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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】アツシ×KENZI×純太×極蔵×タケミ(2003年7月号)- 暴走族、ヤンキー...そして長州世代!

暴走族、ヤンキー…そして長州世代!

2003.07.01

ニューロティカ、KENZI&THE TRIPS、元JUN SKY WALKER (S) の森 純太率いるMORI JUNTA SUPER UNIT、ゲンドウミサイル、RADIO HACKER──。小滝橋通 りにあった旧新宿ロフトへ通い詰めた世代にはとりわけ感慨深い顔ぶれによるイヴェントが、初夏のロフトにて開催される。当然の如く我が『Rooftop』はロティカ・アツシ氏より問答無用の取材指令を受け(笑)、かくして"昭和39/40年会"の面 々がBAR THE LOFTに集結。齢40の大台を目前にして今なお混迷のロック・シーンをサヴァイヴし続ける男闘呼達5人衆が語り倒す七転八倒のロック人生、激動の20年!(interview:椎名宗之)

暴走族、ヤンキー…そして長州世代!

02_3.jpgアツシ:エ~今日はこうしてみんなにロフトへ集まってもらいました。初めて会う人もいると思いますが、みんな一癖も二癖もありますので、ケンカなどせず楽しく行きましょう!

──どうぞお手柔らかに(笑)。そもそも今回のイヴェントは誰が最初に声を掛けたんですか?

KENZI:極蔵ですね。

極蔵:確か、みんなで呑みながら話してたんだよね?

タケミ:違うよ。お前(極蔵)から電話かかってきたんだよ、一番最初。

極蔵:ああ、そうだっけ?(笑)

タケミ:“昭和39年会”っていうのを極蔵が考えたんですよ。昭和39年生まれのヴォーカルのバンドを集めてライヴができたら面 白いんじゃないかと。それにみんな今年で39になるし。まぁそのゴロ合わせは後付けなんだけど。

アツシ:それ、初めて聞くんだけどォ。一応事務所の方針で僕達は27ってことになってんだけどォ(笑)。

タケミ:(笑)あの当時、同年代で面白いバンドは一杯いたし、今でも現役で頑張ってるバンドもいるんで、そんな顔ぶれで何かできたら面 白いんじゃないの? っていうのが始まりで。全体的な段取りはアッちゃんにお任せして。

アツシ:僕のロック人生において5本の指に入る仕事だと思う、今回。ホントに長年やってて良かったなって思った。僕は絶対、ゲンドウミサイルと森 純太に接点がないと思ってたのに、こんなに嬉しいことはないよ(笑)。純太も「事務所がOKなら」って即でOK出してくれたの。あれは凄い嬉しかったなぁ。

KENZI:俺も(純太とは)初めてだから。

純太:そうですね。俺は昭和40年生まれなんで一個下になるんですけど。アッちゃんからこのイヴェントに誘われた時、余り面 識もないし申し訳ないなと思いながらも、ちょっとフィールドは違ったけれど一緒に頑張ってきた同じ世代の方とやらせてもらうのは凄くいい縁だなぁと思って。

──じゃあ、みなさん以前から深い親交があったわけでもないんですね。

KENZI:微妙には絡んでましたけどね。

極蔵:タケミなんか、バンドやってる頃は知らないもんね。でもあの頃タケミと会わなくて良かったよ。だってこいつ、空手の師範だよ?

タケミ:ずっと極真空手をやってて。東田(慎二/新宿ロフト店長)は俺の生徒ですよ。極蔵と一緒にライヴをやったことはあるんだよ。たぶん共通 点はトラッシュとかかな。KENZI&THE TRIPSは、俺がロフトで月1で3年やらせてもらってた頃にメジャー・デビューするかしないかくらいで。ジュンスカも勿論メジャー・デビューしてたし。

──ちなみに、みなさんと同世代の著名人というと?

極蔵:ブラッド・ピット。あとトム・クルーズ、キアヌ・リーヴス…。外人ばっかだな(笑)。

タケミ:お笑いだとウッチャンナンチャン。ダウンタウンは一個上。

アツシ:タレントのヒロミが八王子で同級生だった。

タケミ:ヒロミってホントにスペクター(当時名を馳せた暴走族グループ)だったの? 俺、杉並でスペクターやってたんだ(笑)。暴走族全盛だもんね、俺達は世代的に。当時、ニューロティカは修豚(現・30%LESS FAT)っていうギターがちょっとヤンキー・キャラだったね。

アツシ:ヤンキーじゃなくて、あれはトラックの運送屋!

当時は敵意丸出しで口もきかなかった

02_1.jpg──〈俺達の時代〉というタイトルはアツシさんが命名したんですか?

アツシ:長州 力がアントニオ猪木に刃向かった時に、前田日明や藤波辰巳とかに「俺達の時代だ!」って叫んだイメージが消えなくて、ちょっとクサイけどこれに決めた。

KENZI:プロレスで言えば長州世代だもんね、俺達は。

──当時はお互いにどんな印象を持ってました?

アツシ:ライヴの共演はたくさんあったけど、あの頃って対バン同士で全然喋らなかったよね。

タケミ:ホコ天とかイカ天のブームが来る前は、ライヴハウスはケンカしに行くような所だった。敵意丸出しで、対バン同士絶対に口きかないっていうくらい。

アツシ:ライヴハウスを楽しい憩いの場にしたのは俺達だよ!

KENZI:うん、マジでそうだよね(笑)。

アツシ:純太にライヴ呼ばれたのはラ・ママが一番番最初だよね。

純太:そうそう。

アツシ:あの時も結構構えて行った。

純太:俺、ニューロティカのこと凄い好きだったから、「ラ・ママのイヴェントに出てもらいたい」って頼んだら、「変名だったら出る、名前を変えないと出ない」って言われて。「じゃ、それでお願いします」って。86年だったかな。

極蔵:凄いイヤなバンドだねェ。「バンド名変えなくちゃ出ない!」なんて(笑)。

アツシ:いやぁ、イケイケだったから、あの頃は(笑)。

純太:KENZI&THE TRIPSもファンだったんで、レコードとか持ってたし…。

アツシ:KENZIのレコ発は2回前座やってるけどね、ロフトで。“負けちゃいけない!”と思って、昔のロフトの楽屋から若い奴を10人連続ダイヴさせて、みんなビックリしてた。関係者も驚いてたね。KENZIも昔は人見知りだったよ。でもマジメなんだよね。凄くシャイだし。

KENZI:まぁいろいろね、10年、20年やってますとね、幅も出てきますわ(笑)。

極蔵:当時、ナンパした時に「俺、バンドやってるんだ」って言うと、女から「KENZI知ってる?」ってよく言われたね(笑)。ああいう時はホンッと情けないよね。

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