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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】ARB(2003年6月号)- 闘いを挑み続けた25年

闘いを挑み続けた25年

2003.06.01

 ARBというバンドについて感考えるとき、まず思い浮かぶのは「闘う」イメージだ。僕が初めてARBというバンドを知ったのは、1983年、後楽園ホールのリングをステージにして「アッパーカットツアー」を行なうボクサーのような彼らの姿だった。実際彼らは、リング(ステージ)上だけでなく、音楽業界の古いしきたりや、社会的弱者への抑圧、国家的殺人である戦争など、自分たちが納得いかないことに対しては、なんらためらうことなく闘いを挑み続けた。そして、こうした彼らが放つロックはいつしか「ARB KIDS」と呼ばれる同志のような存在になっていった。
 今年ARBは活動25周年を迎えた。ヒット曲が1つもないバンドが、これだけ長い間多くの人に聴かれ続けたのは、彼らの不器用なまでの硬派な姿勢の中にロックの本質があったからだろう。しかし「何一つ、納得、満足はしていない。」と語る彼らの願いは決して終わることはない。特に、戦争が身近になり暗い影が落ちてきた今の世の中ではARBの発するメッセージはますます重要なものになっていくだろう。25周年記念のライブ・サーキットを間近に控えた石橋凌とKEITHに現在の想いを語ってもらった。(TEXT:加藤梅造)

1ヶ月の3分の1はロフトにいた

──今年はARB活動25周年記念として、まずはライブハウスツアーが始まりますが、これはどういう経緯で決まったんですか?
 
凌:ARBを再開して5年目なんですけど、これまで全国でホールツアーを3回やって、それとは別に「ROCK OVER」というタイトルのツアーを九州と四国でやったんです。それはライブハウスを中心にイベントや学園祭を回ったものなんだけど、昔からどんなところでも場があればやりますという気持ちは変わらない。特に今年は25周年なんで1本でも多くライブをやろうと思ってます。
 
KEITH:何十年ぶりかで行く所もあるよね。
 
凌:近郊の都市はだいたい回っているけど、ライブハウスではやってない場合もあるから。
 
──大きなホールとライブハウスとの違いはありますか?
 
凌:基本的に違いはないよね。
 
──ライブハウスだと楽屋が狭いとか、いろいろ不便も多いと思いますが。
 
KEITH:でも出発点がそこだから。
 
凌:昔のロフト(註:西新宿にあった頃のロフト。65坪だった)でさえ全国を回ってきた後で行くと「あれ、広いなあ」と思ったから(笑)。
 
KEITH:楽屋なんかないところもあったしね。
 
凌:まあ、僕ら10年かかって武道館のライブができたんだけど、その時思ったのは「変わりはないな」と。もちろん10年かかって辿り着いたという意味はあると思うけど。ARBが再開して、なぜROCK OVERみたいなことをやろうと思ったかというと、ひとつには昔からつきあいのある九州のイベンターの方が言ったことで、今の音楽状況に疑問があると。それは、昔、ビラ配りから始めて、少しずつ大きくなって、今はドーム級のアーティストの仕事もやるようになった。でもイベントをやってる意味がわからないと。昔は、東京から来るバンドを九州で迎えて、ミュージシャンとも話し、ファンとも交流があった。でも、今はドームでやって、ライブが終わるとミュージシャンも帰っちゃうし、ファンも散り散り、なんにも音楽を題材にしたコミュニケートがないじゃないかと。それはイベンターだけじゃなくて、僕らも感じたことで、なんか音楽が他の商売と同じものになってしまったなあと言うことです。
 
──それは凌さんが、1998年にARBを再開して最初に感じた不満でもありますね。
 
凌:不満というよりもガックリきたね。音楽だけは大丈夫だと思ってたのが、7年間でそうなっちゃったかと。でも、かたやインディーズ・ブームみたいのがあって、若い人達がメジャーに媚びずにやってる姿はいいなあと思うんですよ。僕らは基本的にはライブハウスもやるし武道館もやる、イベントに呼ばれたら出る、それが普通だと思ってます。
 
KEITH:最近は、ライブ終わった後に残ってみんなで話すことが少ないって言うよねえ。
 
凌:なんか俺達ずーっといたような気がするけどね(笑)。ファンもスタッフも関係なく飲んでるでしょ、そのうち宴会芸が始まって、ケンカがあって、朝方になるとそのまま寝て…1ヶ月の3分の1ぐらいいたんじゃないか?(笑)。
 
KEITH:他のバンドのやつもいっぱい来てたからねえ。アナーキーとかルースターズとか必ずいたし。
 
凌:ジュンスカの和弥とかまだ中学生で観に来てたけど、ある時僕らが飲んでたら後ろから「凌さん」って声かけてきた。「何?」って言うと「僕もバンドで歌ってるんですけど、凌さんマイクかぶせて歌いますよね? あれいけないんじゃないですか」って言うんだよ。それで「あ、そう、ごめんね」って言って飲んでたら、また来て「凌さんやっぱり、あの癖やめた方がいいですよ」って言うの。「うるせえ、お前早く帰って寝ろ!」って(笑)。
 
──打ち上げのエピソードはあげればきりないですよね。特にKEITHさんは。
 
KEITH:え? 俺はおとなしくしてたけどな(笑)。
 
──今回のツアーでも打ち上げはやるんですか?
 
凌:その日に移動がある時はできないけど、まあ、ロフトはやるでしょう(笑)。
 

一番怖いのはみんなが無思想になること

──ロックという表現はとても自由であるがゆえに、混沌の中でこそ輝くものだと思うんです。でも、今の日本を見ていると、特に権力は混沌を許さず規制をどんどん強くしていこうという方向にあるような気がします。
 
凌:今回のイラク戦争でもはっきりしたと思うんだけど、あれだけ世界的な世論が反戦を訴えたのにもかかわらず、戦争を押しきったというのは、もうくるところまできてるなあと思うね。ただ、何を歌っても戦争が起こるんだから、もうこんな無駄 なことをするのはやめようというのではないと思うんです。歌い続けるしかない。まあ、僕らはずっとやってきたことだから、特別 に何かをやるってものでもないですが、今まで以上によりストレートに歌っていくしかないかなと。
 
──80年代に社会的なメッセージを歌うとなぜか社会派バンドのようなレッテルを貼られましたが、今、ピースパレードに行くような子達にはむしろ普通 に受け入れられると思うんです。
 
凌:一番怖いのはみんなが無思想になることですよ。考える前にいつの間にかいろんなことが決められてしまうという状況が。別に戦争の分析をしたり研究したりしなければ戦争について何も言えないことはないと思う。僕は三歳児でも言えると思うんです、「戦争はいけない」と。黒田征太郎さんが「戦後なんか一度もない」と言っているように、今回のイラク戦争でまた戦争が続いてしまったということですよね。
 
──昨日、有事法制が衆議院で可決されましたけど、議員の90%が賛成したというのは何なんでしょうねえ。ある種絶望的な状況というか。
 
凌:1つには民意が低いからだと思うんです。じゃあ、それを上げるために、学校じゃなくて、親じゃなくて、何があるんだといったら、それはロック・ミュージックのようなものだと思うんです。僕がまさにそうだったから。学校からも親からも教わらないことをジョン・レノンから教わったし、ロックはそういう所に位置していた。ロックさえもがそれをやらなかったら、民意が上がっていくチャンスなんてなくなってしまいますよ。
 
──『HARD-BOILED CITY』のライナーノーツで花村萬月さんが「俺が15歳のとき、ロックは歌謡曲ではなかった」と書いていますが、やはりロックは特別なものだということですよね。
 
凌:60年代以降、日本にもいっぱい本物のバンドが出現したと思うんです。サンハウス、めんたんぴん、センチメンタルシティロマンス、憂歌団、サウス・トゥ・サウス、外道…、それを日本の音楽業界が大事にしなかった。あるいは芸能界的なものとしてしか扱わなかった。僕は、ラブソングを歌うことと同じように、普通の生活の中のワークソングや戦争のことを歌ってきたつもりなのに、なんでそれが特別扱いされるのかわかんないですね。萬月さんも多分ロックがすごい好きなんだろうけど、あのぐらいの人だと今の日本のロックバンドの多くがロックじゃないと感じるんでしょう。
 
──でもロックにできることはまだある?
 
凌:そう。ロックにできること、俺達にできることをもう1回見つけるしかない。今振り返って思うのは、25年間、俺達は間違ってなかったと、そういう気はしますね。まあ売れなかったけど(笑)。少なくとも、ARB KIDSと言われる人達は、そういう良識、まあ学校で教わらないようなモラルを持っているんじゃないかなと思う。僕らは別に思想を押しつけるつもりはなくて、自由に受け取ってもらっただけなんだけど。
 
KEITH:戦争が悪いってことはみんな知ってるんだろうけど、難しい言葉でごまかされてるだけじゃないかな。大事な所を出してないよね。
 
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