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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】高橋まこと×佐々木順男×渋谷研一×早坂洋一×鈴木哲朗(2007年1月号)-『高橋まことは俺達の誇りです』

『高橋まことは俺達の誇りです』

2007.01.01

BOφWYのメンバーとしてその名を馳せ、De+LAX、GEENA、BLUE CADILLAC ORCHESTRA、DAMNDOGと数々の名バンドを渡り歩いてきた日本が世界に誇るアトミック・ドラマー、高橋まこと。そんな彼が自身の半生を振り返り、これまで明かされることのなかったエピソードを余すところなく赤裸々に綴った自叙伝が今春刊行される。これを記念して、彼の音楽人生を語る上で欠かすことのできない地元・福島の旧友が一堂に会し、"ミスター・8ビート"の知られざる素顔について彼らに存分に語ってもらった。(interview:椎名宗之)

まこと人生初のバンド“ザ・ウォーカーズ”

──みなさん、まことさんと最初に出会ったのはいつ頃なんですか?

高橋:まず、順男と出会ったのは小学校の3年生か4年生だったよな?

佐々木:4年生の時だったかな、確か。

──佐々木さんはその当時からノーキー・エドワーズ(ヴェンチャーズ)と同じようにギターを弾ける名手で、まことさんも自叙伝の中で「俺にとって音楽の先生であり、彼の存在なくしては今の高橋まことはないと言い切れる」と書かれていますね。

佐々木:いやいや、滅相もない。自分で買ったんじゃなく、親戚のお兄ちゃんからエレキを借りて弾いてたから、ギターを手にしたのは確かに早かったですけどね。

──当時エレキ・ギターを持っているなんて、かなり裕福な家庭だと思うんですけど。

佐々木:そんなこともないですよ。でも、まことの家は俺達のレベルからするとやや金持ちでしたね。欲しいLPもバンバン買えてたから。

──まことさんが幼稚園の頃、高橋家のお茶の間には既にテレビがあったそうですからね。

高橋:まぁ、それとこれとはアレだよ、テクニック的なモノとは全然違うからさ。ギターは順男が一番弾けたから、バンドの中では自ずと音楽的なリーダーだったよね。順男は元々学級委員長とかもやっていて、人をまとめる術にも長けてたしさ。当時は空前のエレキ・ブームで、最初はもちろん俺もギターをテケテケ弾きたかったんだよ。

佐々木:そう、最初まことはサイド・ギターだったんだよね。

高橋:うん。でも、余り巧くなかったんだ。どれだけ一生懸命練習しても、なかなか手が思うように動かなくてね。それで結局、順男の勧めもあってドラムを叩くことにしたんだよ。

──“サイド・ギター”高橋まことは当時どんな少年だったんですか?

06_ap01.jpg佐々木:まんまだよね、今のまんま。

高橋:まぁ、ギターの才能はなかったけどね(笑)。

──まことさんが生まれて初めて組んだ佐々木さんとのバンドは、結局どれくらい続いたんですか?

高橋:小学校6年の時にみんなで集まって始めて…。

佐々木:中1じゃない? ちゃんとしたエレキ・バンドらしくなったのは。ヴェンチャーズのコピーから始めて、グループ・サウンズやって、ビートルズもやって…。あの頃、バンドをやってるなんて言ったら完全に不良扱いだったもんね。「バカになるからギターなんて弾くな!」って先生から言われたし。

──はははは。そんな大袈裟な。

佐々木:いや、冗談じゃなく本気で言われたんですよ(笑)。そういう時代だったんです。

──その最初のバンドがNUCLEARSですよね。

高橋:そう。俺、自分でロゴ・マークを描いてドラムのヘッドに貼った覚えがあるんだよ。

佐々木:いや、確かその前に“ザ・ウォーカーズ”じゃない?

高橋:あッ!(と、手を叩く) そうだ、ウォーカーズだ! やっと思い出した!

──それはやはりウォーカー・ブラザーズに影響を受けて?

佐々木:それはどうか忘れてしまいましたけど、ザ・タイガースにかぶれてたのは事実ですね(笑)。

高橋:後年、俺がHEROに加入した時に順男をギターに誘いたかったんだけど、タイミングが合わなくてな。

佐々木:うん。まぁ、東京に行かなくて正解でしたよ。俺はまことと違ってまるで根性ないですから(笑)。

“ガレージ・バンド”ならぬ“蔵バンド”

──渋谷さんと早坂さんがまことさんと出会うのはその後ですか?

渋谷:全然後ですね。

高橋:俺は高校受験に失敗してるから、みんなと一年ズレてるんだよね。順男が先に高校を卒業して大学に行ってバンドができなくなったから、自分でなんかやらなきゃ、と。その頃に研一と知り合って、俺が室内装飾の会社に就職した頃に研一のやってたGRAPE JAMっていうハード・ロック系のバンドに参加するんだよ。そのGRAPE JAMとして、当時国内最大級のロック・イベントだった『ワンステップ・フェスティバル』にも出演したんだ。早坂とは、GRAPE JAMが終わった後に知り合ったんだよね?

早坂:終わった後なんだけど、やってる頃から関わりはあったんだよ。その頃は今で言うボーヤみたいな役割をしてたよね。

高橋:そうだ。GRAPE JAMが東京へ行った時は、早坂が運転手をやってくれたんだよな。高速道路なんてまだない時代だから、夜通しずっと走ってさ。

早坂:そうそう、渋谷にあったジャンジャンとかに行ったよね。僕がまこととバンドとして関わったのは仙台時代で、暗剣殺というバンドをまことと渡辺知倫(GRAPE JAMのヴォーカル)という男と3人でまずやって、それが発展したKING BISCUITというウエストコースト・サウンドのバンドまで一緒でしたね。

──鈴木さんの、当時のまことさんの第一印象というのは?

鈴木:こっちは優等生だったから、“ヘンなヤツだなぁ”と(笑)。やっぱり、凄く個性的だったよね。当時付き合いのあった連中とは一味違うものを持ってた。 ─木─鈴木さんはバンドをやろうと思わなかったんですか?

鈴木:僕はダンス部だったから(笑)。才能もないし、音楽はもっぱら聴くだけです。ここにいらっしゃる4人は本当に演奏がお上手ですよ。まことは別格かもしれないけど、僕みたいな素人が聴いても巧いなと思う。

高橋:哲朗は高校1年の時から同級で、最初はまだそれほど親しくなかったんだよね。

鈴木:だって、まことはどちらかと言えば不良系だったから(笑)。学校で行っちゃいけないと言われてたボ−リング場や喫茶店にもよく出入りしてたからね。

高橋:でも、ジャズ喫茶とかは哲朗と一緒によく行ってたよね。夜に家を抜け出してさ。

鈴木:当時はそれを不良って呼んでたんだよ(笑)。まことに「家に泊まりに来い」って言われて初めて行った時に、6畳間のまことの部屋にドラム・セットがドーンと置いてあったんですよ。寝る場所もなくて、僕は押し入れに寝させられたんですから!(笑)

佐々木:タイコのほうが大事だったんだね(笑)。その6畳の部屋でよくバンドの練習をしたよね。

──エッ、普通の民家でバンドの音出しですか?

高橋:近所から苦情もあっただろうけど、うまいことおふくろが止めてくれてたんじゃないかな?(笑) 俺、煙草を吸ってるのが運悪く見つかって謹慎処分を受けたことがあったんだけど、それがちょうど文化祭の練習時期と重なってたんだよ。で、期間中にみんなで俺の部屋に集まってバンドの練習をドカドカしてたら、「謹慎中のくせにそんなことやって!」ってウチのおふくろに凄い剣幕で怒られたことがあったな(笑)。

佐々木:そうそう。あの時ばかりはみんなでスゴスゴと引き返したよな(笑)。

渋谷:でも、謹慎中で家に居るんだから間違ってはいないよな?

高橋:まぁな(笑)。

早坂:当時は今みたいにスタジオなんてないし、家が農家のヤツをバンドに引き入れてやってたんですよ。音の洩れない土蔵みたいな所を借りて、そこで練習をしたり。そうしないとバンドが成立しなかった(笑)。

──アメリカだと、そうしたバンドの練習を家のガレージの中でやるから“ガレージ・バンド”なんて呼ばれますけど、まことさん達の場合は……。

高橋:“蔵バンド”だよな、さしずめ(笑)。

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