトしてお金貯めて自分らで東京出てきたんですよね。それから一年間、月に3、4回ライブやって色んなレコード会社の人に見せてやっと決まったっていう感じですね。
アツシ:ああ、やっぱり全然違う道のりだね。俺は東京育ちだからね。昔、九州から出てきてるヤツなんかに「良いよね、帰るところがあって」って言われてたから。確かに、独り暮らしはしてたけど300円くらいで実家の八王子まで帰れたしね。
──ブームの最中と終わった後っていう違いもあるんでしょうね。
圭介:そうでしょうね。イカ天ブームが去って、TRFとかが売れてた時期ですからね。小室系とか渋谷系が全盛の時代ですよ。それから僕等の同期くらいのミッシェルが徐々に売れ出して、またちょっとづつバンドブームみたいなのが起こってきて、ハイスタとかが出てきて、エアジャム系のムーブメントが来て、シーンはパンク一色になっちゃって、みんな短パンになっちゃって……。そういうのには全然乗れてないんですけどね。