「反体制=ロック」じゃない
平野:僕は今回聞いた中で一番好きなのは「歓喜の歌」なんです。
エンケン:「歓喜の歌」は自分で3番まで歌詞を作ったんだけど、それは、なんでみんな今だにドイツ語で歌っているのか? それが不思議だったんです。翻訳じゃなくて自分で作ろうよ、と。シラーの原詞を訳したものじゃなくて、自分の身近なことを歌おうよと思って作ったんです。
平野:クラシックが鑑賞用の音楽になってしまったことの象徴的な例が、年末に意味もなくあちこちでやってるクラシックの「歓喜の歌」だと思う。現実の俺たちは何なんだ? 現実を見ろ!っていうのが俺たちにとってのロックだったと思うんですけど、クラシックが現実を見ないで鑑賞用音楽になってしまった所にクラシック音楽の悲劇があると思うんです。
エンケン:物まねになってしまったからでしょうね。日本はずっと西洋文化翻訳主義できたから。クラシックはもともとはパンクだったと思います。端的に言うと、ベートーベンの「運命」、“ジャジャジャジャーン”って、あれはセックスピストルズですよ。それを今やるなら、もっと自分なりの運命を描かないと。
平野:俺はエンケンさんと同世代なんだけど、あの60年代後半〜70年代を経験して、俺たちは凄い時代にいたんだなあとひとしおに実感するんですよ。めちゃめちゃ乱暴な時代ではあったけど、ものすごい熱を帯びていた。じゃあ、あの時代のロックを越えるものって今の時代に果たしてあるの? あの熱気と汗を凌駕するものってあるのかって、はたと考えこんでしまう。
エンケン:確かに当時の音を聞くと、素直ないい音出しているなと思いますよ。一人一人が「俺はこの音を出すんだ!」と一所懸命やっている。それはストーンズの「サティスファクション」もそうだし、すごくいいメロディーですよ。あの時代の音というのは、もう出てこないかもしれない。あの頃の宇宙と連動した音は。
平野:俺はどうしても昔の音楽に魅せられてしまって、今の若い連中、曽我部恵一やサンボマスターを聞いて、結構いいなと思いながらも、やっぱりあの頃のロックは越えられないと思ってしまう。そういう自分の感覚もヤバイっていうのがあるんだけど。
エンケン:サンボにしても曽我部くんにしても、いつの時代でも一所懸命やってるやつはいいですよ。一所懸命やるしかない。俺もそうだけど、誰に頼まれたわけでもなく、自分で歌ってるわけだから。俺はこれをやるんだって決めたんだから、最終的には責任感の問題で、音楽でも政治でも、自分が言ったことにどこまで責任を持てるかです。言葉を大事にしてほしい。音楽って言葉ですから、いい音楽にはいい言葉があるんです。今、言葉がないものが多すぎる。9.11の問題でもそうです。心の中で「ブッシュこの野郎!」っていう気持ちがあるのに、そいつのギターの音からは「Yeah!」という言葉しか聞こえてこない。言葉が無効になっているんです。俺たちは普段生活している時に「今日は天気がいいなあ」とか「俺はあの娘が好きなんだ」とか「あの政治家は許せない」とか言いながらギターを弾いているはずなんだけど、音からそういう言葉が聞こえない。それがなくなったらものを作る根本がなくなっちゃうよね。あえて言うと、そんな国は滅びます。
平野:例えば、ニール・ヤングが9.11の直後、「イマジン」が放送自粛になっているさ中で「イマジン」を歌う、あるいは忌野清志郎が生放送で「あこがれの北朝鮮」なんて曲を歌うわけじゃないですか。こういう確実に問題になることを承知でやっちゃうような勇気、それが今の若いミュージシャンからは見えない。エンケンさんも昔は、このCDにも入っているように平気でロッキード事件に怒っていたりしたのが、「東京ワッショイ」ぐらいからだと思うんですが、あんまりそういう事を言わなくなった。もっと音そのものにこだわっていくようになったと、僕は感じているんですが。
エンケン:あえて言わなくても昔からその怒りを音楽の源力としてますよ。俺はね、いわゆる言葉として「反体制=ロック」だとは思っていない。さっきも言ったように、ロックでもフォークでも演歌でも、自分のことをきちっと歌うのが反体制だと思っている。自分のことを歌えなかったら本当におしまいだから。それは最後の砦だと思う。清志郎君のその歌は聴いてないんだけど、俺は「イマジン」という曲のとらえ方が嫌いなんです。国の境界線もないとか、夢としては、気持ちはわかりますよ。でもそれは音楽に対する逃げだと思うんです。俺はそれはやりたくない。俺は自分で決めて歌をやってる以上、自分の音と言葉に対してきちっと責任をとりたい。人のために歌っていないから、全く。人のために歌うことがそもそもおこがましい。それは説教になっちゃう。俺は「創造魂に描く絵柄」と言っているんだけど、その絵柄をどこまで再現できるかが音楽家としての勝負だと思っている。それに対して聴いている人が、「あ、この人はこういう絵柄を出そうとしてるんだな」って思ってくれたら、そこには拍手がおきる。バロメーターは拍手だけ。あとはいらない。でも、反体制を標榜すると、背中に別のものがついちゃう。組織を背負っちゃうんです。「あの人は平和を歌ってるね、いいこと歌ってるね」って。俺はそういうのが嫌いなんです。「俺はこう思っている!」って素裸の魂で歌うのが音楽家として一番正しいと思う。反体制、平和という言葉を並べることで、音楽が初めからちょっといいものに思われることが嫌なんです。ゼロから聴いて欲しい。
たった一人で戦っている奴が好き
平野:僕は4年前に長渕剛が出した「静かなるアフガン」という曲をすごく気に入って、彼にインタビューを申し込んだことがあるんです。その時、長渕剛が「この曲はNHKが放送してくれない」と言うから、「じゃあ、NHKにデモかけちゃえばいいじゃない」と提案したんだけど、やっぱりやらない。もちろんそんなことしたらレコード会社は困るでしょう。そういう自主規制の嵐の中で、やはり表現者は言いたいことも言えないっていう状況はあるんじゃないですか?
エンケン:これは俺と平野さんとの違いなんだけど、俺はそこからやりたくないんです。俺は長渕君のその歌をちゃんと聴いてなくて、TVのCMで見た程度ですけど、俺はやらないと思った。なぜなら、そこまで言うと最後まで加担しなくちゃいけないでしょ。俺はその責任はとれないですから。もう一つ言えば、聴いた人が歌い手に責任を求めるのもおかしな話だと思う。例えば、平野さんがその歌を聴いて、いい歌だと思ったなら、「じゃあ、俺も何かやってみるか」と平野さんが自分でやればいいと思う。
平野:でも、表現者としては作品を出した以上、多くの人に聴いてもらいたいはずですよね。もしエンケンさんが、自分の出した曲を放送禁止とか自主規制の対象にされたらどうします?
エンケン:ああ、そりゃ怒りますよ。その怒りは直接番組担当者に言いますね。あとはその怒りをライブでの源力にしますね。うーん、ちょっと考えさせて…… アフガンの戦争は、俺の怒りの源泉であることは確かなんだけど、直接的ではなく、自分の個人的なこととして取り入れて歌うでしょう。俺はそういう利用の仕方をしますね。アフガンという言葉を使う時には、どこかその人なりの計算があると思うんです。俺にはやっぱりその言葉は出てこない、アフガンの民衆の立場に立つという言葉は。加担するということは、責任をとらなければいけなくなるから。長渕君だってその問題だけをやることはできないわけだし、俺もそうですよ。食わなきゃやっていけないから。それは大事なことなんです。だから、平野さんがもし長渕君にもっとやれと言うんだったら、俺が金出すから、アフガンでもNHKでも行って来いって言うしかないですよ。
平野:もちろんそうなんですが、僕が言いたかったのは、今の時代、表現者にとって、知らないうちにどんどん自由がなくなってきているよということなんです。今問題になっている共謀罪もそうだし、国歌国旗法もそうですよ。国歌を歌わないと処分されるなんて最初の頃は言ってなかったんだから。どんどん社会が個人の自由を制限してきている状況で、長渕ほどの売れてるミュージシャンの曲が放送されない。そんな中でミュージシャンはどう生きるべきかってことなんです。
エンケン:それは国民全体の問題だと思うから、ミュージシャンだけに言うことじゃないと思う。でも、前田君もよく知ってると思うけど、俺はステージでそういう問題は今でも言ってますよ。君が代日の丸についても。でも言ったから偉いってものではないと思うし、歌というのは個人個人の宗教だから絶対に押しつけたらダメなんです。それを押しつけるような社会は全体主義ですから。
平野:確かに芸術が政治に従属したら終わりですよね。もちろん僕もエンケンさんと同じで、すべての表現は何ものにも従属しない自由なもので、それが素晴らしいと思っているんですよ。ただ、これだけ社会が息苦しい世の中になっていくにつれて、今の表現者たちがそこを突破できていないのが現実だと思う。そうすると、やっぱりかつての60年代70年代の表現の方がすごく面白かったと思うし、今それに代わるものが出てきてないんじゃないかと。
エンケン:いや、でも俺は自分でずっとやってきているから、代わるものはない。俺自身に勝つか負けるかが問題で、俺はずっと俺に勝ってきていると思ってる。そういう意味で反体制は貫いていると思うし、もしかしたら一番貫いているかもしれない。そのかわり一人だから、弱い所もありますよね。貫いているからこそブレないから、あいつは扱いづらいと思っている人もいると思いますよ。でも俺はいつも、たった一人で戦っている奴が好きなんです。
平野:つまり、自分が作りたい歌を作るという切実さの衝動がリアリティをもたらす、というのがエンケンさんのスタンスなんですよね。
エンケン:ああ、そうですね。ちょっと絵を描いていいですか(下図)。

これは「現全(げんぜ)の法則」というもので、過去も未来もぐるっと回って現在に戻ってくるんです。ここに集約される。その集約力が音楽の基本なんです。だから、今をちゃんと歌うことは、何億年たっても、いい曲なんです。俺の中で音楽は、歴史とか過去とか新しいとか古いとかいう概念はない。それを「現全の法則」と勝手に言っているんですね。

















