谷口 健&大地大介(fOUL)/岡崎善郎(PEALOUT) 吉村秀樹(bloodthirsty butchers)/河合盛樹(NAHT)/ 谷口 順(GOD'S GUTS/we are the world)/トク(プンクボイ/ロマンポルシェ。)/ WOO(デザイナー)/与田太郎(RIGHT AGENT)/園山恭平(LIBRA RECORDS)/西村仁志(SHELTER)
あの時、確かにそこにいた──
出るぞ出るぞと噂の絶えなかったビヨンズのトリビュート・アルバムが遂に発売、それを記念してのライヴが下北沢シェルターで2日間にわたり開催決定! 店長・西村仁志も感涙にむせぶこと必至のこのライヴ決行を前に、アルバムに参加した主要豪華ミュージシャン&関係者が丑三つ時のシェルターに一堂に会し、ビヨンズに対する有り余る程の想いの丈からアルバムの制作秘話に至るまでを存分に語り倒した!
(文・構成:椎名宗之)
ビヨンズを組んだきっかけはブッチャーズだった
園山:今回は“ビヨンズ・トリビュート”に参加頂きまして、本当にありがとうございました。皆さん、どれも素晴らしい出来で…。
──今回こうしてトリビュート盤が作られたり、伝説のバンドとして語られることが多いビヨンズですけれども、具体的にはその凄さってどんな部分だったんでしょう?
谷口 順:自分はセカンドが凄い好きなんだけど、当時ああいうバンドは日本になかなかいなかったよね。
盛樹:ブッチャーズもそうだけど、音に勇気があるっていうか、チャレンジしてる感じが凄くいいなと思った。当時ハードコアって言っても、アメリカン・ハードコアってまだそんなに根付いてなかったからね。
吉村:凄い新鮮でしたよ。自分らと同じ悪いところを言えば、“曲が長い”ってのが(笑)。でもメロディがいいっすからね、取りあえず。
岡崎:ファーストを聴くと、リズムの持っていき方とか凄いなって思う。「何でこうやって次のリズムに行けるのかな?」って。
谷口 順:最初、ビヨンズのメンバーに「ニューキー・パイクスって知ってますか?」って訊いたら、「ああ、あのスニーカー履いた人たちでしょ?」って言って、「あれ、仲悪いのかな?」って思って(笑)。逆にノリ(ニューキー・パイクス)に「ビヨンズって知ってる?」って訊いたら、「ああ、知ってる、知ってる」って。そういう音をやってる奴らがいるって凄く意識してたみたいで。
──健さんは当時、ニューキー・パイクスをどの程度意識してたんですか?
ビヨンズの“声”、谷口 健氏(右)と自称“日本一のビヨンズ・ウォッチャー”トク(ロマン優光)氏(左)。
谷口 健:僕からしたら、彼らはもっと崇高な位置にいる人たちでしたね。テクニカルだし、アレンジとか凄かったですからね。でも個人的には、余り憧れやライバル意識はなかったですね。ビヨンズを組んだそもそもの意識というかきっかけは、恥ずかしいですけどブッチャーズだったんですよね。その前にパペッツっていうバンドをやってたんですけど、ブッチャーズを観て、ヨウちゃんの紹介で谷口君とか北海道の人たちと知り合うようになって、自分のやってることが恥ずかしく思えたんです。だから、彼らが東京に出てきたことで、ビヨンズをより一層具現化できたって今でも僕は感謝してるんですよね。それは殆ど、今回のトリビュート盤に参加してくれた人たちなんですけど。
谷口 順:ニューキー・パイクスとビヨンズが渋谷クアトロでやったライヴ(93年10月)って凄かったもんね。 与田 しかも当日分も含めてソールドアウト。
岡崎:俺、その日が最初のステージだったんだよ! 加入して2週間後にクアトロだったんだから。ファーストは聴いてたから、とにかくワーッとコピーして、家で立って練習して(笑)。当日はストラップが切れたりして、頭の中が真っ白。
──今回のトリビュート盤制作の経緯を改めて聞かせて頂けますか?
与田:ビヨンズは自分にとっても衝撃だったし、自分のレーベル(WONDER RELEASE RECORDS)で出してかなり自信のあるものだったんで、まだまだ聴いてもらえる筈だと思ったんです。ビヨンズのCDは2枚とも廃盤にならずに、今も少しずつ売れ続けてるんですよ。で、ゴーイング・ステディやポットショットとかの若い世代が「ビヨンズが凄い好きだった」っていうのを聞いて。ニューキー・パイクスのトリビュート盤が出たこともあって、「あの当時の良かったものは何かあった筈だ」っていう気持ちをもう一度表に出したい、と。そういう経緯で谷口(健)君に話したのが1年くらい前かな。取りあえず、谷口君や大地君とかが「やってもいいよ」って言ってくれればやろうと。
左からゴッツ・ガッツの谷口 順氏、2代目ビヨンズ・ドラマーの大地大介氏、ブッチャーズの吉村秀樹氏。
大地:最初ね、「今の若い世代がビヨンズを聴いてくれてる」って聞いて、正直言って「ホントかなぁ!?」って思ったんですよ。「どっちかって言ったらハイスタとかのほうが影響力あるんじゃないか?」って。
谷口 健:俺は大介と違って、凄くいろんなバンドの人から「ビヨンズだったんですよね?」って声を掛けられますね。もう何年も前からいろんな所で言われますよ。
大地:そう? 俺は全然言われないんだよね(笑)。
トク:重要視されてないんじゃないの?
大地:お前、本当にキツイな!
盛樹:トク、お前それなら言うけど、「ビヨンズのメンバーに会わせてあげる」なんて言ってファンの子を……。
トク:違う、違うよッ!(必死に弁明)
全員:(爆笑)
──今回、健さんが監修という立場で関わっているそうですけど、具体的にはどこまで立ち会われたんですか?
与田:最初に「こういうのを作りたいんだけど」って話を持ち掛けて、相談しながらやってて。ジャケット周りまで含めて、谷口君のハンドリングでやってる部分が多いんです。
谷口 健:当初は参加バンドも、僕の知らない若い人たちにも参加してほしかったんで、そういう面 識のない人たちは与田さんと恭平君にお任せして。結果的には結構身近な人たちにはなってしまったんですけど(笑)、凄いやって良かったです。
与田:あの瞬間に居た場所に今も居続けるっていうのは大変なことだと思うんですよ。皆こうして音楽をやめずに自分がやりたいことを今も続けてるっていうのを、こうして形にできたのは良かったなと。
谷口 健:僕は監修なんて名ばかりで、皆さんにお願いすることばかりで…。ジャケットのデザインはWOOちゃんに全面 的にお任せしてやって頂いて。
WOO:バンドとして参加できないぶん、一生懸命やりました。