Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】KEITH & 小林茂明(2002年1月号)結局場所が何処になっても、人が重要なんだよ

結局場所が何処になっても、人が重要なんだよ

2002.01.15

店員までステージに上がってセッションが始まったりする

──今回はKEITHさんの50才の誕生日記念の特別対談ってことなんですが。小林さんがKEITHさんに初めて会ったのはいつごろなんですか。

小林:ロフトに入ったのが1980年の終わりくらいだから、そのへんだね。

──その頃からKEITHさんは夜な夜なロフトに出没してたんですか。

KEITH:う~ん、毎晩結構遊んでたのは、もうちょっと後かな。

小林:いや、充分遊んでましたよ(笑)。ARBに関しては、もちろんウチに出演してもらってたっていうのもあるんですけど。その当時大体毎晩終わってから打ち上げとかやってたじゃないですか。そんな中でもARBは特別なバンドだったんですよね。メンバーと店員との距離感というか。

KEITH:結構スタッフとも一緒に飲んだりしてたもんね。他のバンドも打ち上げに集まってきたり。

小林:そうですね、ルースターズとかアナーキーとか。それと、あの頃「ロフトデー」っていって、毎月だったか2ヶ月に一回だったか。店員のバンドが出演してパーティーをやってたじゃないですか。そういう時もARBは皆来てくれて一緒にセッションしたりとか。

KEITH:ああ、あの頃は朝まで音大丈夫だったから、朝までやってたよね。

小林:あと、当時はとにかく打ち上げがすごくって。打ち上げの方が売り上げがよかったといっても過言じゃないくらいでしたよ。

KEITH:オムライスとかうどんとか結構食ったもんな。

小林:あの頃は普通のお客さんも打ち上げに平気で参加してたからね。ライブ自体がSOLD OUTでも、終わった後パブタイムで打ち上げやるって皆知ってたから、ライブ中に店の前に並んでるんだよ! 打ち上げ待ちで。でも俺、KEITHがすごい酔っぱらってるのって見たことないんですよ。すごい飲んでるには飲んでるんだけど、泥酔しちゃうようなタイプじゃなかったですよね。

KEITH:そうだね、あっちこっちで騒いでるだけだったね。

小林:酔っぱらって寝ちゃったりとか、そういうのを見たことないですからね。

KEITH:だから朝はいつも一人でちゃんと帰ってたもん。

小林:(藤沼)シンちゃんとか(高橋)まこっちゃんとかは大体酔いつぶれて寝ちゃうんだけど(笑)。

──わりと延々飲み続けるタイプなんですか?

KEITH:飲んでは吐き、それでもまた飲むって感じだね。

小林:打ち上げも、最初は大体「今日はお疲れさまでしたー」とかいってレコード会社の人とかがあいさつしたりしてるんだけど、大体2時間くらい過ぎると、ステージに楽器が用意されてて、司会を誰かが初めて働いてる店員までステージに上がってセッションが始まったりするんだよ。

KEITH:その日出演してなくても、色んなバンドの人が集まってたもんね。俺たちも他でライブあっても、終わってからロフトに行ってたもんな。

小林:その頃は、あっちゃん(ニューロティカ)とかJOE(G.D.FLICKERS)とかはまだお客さんとして来てて、その輪の中に入りたいんだけど、恐れ多くてまだ遠巻きに見て様子をうかがってたっていう感じで。

KEITH:和弥(ジュンスカイウォーカーズ)とかも客席でみてたもんね。あの場からバンドを始めた今の中堅バンドっていっぱいいると思うよ。そういう意味ではロフトって本当に特別な所だったよね。

ライブ終わっても残って、騒いで、情報交換出来るみたいなのはロフトくらいだった

──当時のライブハウスが皆そういう雰囲気だったというわけじゃないんですか。

KEITH:そうじゃないよね。色んなライブハウスがあったけど、そうやってライブ終わっても残って、騒いで、情報交換出来るみたいなのはロフトくらいだったね。

──ロフトはただのライブハウスという存在ではなかったって感じですか。

KEITH:その頃のロフトって店員たちもバンドに向かって助言してくれるんだよね。今日のライブはよかったとか、悪かったとか。だから一つになって一緒にやってるって感じがしたよね。

小林:ライブハウスっていうもの自体はもちろんあったんだけど、まだあんまりシステム化されてなかったんで、皆で作り上げていくっていう雰囲気がすごいあったんだよね。「これはオッケーにしちゃおうか」とか「これはマズイよね」とか、ファジーな部分がまだたくさんあったから、余計に出演してるバンドと店側と共同作業で作っているって言う意識が高かったんだよね。逆にそうじゃないと成り立たなかったんじゃないかな。

──ルールをかっちり決めちゃうんじゃなくて、お互いの信頼関係でライブを作り上げていっていたという。

KEITH:本当に手探りだったからね。まだ目標とするものが何もなかったから。

小林:ライブのセキュリティー面に関してもそうで、今は鉄柵があって、セキュリティーがいてっていうのが当たり前なんだけど、当時はなにもないからね。観ててヤバイって判断した人間が止めにいくんだよ、お客さんでも。俺なんかも店員で入って、最初はまあ料理とか覚えるんだけど、次にやるのはストッパーなんだよね。それで、演出っていうとちょっと違うかもしれないけど「盛り上がり」という部分とその中でも「これはマズイ」っていう線引きってすごい微妙だから、それを空気感で覚えていくんだよね。

KEITH:でもアナーキーはストッパーいらなかったけどね。全員ステージに上がっちゃってたから(笑)。もう止められない、ヘタに止めたら危ないし。はじまったら誰がメンバーだかわかんなかったもん! でもお客さんも、今みたいに無茶な暴れ方したりって感じではなかったよね。

小林:ある意味、お客さんも一緒にルールを作ってたっていうのもあるんじゃないですかね。観る側とやる側、店側の三つがうまい信頼関係の元に確立してたからこそ成り立ってた状況なんじゃないですかね。

KEITH:それぞれ責任持って守るところは守ってたからね。

小林:自然に生まれてきた信頼関係だからこそ、ああいう雰囲気で出来たんだと思うけど、今同じ事をやれっていってもなかなか難しいでしょうね。

KEITH:そうだね。

小林:KEITHなんか年齢とかもちろん上だし、いろんな意味で大先輩なんだけど、もちろんその立場はありつつも人間としてはすごいフラットな関係性があって、年齢とか関係なし対等にディスカッションが出来る場だったよね。それはやっぱ皆が自然にそういう空気を作ってたんだと思うけど。

──バンド、店、お客さんもそのシーンに参加してるという意識があったわけですね。

小林:あと時代背景的に、あのころロフトに集まる様な子達って社会全体からするとごく一部だったじゃないですか。だから一般の社会とか一般の人たちからはすごく異色の目で見られてた部分があるんだよね。そういう社会状況もあったから余計に団結があった部分もあるんじゃないかな。

──80年代ころもまだロック=不良の音楽みたいなのってあったんですか。

KEITH:それはあったね。音楽的にもパンクからテクノなにから色んな新しい音楽が入ってきた時代だから、一般の人からはなかなか理解出来ない部分があったんじゃないかな。でも、だからこそそれぞれのバンドに色がすごいあって、面白かったんだよ。

小林:そういう色んなジャンルが出てきた状況の中でもジャンルごとに分かれちゃわないでメタルもパンクもプログレもブルースもあの空間の中では皆仲よくってね。特にARBなんかは色んなジャンルの人たちと仲良かったけどね。今思うと不思議な場所だよね。

KEITH:あの時はそれが普通だったんだけどね。この日(2月6日)も色んな人来るんじゃないかな、これだけのメンツが揃うって滅多にないもんね。

小林:あの当時ARBはもっと大きな所とか他のライブハウスとかでも色々ライブやってたわけだけど、ロフトでやる時ってやっぱり「家に帰ってきた」みたいな感じだったんですか。

KEITH:そうそう。他でやっててもなんか落ち着かないんだよね。やっぱりロフトで仲間と一緒に打ち上がんないと。

小林:店員の方もお帰りなさいって感じでしたよ。もちろんそんなことを言葉で確認はしないんだけど、自然とそういう雰囲気になってたんですよね。大げさかもしれないけど、ARBって人間を育ててたっていうか。メンバーから店員に対しても「ダメなモンはダメ」みたいなことを言ってくれたし、関係性が近いからここはしっかりやれよみたいな事をお互いの中で作っていけてましたよね。

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