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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】KENZI(2004年11月号)- 今回のアルバムはライブの印象とはかなり違うと思うんで覚悟して

【復刻インタビュー】KENZI(2004年11月号)- 今回のアルバムはライブの印象とはかなり違うと思うんで覚悟して

2004.11.01

音楽と出会うまでなにも取り柄がなかった

──それじゃ、KENZIさんの原点であるところの札幌時代の話を聞きたいんですけど。最初にバンドとか音楽に興味を持ったのはどういうきっかけだったんですか。
 
KENZI:最初に音楽に興味を持ったのは、フォークソングだったんだよね。中学の頃にフォークが流行ってて、松山千春とか吉田拓郎とか…。それで学校でもフォークギターを持って歌うっていうのが流行って、オレも一人でギター弾いたりしてたんだよ。
 
──ロックと出会ったのはいつごろなんですか。
 
KENZI:パンクやロックとの出会いは高校に入ってからだね。最初はスマ・ロ子のメンバーに教えてもらったの。実はスマ・ロ子ってオレが作ったバンドじゃなくって、オレは誘われて入ったんだよ。要するに、オレが中学の頃からフォークソングを歌っているっていうのを学校の仲間たちが知ってて、そんでバンドやってるような連中から「あいつ歌えるらしいぞ」ということで、ボーカリストとしてバンドに誘われたんだよね。
 
──スマ・ロ子っていうバンドが元もとあったんですか。
 
KENZI:イヤ、新しくバンドを組むに当たって、ギター、ベース、ドラムはいたんだけど、ボーカルがいないってことで誘われたのがこのバンドだったんだよね。だからそこからだよね、ロックとの出会いは。
 
──それまでは全然ロックに興味はなかったんですか。
 
KENZI:ずっとフォークソングだったからね。松山千春、吉田拓郎、ふきのとうとかを聴いていて、全然ロックは知らなかった。まあ、それこそディープパープルみたいなのは聴いてたけど、のめり込むことはなかったからね。だから、そのバンドに誘われてから一気に広がったっていう感じだね。「こういう音楽もあったのか!」って。
 
──最初はどの辺のバンドを教えてもらったんですか。
 
KENZI:めんたいロックが出始めた頃だったんで、ARB、ルースターズ、モッズとか…。あとはアナーキーとか、わかりやすいところだとRCサクセションとか…。まず邦楽から入って、その後に「セックスピストルズっていうのがあるってよ」ということで、遡って聴いたりして。
 
──そのメンバーは結構ロックとかに詳しかったんですか。
 
KENZI:そうそう、そいつらはマセてたから、その辺の音楽をもう聴いてたんだよね。だから最初は全部そいつらに教えてもらったって感じだよ。
 
──それまでずっとフォークを聴いていたのが、いきなりロックと出会ったら衝撃は大きかったんじゃないですか。
 
KENZI:うん、衝撃だったね。ただフォークとロックって、サウンド的には全然違うけど、吉田拓郎の歌詞なんかはロックスピリッツを持ってたし、そういう意味では似てるなって思った。だから、最初にロックを聴いた時というよりも、初めてバンドで音を出した時の方が衝撃は大きかったな。
 
──エレキギター、エレキベース、ドラムっていうのが初めてですからね。
 
KENZI:スマ・ロ子のドラムのヤツの家が農家だったから、離れみたいな所があって、始めはそこを練習場にしてたんだ。最初にやった曲はARBの「BOYS&GIRLS」だったんだけど、ギターアンプから出るギターの音の大きさとか、生ドラムの音とか、全部が初めてだったからビックリしたね。…それでいきなりマイクを渡されて「歌え」って言われたって歌えないもん。もう無我夢中で歌ってたけど、今思えば舞い上がってて全然音程外れてたんだろうな。…でも、あの感動は未だに覚えてるよ。
 
──マイクを通して歌った事自体初めてだったんですか。
 
KENZI:まあ、中学の時に学園祭とかで軽く歌ったことはあったんだけど、あんなデカイ音でやった事はなかったからね。…まあ今考えると、アンプも小さいし、そんな大した音じゃなかったんだと思うけど、当時はホントにビックリしたね。
 
──まあ、ギター一本でフォークやってたところから、いきなりロックバンドになれば衝撃を受けますよね。
 
KENZI:うん。変な話、最初のセックスと同じくらいの衝撃を受けたよ。
 
──そういう初期衝動をずっと引きずって、今までやり続けてきたって感じなんですか。
 
KENZI:全くその通りだよね。気がつけば…って感じだもん。
 
──それから一気に「やっぱりオレはロックバンドだな」みたいな考えになったんですか。
 
KENZI:…と言ってもいいかもね。振り返ると、オレっていう人間はそれまで割と中途半端だったんだよ。勉強が出来るわけでもなく、中の下。スポーツが出来るわけでもなく、中の下。取り柄が何にもなかったんだよね。そんな中で、歌との出会い、バンドとの出会いっていうのがすごくデカくて。ありきたりの言い方かもしれないけど「オレにも出来るんだ」っていうのをすごく感じたよね。それまで抑えてた物があったのかもしれないけど、一気にそこではじけちゃったんだよね。
 
──パンクの初期衝動ってやっぱり「オレにも出来る」っていう所ですからね。
 
KENZI:自分自身「生きてる」っていう感じ、そういうのをすごく感じたな。生き甲斐を見つけた、みたいな。
 
──それを、ライブではなく、練習の段階で見つけちゃったというのはスゴイですよね。
 
KENZI:そうだね、それだけハマッたんだろうな。それからは、もう寝ても覚めてもロック聴いて、バンドやって…って感じで…。言葉悪いけどキチガイみたいに。まあ、十代の頃ってそういうもんじゃない。
 
──何か一個見つけたら、そこにどんどんのめり込んで行くみたいな。
 
KENZI:その塊がスマ・ロ子だったんだよね。
 
──スマ・ロ子って、すごいインパクトのある名前ですけど、このバンド名って誰が考えたんですか。
 
KENZI:それはオレ。実は最初「スマイル・ロコモーション」っていう名前だったんだけど、そのうち短縮してスマ・ロ子って呼ぶようになって、そっちの方が定着しちゃったんだ。
 
──「子」っていうのは何なんですか。
 
KENZI:…う~ん、何なんだろうねぇ~(笑)。…よく覚えてないけど、オレの書く歌詞と同じようなもんで、それもオレのセンスなんじゃないの。相変わらずわけのわからない。
 
──なるほど(笑)。…で、最初はコピーをやっていて、その内オリジナルを作り出すわけですが。
 
KENZI:実はオレ、オリジナルを作り始めたのは早かったんだよね。中学生の頃から、なんとなくフォークの曲は作ってたから。今回やってるスマ・ロ子の曲の中にも、中学の時に作った曲が入ってるんだよ。「R&Rなんてクソくらェ」とか、「.ヘベレ ヘベレ ヘベレケ」とか…この辺りは中学の時に既に出来てて。まだ歌詞はなかったんで、バンドをやるようになってから歌詞をつけたんだけどね。
 
──中学の頃は歌詞は書いてなかったんですか。
 
KENZI:イヤ、中学時代も一応書いてはいたよ。…変な歌詞を。
 
──…変な歌詞?
 
KENZI:強いて言うなら長渕剛の「順子」っぽいヤツ。それをマネて「ひろ子」っていう曲を作ったりしてね(笑)。
 
──それは実在の人物なんですか。
 
KENZI:イヤ。当時、薬師丸ひろ子がすごく好きだったんで(笑)。「ひろ子どーしてそんなにかわいいの…」って…メロディーまで覚えてるよ(笑)。
 
──ライブは、練習を始めてからどれくらいでやるようになったんですか。
 
KENZI:すぐだったよ。何でもすぐやっちゃうからね。練習始めてすぐにヤマハのオーディションを受けたり、「ミルク」っていう、練習スタジオや喫茶店なんかもやっている所が主催して、パンクフェスティバルをやってくれたんで、それに参加したり。あとは、道内ツアーなんかもやったことあるよ。
 
──当時から北海道って、そんなにいっぱいライブハウスがあったんですか。
 
KENZI:全然ないんだけどね。二、三個くらい。まあツアーって言っても、高校生だったから範囲は限られてたからね。しかも、二十数年前だから今より厳しくって、まだエレキっていえば不良っていう時代だったから。学校でもエレキは禁止されてたもん。それでも札幌のライブハウスで箱バンやったりしてたんだけどね。だから、何回か新聞に載ったこともあるよ「高校生ロック」とか「今時の若者は…」とか言われて。
 
──当時の北海道には、他にロックバンドやってるような人っていたんですか。
 
KENZI:それが、結構いたんだよ。ちょうどオレらが始めた頃に、一気にバーンって増えたんだよね。それこそさっき言ったパンクフェスティバルが出来るくらい沢山バンドがあったからね。
 
──ああ、そうなんですか。現在でも続く札幌のパンクシーンの原点はその頃のKENZIさんたちが作ったのかもしれないですね。
 
KENZI:そう言ってもいいんじゃないかな。札幌のパンクで東京に上京したのもオレが最初だからね。
 
──当時印象に残っているライブってありますか。
 
KENZI:う~ん、…初めてのライブとかは、舞い上がってワーッてやったということしか覚えてないんだけど…。ARBとかアナーキーが札幌に来た時に、前座をやらせてもらったりしてたんで、それはすごい印象に残ってるな。
 
──高校生でARBの前座やることなんてないですからね。
 
KENZI:うん、貴重な体験してるよね。リハーサル聴いてても「レコードといっしょだよ!」って感動したり(笑)。
 
──そういうバンドたちと一緒にやったりしながら、最終的には自分も東京に行きたいっていう気持ちが膨らんでいったんでしょうか。
 
KENZI:そうだねぇ。スマ・ロ子は結局三年くらいやって、それで高校卒業するって時になって、みんなどの道に行くかっていうことになったのね。そこで、オレとギターのヤツはバンドをやっていこうって決めて、後の二人は就職するってことになって。それから、ギターのヤツとオレとで新しく「イギリス」っていうバンドを作って…。そのバンドはスリーピースで、オレはベースボーカルだったんだけど。それからもう、すぐに東京に来たんだよね。なんで東京に来たのかって言われたら、もうホントに衝動でしかないよね。
 
──とりあえずバンドをやるなら東京に行かなきゃっていう思いだけで。
 
KENZI:そうそう。あとは、二十年以上前の話なんで、札幌にいても、もうこれ以上何もないだろうみたいな思いもあったし。ガキながらに、もっと広がりたい、色んな人に聴かせたいって思ってたから、それならやっぱり東京行かないと…そういう時代だったんだよね。ただ、最初の上京は大変だったんだけど…。
 
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