この10月1日、我が下北沢シェルターは目出度くオープン12周年を迎える。その創生期から現在に至るまで数々の名演を繰り広げてきたbloodthirsty butchersの吉村秀樹36歳は、今も週一ペースでシェルターに顔を出し、時に店員の如く自らビールをつぎに回り、時に店にあるジェンガやダーツに興じ、時にただ一人の客を相手にゾウさんギターを奏でながらジャイアン・リサイタルを催し、完膚無きまでに相手を酔い潰す。そんな禅問答なリーダーに足繁く通 わせるシェルターの魅力とはこれ如何に? 西村店長を巻き込んで天下御免の大放談!(interview:椎名宗之)
1年に1回はシェルターで新しいことをやりたいね
──ブッチャーズが最初にシェルターに出演した時のことは覚えてますか?
射守矢:確か時期的にはね、ドラマの『高校教師』がオンエアされてた頃('93年3月)。ヨウちゃんはまだ長髪だったよね。
吉村:そう、あの頃な。でも初めて出た時のことは覚えてないなぁ…。
小松:シェルターが出来たのって、俺らが東京へ出てきてから? 俺が21の終わり頃だったから…12年前か。
西村:ああ、丁度オープンした年ですね。俺もシェルターで初めて観たブッチャーズ体験を覚えてないんですよ。
──西村さんがシェルターで働き出したのは?
西村:19の夏にバイトで入って…今年で28だから、もう9年になりますね。我ながら長いなぁ(苦笑)。ブッチャーズに関しては結構後ノリでしたよ。『kocorono』('96年)が出てからだいぶ経って、裏ジャケにスヌーピーの人形が写 った初回盤を必死に探したりとか。俺の同期で村田っていう奴がいて、そいつが俺より先にブッチャーズにビンビン反応してて。
小松:『LUKEWARM WIND』('94年)を出した頃にはもうシェルターでライヴをガンガンやってたよね。
射守矢:そのレコ発は移転前のロフトだったね。eastern youthとGOD'S GUTS、その間にダイノジとモリマンに出てもらって(笑)。
──ひさ子さんのシェルター初出演は、アヒト君が高熱で点滴を打ちながら演奏したというNUMBER GIRL初の上京ライヴ('98年3月)ですよね。
田渕:そうそうそう。東京で初めてライヴしたのがシェルター。
西村:それは俺も覚えてますよ。結構バンドがたくさん出ましたよね。
田渕:4~5バンド出てましたね。ムチャクチャよく覚えてますよ。行きはアヒト君、帰りには私が熱を出したから(笑)。
吉村:俺は今でも週に1回はここに来て呑んでるけど…シェルターのカウンターで呑んでる時に“何か新しいことをやろう!”とか、何気なく話したことをライヴで本当にやってみたり、酒の席の戯言からアイデアが浮かぶことは多いよね。「(客席の)後ろにこれ(ビール・ケース)を置け!」とか。これを置けば後ろの女の子も観れるようになるしね。そういう極々些細なことをやってみたり。
西村:NUMBER GIRLとやった“ハラコロ”(HARAKIRI KOCORONO TOUR)の時ですね。最初は冗談だと思ってたんですけど、酒屋に「何でもいいから!」って無理言ってかき集めて…大変でしたよ(笑)。
射守矢:でも、すぐに対応できるそのフットワークの軽さがシェルターならではかもね。
吉村:昼夜ライヴを2回やるなんていうのも考えてみれば普通 のことなんだけど、「シェルターで1日に2回通しでライヴやったことあるか?」って西村に訊いたら「ない」って言うから、去年54-71とやってみたり。「1年に1回くらいは心なしかの新しいことをシェルターでやりたいねぇ」っていつも呑んでて話してて。でもね、“もう二度と昼夜公演はやるかッ!”って思ったけどね(笑)。記憶にないほど疲れたからね。何せ2回とも全曲違うセットでやったし、裏の階段のところでまるで駆け出しのバンドみたいにせっせと練習してたんだから。あの光景の恰好悪さっていったらなかったよ(笑)。
自分のホームグラウンドはここだよね
西村:ブッチャーズって、昔からシェルターでイヴェントやってました?
吉村:やってないよ。イヴェントを企画してる人が呼んでくれて出るのが多かった。
小松:バンド独自の企画ライヴって、かなり後半になってからだよね。
射守矢:とにかく自分達じゃ何もできなかったからね(笑)。
吉村:ハッと気付いたら周りに誰もいなかったんだよ(笑)。自立心っていうのが余りないからね、今でも。とにかく、気が付けばここで呑んでるわけ。そう、だから自分のホームグラウンドはここだよね。余りシェルターへ行ってないと何だかソワソワしてくるんだよ(笑)。
──そういう気持ちにさせるライヴハウスって、シェルター以前にありました?
吉村:焼鳥屋さんとかならあったね。
西村:串焼きと同じレヴェルだ(笑)。
吉村:ここを卒業しちゃう人もいるけど、自分はまだここにいて呑んでるわけよ。俺にとってシェルターは戯れの場なの。ここに来れば誰かしらが打ち上げをやってて、訳の判んない接触があるわけ。その場で仲良くもなるし、向こうがこっちを知ってたりとか、そういうのが楽しいわけよ。ここに集う人間関係っていうか、まぁ呑み仲間なんだけど、ジトーっとした仲でもないし、ベタベタにつるむわけでもない。案外サッパリしてるんだよ。このアッサリして軽やかな感じ、ライト感覚みたいなのがシェルターのいいところだと思う。古閑(裕/K.O.G.A RECORDSオーナー)ちゃんや三原(重夫)さん然り、みんな接点が違うところから来るからいい話ができる。そこが面 白いところなんだよね。
──吉村さん言うところの“軽やかな感じ”っていうのは、西村さんを始めとするスタッフの人柄に負う部分も大きいと思いますけどね。
吉村:うん、俺も店員のキャラクターは意外にデカイと思うよ。
西村:この間、夜の部のリハが始まる前に、恐らく地方の子だと思うんですけど、首からカメラをぶら下げた女の子が押し掛けてきて「中だけ見させて欲しいんです」って店内の写 真をバシバシ撮るんですよ。で、「ここってブッチャーズとかがライヴをやってるんですよね…」って感慨深そうに言ってましたよ。
吉村:その子は結局、何しに来たの?(笑)
西村:いや、ただ単に写真を撮りに来ただけ。
田渕:もうすっかり観光地だ(笑)。
吉村:あとアレだ、シェルターといえば女の子PAが強いっていう伝統があるよね。レコーディング・エンジニアになるとまた別 なんだろうけど、ライヴのPAに関してはやっぱり女の子のほうが思い切りが良かったりする。ザクッとしてるっちゅうかさ。そういうのはシェルターやロフトで初めて観た時になるほどなって思ったよ。(田渕に向かって)女の子の立場としてどうですか?
田渕:うーん、単純にスゴイと思う。福岡には女の人がPAをやるライヴハウスってそんなにないから。大体女の人っつったらモギリで愛想が悪かったり、ドリンク・カウンターのコワイお姉さんしかいないし(笑)。
──福岡時代のひさ子さんにとって、シェルターは名の知れたハコでした?
田渕:雑誌とかにシェルターのライヴ写真が載ってて、ステージの後ろにある“SHELTER”のロゴが印象的でしたよね。いろんなバンドのプロモーション・ビデオにもよく使われてたし、“あ、またここだ…”って。だから東京で最初にシェルターでライヴをやるって聞いて、“ヤッタ!”って思いましたよ。