“表現の不自由”が見事にあぶり出された
前回は、自己紹介代わりに、今の憲法の作られた経緯について、ちょっぴり書きました。続きを書こうかとも思っていたのですが、重要な問題が起きたので、そちらについて思うことを述べてみます。『あいちトリエンナーレ2019』の中で開催されていた「表現の不自由展・その後」の中止問題です。
なぜなら、僕の友人で敬愛する美術家・大浦信行さんと、その版画作品『遠近を抱えて』と、版画を含む20分の映像『遠近を抱えてPartII』が「天皇陛下の肖像を焼いている」としてバッシングの対象になっているようだからです。
▲『遠近を抱えて』14枚の連作のうちの1枚。
「表現の不自由展・その後」については、多くの方が断片的ではあれ、知っていることでしょう。最初、この事件を知った時、『あいちトリエンナーレ2019』の催しそのものが中止になったのかと誤解したのですが、なくなったのは「表現の不自由展・その後」という企画展でした。開幕3日で中止になった際、従軍慰安婦をめぐる問題とか、政治家の介入の問題とかいろいろ言われました。
隣に椅子の置かれた、慰安婦を表現した少女像は、それが置かれている場所の一つであるソウルの日本大使館前に、僕も一昨年行きました。でも近くには寄らず、眺めていました。名古屋の河村たかし市長が、今回の少女像の展示を見て「日本国民の心を踏みにじる行為」と内心で思うのは、心情としては分かる部分もありますが、だからと言って、自分の力で中止に持ち込むのは、政治家として、公権力者として正しい態度とは思えません。
僕の原則的態度としては、芸術や表現行為に対して、公権力や政治が介入するのは間違いだと思っています。有名なヴォルテールの言葉(と言われている)「君の意見には反対だ。でも、君がその意見を主張する権利は命を懸けて守る」は、僕にとっても金科玉条の言葉です。
その上で、今回のことを考えるなら、率直に言うと、「初めから分かってたんじゃないの?」というのが、僕の思いです。
芸術監督の津田大介さんが朝日新聞のインタビューに答えているのを読むと、想定外の外交関係や不幸な事件が、津田さんの「中止やむなし」という判断に影響したと述べています。想定外の外交関係とは、この間の日韓の貿易問題でのトラブル。不幸な事件とは、京都アニメーションでのガソリンをまいての放火・殺人事件でしょう。今回の脅迫の中に「ガソリン缶を持って行く」というファックスもあったそうです。こういうことに対して、守るほうは無力です。どんなに手を尽くしても、やる気になれば簡単に方法はあるでしょう。
さはさりながら(古い言葉ですね)、津田さん個人は苦渋の決断だったのでしょうが、「あまりにもあっさり中止にしたな」と無責任かもしれませんが、思います。無責任というのは、案外本質をつく場合も多いと思います。
そう考えると、一連の騒動全体が、想定の範囲内だったのではないか、そんな妄想さえ、してしまいます。表現の不自由を、見事にあぶり出したからです。
▲8月22日、文京区で開かれた緊急シンポジウム
「『表現の不自由展・その後』中止事件を考える」(創主催)
には400人を超える人々が詰めかけた。
私の畏敬する友人・大浦信行さん
いや、ここでは、こういうことを書きたかったのではありません。この辺の当否・原則論と現場判断の乖離などについては、多くの専門家・識者によって、議論が尽くされることでしょう。ただ僕は、この問題は表現の自由に還元される前に、もっと政治的な要素が強かったのではないかと感じています。
また、寄り道したので、元に戻ります。
ここでは、少女像とともに、もう一つ、バッシング(と中止)の大きな要因となったらしい、大浦監督の作品『遠近を抱えて』と、大浦監督自身について、話したいのです。
大浦監督とは、もうずいぶん前から、シンポジウムやトークイベントで顔を合わせて知り合っていました。顎髭の似合う、物言いの静かな人物で、僕より数歳年下ですが、どこやら大人〈たいじん〉の風格です。親しくなったのは、監督が見沢知廉を映画の題材にした作品『天皇ごっこ』を作った時からです。見沢知廉とは、僕がまだ代表をやっていた頃、一水会に入ってきた若手のホープでした。なにしろ、一水会に来る前は新左翼のブント戦旗派のバリバリの活動家だったから、頭はいいし、筆は立つ。弁舌爽やか(口調は早口でよく分からないところはありましたが)なので、女性にもてる。
そんな見沢は、一水会内部のスパイ査問事件で殺人罪に問われ、12年の獄中生活の間に小説を書き、新日本文学賞の新人賞に選ばれます。その作品が、大浦監督が映画化した『天皇ごっこ』でした。映画の題名としては『天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命』です。
見沢の妹役として、僕もよく知る女優あべあゆみさんが狂言回しを務め、見沢ゆかりの人々を訪ね、話を聞きます。僕もインタビューされて出てきます。ドキュメンタリーとフィクションがないまぜになって、複雑な男を描く、面白い映画でした。実は見沢は、文学や人間関係に行き詰まったのか、あるいは薬の幻覚なのか、最後は住んでいたマンションの6階から飛び降り自殺しています。映画の中でそのことを語るお母さんの態度に感服しました。
いま気がついたのですが、映画の題名は、小説の原作そのままなのですが、天皇という単語が入っていたんですね。
今回、バッシングされた作品は、テレビなどでは「天皇陛下の肖像を焼いている」と要約されるので、韓国の反日デモの連中が日の丸や安倍首相の写真を焼くようなイメージが連想されますが、そうではありません。
大浦監督の版画作品『遠近を抱えて』は、監督ご自身は自画像だと言っていますが、監督の顔が描かれているわけではありません。ニューヨークにいた10年間、違う民族・違う文化の中で生きて、自分のアイデンティティ、自分を形作ってきたものは何かを問いかける版画で、全部で14点ありました。その中に、世界の名画や風景、そしてヌードとか解剖図、骸骨などがコラージュされ、昭和天皇の若い頃の肖像も入っています。つまり大浦監督のアイデンティティの中に、天皇が刻まれているということです。
あわてて断っておきますが、以上はすべて僕の解釈で、監督の狙いがどの辺にあるのかは、是非、ご自分で確かめてください。とは言うものの、作品が公開されないのではどうしようもない。でしょ? これが僕が一番批判する事柄です。
かつて、日本のイルカ漁問題を扱った『ザ・コーヴ』という映画について、一部の右翼が映画館に押しかけ公開中止を要求した時、僕は映画館を守る側に立って彼らと対峙し、顔を殴られたこともありました。同じ動機の行動です。見ないで批判なんか、できるわけがない。批判するんだったら、見た上で内容で勝負すればいい。
取るべき態度は大浦さんの作品を鑑賞すべきで、その上で批判するならする、論破したいなら試みる、擁護したいなら論陣を張る。これがない限り、お互いに成長しないのではないでしょうか。
「表現の不自由展」については、数年前に江古田のギャラリーで開かれた時も、見に行きました。そこでだったかは記憶が定かではないのですが、従軍慰安婦の撮影をしている写真家・安世鴻さんにもお会いして、話をした覚えもあります。安さんの作品も、ニコンサロンで公開が決まりながらも中止が通告され、仮処分申請で結局写真展は開かれ、大勢の人が訪れたはずです。
ここまで書いて紙幅が尽きました。今回も中途半端ですみません。
▲会場で流された大浦信行『遠近を抱えて』の1枚。
構成:椎野礼仁(書籍編集者)