Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】POTSHOT(2005年5月号)- スカパンクがあったからこそ今の自分がある

スカパンクがあったからこそ今の自分がある

2005.05.01

ロフトは学校じゃ教えてくれない大事なことを学べた場所

──でもほら、スカパンクのジャンルにおいては、日本にはなかったものをゼロから立ち上げたんだからオリジネーターとして…。
 
RYOJI:いや、もうそれを言われると、ほんとすみませんって感じで。だって一時期は、そうやってまわりのバンドが解散してっても「POTSHOTはスカパンクをやり続けますよ!」って言ってたのに、「え? 結局解散じゃん!」みたいな話じゃないッスか(笑)。しかも最後のアルバム、スカパンク1曲もないじゃん! みたいな(笑)。で、すみませんっていう(笑)。
 
──(笑)そうかもしれないけど、そこはスカパンクというものに対しての感謝とか、嘘つきたくないっていう気持ちがあったからで。
 
RYOJI:それがね、ジャケットにも書いてあるんですけど“SKA PUNK CRIMINAL”って言葉に表れてたりするんですけど。すまんねぇ、裏切っちゃってごめんねぇって(笑)。でも考えてみたら、アメリカとか見ても、自分が好きだったスカパンクのバンドはほとんどいなくなってて、とっくに解散したりスタイル変えたりしてるんですよ。売れたバンドは残ってるけど、ほんとにカッコイイと思ってたアンダーグラウンドのバンドはほぼいないし。
 
──日本だけじゃないんだ。
 
RYOJI:でもこの前マイク・パークに会った時、「RYOJI、アメリカでは、またスカ来てるぞ!」って(笑)。「なんでお前解散なんだよ!? バカだなー」って(笑)。
 
──ホントに!? それは彼流のはなむけの言葉なの?
 
RYOJI:どっちなんでしょうね(笑)。まぁ、在庫たまってるからライヴしに来てCD売ってよってことなのか、いろいろだと思うんですけど(笑)。でも海外のほうがそういうの、顕著でしたよね。スカコアの後すぐエモコアだって進んでましたからね。アルバムで言ったら2枚とかですよ、アメリカだったら。で、すぐに次のムーヴメントになってましたから。たまたま日本にエモが入りきらなかったからピークが5~6年とかあったんだろうけど、本場ではムーヴメントの変化がもっと全然早かったですからね。
 
──海外のライヴはもっとやりたかった?
 
RYOJI:バンドとか自分の状態が安定してれば、ヨーロッパはもう一回行って勝負したかったですね。これはロリータ18号のメンバーと話したんですけど、ユーロとUSは違うんですよ。ほんと、勝負できるっていうか。その感じは行ってすぐ思いました。これでちゃんとCDの流通 とか確立して毎年ツアーやれればいけるかも知れないなって。
 
──そこは今後のRYOJI君の活動のターゲットでもあるの?
 
RYOJI:それは微妙なんですよね。あくまでもPOTSHOTだからっていうのがあって、やっぱスカパンクというジャンルがまだ物珍しいっていうのもあるし、日本と一緒でアメリカの文化に憧れてる部分もある国だから勝負できるんだと思うんですよ。だからまっさらだったら、それはまた別 の話でしょうね。
 
──アジア圏は行ったんだっけ?
 
RYOJI:韓国はみんなが行ってたから、結局行かなかったんですよ、あまのじゃくで(笑)。CDはアメリカ経由で入ってたみたいですけどね。SNAIL RAMPとかYOUNG PUNCHがライヴ行ってた頃に、地元の一部の熱狂的なパンクの子からは「なんでPOTSHOTは来ないんだ?」って訊かれたって言ってました。…まぁ、3人ぐらいだと思うけど(笑)。
 
──なんか凄く昔の話のように聞こえてしまうんだけど(笑)、この10年の音楽シーンの移り変わりをどう感じてる?
 
RYOJI:ここまで自分の好きなパンクと呼ばれる音楽が広がったのはよかったなと。何がパンクかって言ったらまた難しい話になるけど、古くからやっていた先輩方の頑張りから始まって、ラウド・ミュージックが世間的な認知を受けたという意味では。
 
──だってあのモーニング娘。までスカパンクっぽい曲歌ってましたからね。
 
RYOJI:ね!? あれでがっかりしたんですよ。スカパンク終わったなって。シャレで言われてましたもん、「あれ、RYOJI書いたの!?」って(笑)。逆にやれるんならやってたよって感じですけどね(笑)。そういう意味では、スカパンクっていう方法論は認められてるんだなぁって思いますけど、そうなるとまたつまんないんですよね。それを求めてたはずなのに…歳とったんスかねぇ? 「こんなのスカパンクじゃねぇ!」とか言い出すんですよ(笑)。コケティッシュのコヤマさんとかと。「俺たちの知ってるスカパンクはさぁ!」って(笑)。「自分たちのCDはたくさんの人に聴いてもらいたい」なんて言いながらね。勝手なもんで。
 
──まぁまぁ(笑)。でも結成してからこの10年、ロフトの思い出もたくさんあるでしょ?
 
RYOJI:そりゃもう! 最初に出た時はほんと嬉しかった。それまでも、COCOBATのライヴでダイヴしてステージには上がってましたけどね(笑)。結構やらせてもらったけど、一番の思い出といえば1stアルバムのレコ発をやった時。KEMURI、YOUNG PUNCH、DUCK MISSILEで出たんですけど、そのライヴがほんと凄くて! ベース・アンプ倒れましたからね(笑)。人がうわ~ってステージにいっぱい上がってきちゃって、初期のアナーキーのライヴを観てるかのような(笑)。さすがに止めましたけどね。まだ柵とかなかった時代だから、どこもこんな感じでしたよ。みんな上がってきて一緒に歌って飛び込んで、みたいな。あのフミオさんだってバンバン飛び込んでましたからね。
 
──今じゃ考えられないね。
 
RYOJI:あと、『TV-FREAK A GO-GO 2』のレコ発の時、全部で13バンドぐらい出たんですけど、昼の部からぶっ通 しでやらせてもらったりして。で、その日に初のPVもそこで一緒に撮らせてもらったんですよ、「FREEDOM」って曲で。西新宿の店の最後のほうだったと思うけど、映像として残ってるのがまた嬉しいですよね。ほんと、お世話になりました。
 
──そして6月25日、いよいよPOTSHOTとしては最後のロフトを迎えるわけですが。
 
RYOJI:これはニューロティカのあっちゃんが言った言葉なんですけど、ロフトは、学校じゃ教えてくれないような大事なことを学べる場所なんですよ。いろんな大先輩にも会えたし、いろいろ学んでいろいろ感じて。凄い場所ですよ。そこで POTSHOTとしてもう一回やれてよかったと思います。最後のロフトのステージ、思いっきり楽しみたいので、みなさん観に来て下さい。
このアーティストの関連記事
休刊のおしらせ
ロフトアーカイブス
復刻