朗読詩人 成宮アイコの「されど、望もう」
横のつながり、大切にできますか? こんにちは、朗読詩人の成宮アイコです。
コロナ渦になって窮屈な気持ちでいるのはわたしだけではない、なんて十分にわかっているのですが、それでも「もうたくさんですが!」と大きな声で言いたくもなります。
それは、「もうどうなったっていい」と思ってしまいそうになる自分の小指第一関節だけをつまんで、なんとか引き止めているような気分です。息を吸うだけでライフを消費していく。その反面、「もうどうなったっていい」と思って生きるのはとても楽だったりします。
なぜなら、半年後のことも、来年のことも、5年後の未来像も考えなくていいからです。考えなくていい、というよりは考えることをぶん投げて放棄するだけですが。考えたとしてギリ明日。だって、「もうどうなったっていい」のだから。
どちらかといえばあらかじめその性質が備わっていたわたしは、まあまあそれが色濃く出る日々もあるだろうなという多少の余裕はありますが、毎日を丁寧に重ねているように見える人が、それまで積み重ねてきた人生のすべてを壊してしまいそうな、刹那的な言動をする場面に遭遇するとヒヤっとします。
「もうどうなったっていい」は、人によってさまざまな面で露呈します。わかりやすくお金や性の浪費であったり、危険をかえりみない行動、スリルとひきかえの生きている実感、あるいはひどく強い自虐とヘイト。
捨て身にならずに生きていくことはたいへんです。逆に、自分をぞんざいに扱うのは楽です。しかし、どうだっていいと思っていると最悪なことが起こったとしても自分のケアをしてあげようとは思えなくなり、他人にもきつくあたってしまいます。もうなんだって関係ないし、優しくしてもらわなくても結構。本当に無理になったら全部やめればいい。どうでもいいや、頑張ってきた仕事も、人間関係も、ぜんぶどうでもいいや。
それはつまり、本当に無理になったら死ねばいいやと同じ意味です。
ただ、自分自身がそう思っている瞬間も頭のどこかでは、「本当に無理なら○○があるし、」に当てはまるのは、やっぱり救いであってほしいなと願ってしまうのです。どうだっていい、くせに、ほんとうのほんとうは希望がほしい。
やはり、自分のことはなかなか完璧には捨てきれず、そこがわたしのかっこ悪いところなんだよなと思います。それでも未来に期待ができるほどの楽観さも、困難に耐える精神力もない。人に期待することは、叶わなかったときに気を落としてしまうからできるだけ避けたい。人を憎まないように孤立していたい、むしろそれが今できるわたしの最善だ。
そんなとき、人と人の繋がりをうたう音楽が流れてくると、音楽に殺されそうな気持ちさえします。
もちろんそれは比喩で、音楽はわたしを物理的に攻撃はしてこないし、ただそこに流れているだけ。わたしの耳が勝手にキャッチして、わたしの意識が勝手に変換してしまうだけ。そこまでくるともう自分で、これはヤバめだなと気づきます。そんなときはわざと声に出してみます。そう感じた自分を否定するのではなく、勝手にそう感じちゃったなっていう自覚のために。
「わたしいま、この曲にすごく悪口言われてる気持ちになってるんだけめちゃくちゃ自分勝手じゃない?」
もし、わたしが誰かにそう言われたらどうするだろう。
たぶんきっとこう答えます。
「でもさ、そう思っちゃうことあるよね。」
人に優しくできない日もあるし、人に優しくされて「どうでもいいわたしに優しくしないで」とイラついてしまう日もあります。人の繋がりは大切にすべきなんてわかってるのに、わかってるからこそ押し付けに感じてしまう日があるのです。もうそんなの言われなくてもわかってるよ!(でもさ、そう思っちゃうことあるよね。)
「もうどうなってもいい」さえもすり減ってしまわないために、あなたの最後の最後にある手段は使わないままでいてほしい。なんて、自分にはあまりそう思えないのに、他人には強くそう願うわたしたちってめっちゃ優しくないですか?
成宮アイコ Profile
朗読詩人。「生きづらさ」や「メンタルヘルス」をテーマに文章を書いている。朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ、新潟・東京・大阪を中心に全国で興行。書籍『あなたとわたしのドキュメンタリー』(書肆侃侃房)、詩集『伝説にならないで ─ハロー言葉、あなたがひとりで打ち込んだ文字はわたしたちの目に見えている』(皓星社)。EP『伝説にならないで』の新解釈版『裏 伝説にならないで』配信リリース、術ノ穴presents「HELLO!!! vol.12」に収録。