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トップインタビュー【復刻インタビュー】SxOxB (2003年10月号) - 日本の音楽史上最も影響力の大きい"世界最高速"パンク/ハードコア・バンド、SxOxBが新ヴォーカリストを迎えて遂に完全復活!!!

日本の音楽史上最も影響力の大きい“世界最高速”パンク/ハードコア・バンド、SxOxBが新ヴォーカリストを迎えて遂に完全復活!!!

2003.10.01

SxOxBは世界的に最も影響力の大きい日本のバンドだ。特に90年代以降のバンドに対しては確信をもってそう言い切れる。今国内のライヴハウスで活動しているファストなバンドを観ても"SxOxBチルドレン"は無数だ。SxOxBはパンク/ハードコアをベースにしつつ、スラッシュ・メタルやデス・メタルも飲み込んで進化したから各シーンに支持者が多い。決してスタイリッシュに陥らず、まさにパンクな発想で自由に音楽をクリエイトし、期せずしてグラインド・コアやファスト・コアの先駆者となり、ジャンルも国境も超えて既成の壁をデストロイしてきた。

SxOxBは1985年に、トッツアンを中心として大阪で結成される。無論DISCHARGEなど英国のハードコア/パンクにも衝撃を受けたが、さらに速いMINOR THREATやDEAD KENNEDYSなどの米国のパンク/ハードコアの速さに触発され、トッツアンが始めた。その後メンバーがナオト(b)、セキ(g)、ヤスエ(ds)となり、80年代後半の日本のハードコア・パンク・レーベルを代表するセルフィッシュから、86年12月にファースト7" EP『Leave Me Alone』を発売。当時の宣伝文句は"世界最高速"だったが、それもあながちウソではなかった。当時ヤスエはS.O.Dの速さも意識したそうだが、NAPALM DEATHがファーストの『Scum』をまだ出していない時期だし、ブラスト・ビート使用の先駆的なSIEGEやLARMにしても音源を聴くのが困難な時代だ。それを考えれば、衝撃の大きさは想像できるだろう。また、裏ジャケットにはキャップ+スケボーといったスラッシャーなメンバー写 真もあり、いわゆるファッション的にも日本のシーンのなかで先を行っていた。要するに、グラインド・コアやファスト・コアの原形であるとともに、日本におけるスラッシュ(メタルのほうではなくパンクの流れのほう)の先駆けとも言えるのだ。

87年にはセルフィッシュからファースト・アルバム『Don't Be Swindle』を発表。その頃トッツアンは、NAPALM DEATHの『Scum』のサンクス・リストにSxOxBの名も列記されていたことを契機に、リー・ドリアン(当時NAPALM DEATH/現CATHEDRAL)と手紙のやりとりを始めた。それは89年のSxOxBの自主レーベルであるサウンド・オブ・ベリアル発のNAPALM DEATHとのスプリット・ソノシートや、NAPALM DEATHとの欧州ツアーへと繋がる。そのヨーロッパ・ツアーでの経験はSxOxBの視野を何倍にも広げることになった。

ベーシストがカワタカに代わり、90年も精力的に活動を続行。そして秋には再度ヨーロッパ・ツアーを行い、CATHEDRALを始め、英国のDOOM、AGATHOCLES、ENTOMBED、E.N.T.、AGNOSTIC FRONT、SAINT VITUSらとライヴをやった。無論、日本のバンドとしては初めて『ジョン・ピール・セッション』に出演したことも重要だ。そして12月には、セルフィッシュからセカンド・アルバム『What's The Truth?』をCDで発売。リー・ドリアンのライズ・アバヴからLPでも同時発売された。海外でライヴをやった影響か歌詞が全て英語になり、よりシリアスな内容が増えた。音楽的にはスラッシュ・メタル/デス・メタル色が強まった。

SxOxBはデス・メタルをじっくりと消化し、満を持して93年3月にトイズファクトリーからサード・アルバム『Gate Of Doom』を発表。ミックスはDISCHARGE、NAPALM DEATH、CARCASS、BRUTAL TRUTHを手掛けたコリン・リチャードソン、ジャケット画はDEATHやMASSACREの作品も描いたエド・レプカ。確かにデス・メタル・アプローチだが、トータルで見てどこにもないヘヴィ・ミュージックな仕上がりで、歌詞も精神世界的なものになっている。当時はこういう系統の日本のヘヴィ・ミュージックがメジャーのレコード会社から発売されたこと自体異例で(COCOBATのメジャー第1弾作よりも早い)、活動展開方法においてもSxOxBはイノヴェイタ-だった。94年2月にはコリン・リチャードソンをプロデューサーに迎え、英国にて4枚目のアルバムのレコーディングを行う。7月に『Vicious World』としてリリースされた作品は、大元のルーツであるパンクのグルーヴ感が加わり、ヘヴィだがポップでもあるSxOxBらしいサウンドとなった。

しかし95年6月、トッツアンが自殺。リーダーの死によってSxOxBは解散も考えたが、まもなく再始動を決意。96年には、SxOxB脱退以降RISE FROM THE DEADを率いていたナオトがヴォーカリストとして復帰。サンプラー/キーボード担当のメンバーも加えた5人編成で、実験的な音作りなどの試行錯誤を繰り返し再度4人編成となり、当時バンド活動休止中のセキに代わってカツミ(元OUTO/現SOLMANIA)がゲストでギターを弾き、99年にスペシャライズドファクトより5枚目のアルバム『Dub Grind』をリリース。音的にはセキ不在でナオトの影響なのかメタル色が薄れ、打ち込みでの音作りも加味。しかし2000年3月、新宿ロフトのライヴをもって自分のバンドRISE FROM THE DEADに専念するために再びナオトが脱退。その後SxOxBは、多少スタジオに入ったとはいえしばらくの間活動はほとんど止まっていたが、2002年10月、ファスト・コア系バンドだった滋賀県のバイパスの元ヴォーカル、エツシが加入。まもなく新編成でレコーディングを行い、2003年1月に東芝EMIから発売のコンピに新曲を提供。3月には大阪で復活ライヴを行い完全復活を果 たす。現在SxOxBの音源はほとんどが廃盤になっている為、9月に今では入手困難になっている初期の曲を中心に新ヴォーカルのエツシを迎えて全25曲を再録。セルフカヴァーによる初のベスト・アルバム『Still Grind Attitude』を発売した。

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