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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】浜崎貴司×今野多久郎(2003年1月号)- 「幸せであるように」は『イカ天』の精神だった

「幸せであるように」は『イカ天』の精神だった

2003.01.01

IT時代の音楽の在り方とその未来。新宿ロフト&下北沢シェルターで行われる選りすぐりのライヴ映像を、音楽情報サイトの"BARKS"上でストリーミング配信している〈LOFT LIVE LINE〉。その立ち上げの経緯から今後の展望、果ては音楽とインターネットの関わり方までを、ミュージシャン・浜崎貴司氏と、"BARKS"のエグゼクティブ・プロデューサーである今野多久郎氏に双方の立場から存分に語ってもらった。

「幸せであるように」は『イカ天』の精神だった

今野:浜崎とは『いかすバンド天国』(通 称:イカ天)という番組で知り合ったのが最初だよね。浜崎がフライングキッズとして出場して、僕が番組制作側の一人という立場で。

浜崎:そうですね。かれこれ13年ですか。当時僕には本当に好きな女の子がいて、番組に出た途端にその子から電話が掛かってきたり、アパートには突然プレゼントが置かれていたり(笑)、生活はもう激変しましたよ。

今野:僕だってスペクトラムでデビューした頃、それまで1500円で呑むのが精一杯だったのに、全国ツアーやってテレビにも出て生活が変わって…。

浜崎:CMにまで出てましたもんね(笑)。

今野:それなのに給料6万円の生活でさぁ(笑)。そんな僕にも、どこでどうやって探したのか、ウチの汚いアパートにまで付けてくるファンがいたよ。

浜崎:何をしようとしてるんでしょうねぇ? 面倒でも見てくれるんでしょうか?(笑)

今野:当時24歳の男に、わざわざペロペロ・キャンディとかくれるファンもいた。

浜崎:「血糖値を上げとけ!」ってことですかね?(笑)

今野:まったく(笑)。で、フライングキッズは5週勝ち抜いて初代“グランドイカ天キング”になって。番組には結果 的に全部で860数バンドも出場してくれたんだけど、最初は応募も少なくてね。でもフライングキッズがきちんとした音楽をやって、審査員が正当に評価して彼らがイカ天キングになったからこそ、アマチュア・バンドの応募が急激に増えた。そこである種の信用を得たわけだよね。それに「幸せであるように」という楽曲は世の中に対して大きなインパクトを与えたし、この曲が1年8ヵ月続いた『イカ天』の精神みたいなところがあった。

浜崎:確か番組の第1回目に、いきなり女の子が下の服を脱いじゃってさぁ。

今野:そう。演奏は収録だったんだけど、コメントは生でね。その女の子が司会の三宅裕司さんと話している時に「どうせこんなのヤラセだろ~!」って突然前に出てパンツを脱いじゃった。でも幸いなことに……映ったのは幸いだったのかもしれないけど(笑)、カメラがバーンと天井へ向いて、すぐに三宅さんのアップに切り替わったんで良かったけどね。

浜崎:そんな感じで話題騒然にはなってましたけど、そこへ楽曲的に攻め込んでいくバンドがちゃんと登場してこなければ、ただのキテレツなインパクトだけの番組になっちゃうと思ってましたね。

今野:そもそもアマチュア・バンドだけで2時間半の番組をやるなんて前代未聞でしょう。

浜崎:それに演奏も生なんですよ。2週目くらいまでは持ち曲もあるけど、勝ち抜いていくとそれも尽きてくる。だからスタジオ入って一生懸命ああだこうだ言いながら曲を作って。その週末には日比谷シャンテ(収録場所)へ行って…しかも深夜の1時からとか、相当遅い時間に演奏するんですよ。「演奏失敗したらどうしよう…」っていつも思うんだけど、それが失敗しないものなんですよね、火事場の馬鹿力なのかよく判らないけど。曲も不思議と出来るんですよ。で、番組のエンディングに「チャンピオンは勝つのか、負けるのか!?」って引っ張るんだけど、よくもまぁこんなシロウトに委ねてるなぁって思ってた。「投げてるわぁ~」って(笑)。

今野:当時番組に出てたバンドは、やっぱり凄い勢いで頑張ってたよね。

浜崎:うん。当時は大集中大会でしたね。皆ゲッソリしてスタジオに入ってたから。一人倒れ、二人倒れ…ね。

今野:フライングキッズはその後、僕が企画したイヴェントに何回も出てもらったんだけど、その時に「幸せであるように」を出演者全員で唄ったりしてね。それぞれ個性の違うアマチュア・バンドでも、「幸せであるように」だけは認めてた。そういえば武道館で元日にイヴェントをやったこともあったね。同じTBS系だから『レコード大賞』のセットをそのまま流用してさ(笑)。

“乱聴”が許されない時代

今野:あれから浜崎は俳優としても活躍したり、ソロになった今も変わらず唄い続けているわけだけど、取り巻く状況はかなり変わったと思うんだ。

浜崎:うん。僕は今、より単純に、歌を唄うしかないと思ってますね。そこに至るまでには右往左往あったけど。

今野:そういう意味では僕のほうがフラフラしてるね。プレイヤーをやったり、テレビやラジオのパーソナリティをやったり、こういうインターネットの仕事を3年前から始めたり。ただ、根底にあるのはもちろん音楽なんだよね。音楽周りの情報を発信する今の立場にあっても、まずは自分が楽しむ…それがないと面 白くない。

浜崎:情報の伝達に関して言えば、ここ数年、またちょっと変わってきたと思いますね。インターネットも含めて情報がたくさん手に入ってくることに対して、「嬉しいな」という気分から「もういらないじゃん!」っていうふうに変わってきてるというか、今は次の段階に入ってますよね。「いっぱい情報は入ってくるけど、自分のペースで行きます」みたいなね。受け取る側のペースが変わってきてる。それは良い部分もあるけど、ともすれば関心がなくなってしまうという弊害があって、結構複雑ですね。

今野:インターネットも、テレビも、ラジオも、雑誌も、基本的に音楽を伝える媒体として今も有効だけど、それ以前にアーティストの成立の仕方、音楽シーンの在り方自体が、21世紀をまたぐ頃から変化してると思う。いろんな事情もあるけど、発信する側の音楽の作り方やその伝わり方、受け手側の音楽への感情も変わった。例えば、単純にテレビだけを見て音楽の情報を得るしかない人にとっては、自分の好きな音楽と出会うのが今は凄く難しいよね。それはラジオも然り。昔はFMなんかでアルバムの全曲をフルで流してたけど、今はそういう時代ではない。やっぱり、売れてるアーティストのヒット曲が優先的に流れる。もちろん、現場ではそれぞれが反省点を踏まえて考えてるとは思うんだけど。僕が子供の頃、「本を読む時にはまず“乱読”しなさい」と親に言われたんだ。「“乱読”していくうちに自分にフィットする作家と巡り会って、そこから自分の精神を作りなさい」って。でも今の時代は、音楽に関して言えば“乱聴”が許されないんだよね。僕らは“乱聴”してきたからこそ、ジャンルにとらわれない感受性を培うことができた。テレビでは天地真理さんがニッコリ微笑んでいて、ラジオではチェイスの「黒い炎」が流れていたりするようなギャップを自然と受け入れて、自分の嗜好を判断した。だから、“乱聴”できない昨今の風潮に対して僕が思うのは、ただ一言、「面 白くないんじゃないの?」っていうことなんだよ。

浜崎:まったくその通りですね。

今野:そんな状況のなかでのインターネットの役割は、もう一度“乱聴”を可能にするというか、方法論以前に音楽を活性化していくことだと思ってる。まだまだ未熟なんだけど、音楽をもっといろんな人の耳に届く環境を作るってことだよね。そうすれば音楽の作り手側にも喜びやエネルギーが生まれるわけだから。

浜崎:なるほど!

今野:例えば浜崎が今日ライヴで唄った歌をすぐにストリーミングで配信することは可能だけど、僕はそれがインターネットの良さだとは絶対に思ってないから。もっとそれより前の段階での課題がいくつもあるしね。我々“BARKS”は〈LOFT LIVE LINE〉というライヴ配信をロフトと共にやっているんだけど、一番最初に立ち上げる時に、「インターネット上の音楽と最も遠いところにあるものは何だろう?」って考えて、それはライヴだと思ったわけ。ライヴとインターネットがどう結び付くかが一番の課題だった。僕も含めて、“BARKS”のスタッフにとって〈LOFT LIVE LINE〉は凄く面白い試みなんだ。

浜崎:志というか、テーマですよね。大雑把に言ってしまえば“愛”ということなんですけど(笑)。僕の立場から言うと、そういうものをきちんと表現するしかないと思うし、「自分はこれを最高だと思って唄ってる!」と思ってやらないと次に進めない。ここまで来たらとことんやるしかないし、開き直って自分のやりたいことをやり尽くす、というか。その結果 として皆が喜んでくれるような…エンターテインメントですよね、最終的には。それをやりきる。決して自分のためだけじゃなくてね。それに対して付いてくる結果 というのは…“運”ですよね(笑)。だから“運”の時代でもあるのかなと。誰かがビジネスとして成功しても、次に待っているのがその正反対のことだったりするようなね。

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