優しさ、受け取れていますか? こんにちは、朗読詩人の成宮アイコです。
阿佐ヶ谷ロフトAにて、コミックス『毒親サバイバル』(菊池真理子・著/KADOKAWA・刊)刊行記念トークイベントに出させていただきました(第3話でわたし成宮を取り上げていただいています)。そこで、「ウチのフツウは変でした」と題して、難あり家族で育った方々から「家の中にあった変な常識」のエピソードをたくさんお聞きしました。テレビは親が作ったリストの番組しか見られないとか、女性の食事は男性の食べ残しだとか、靴下一つ買うのにも親に土下座するだとか……常識的に考えれば、「ないない!」と思うエピソードをお焚き上げの気持ちで読み上げまくったところ、あるあるとみんな頷いたり驚いたり、解決はしなくともいろいろなことを知る/聞くというのは少し浄化作用を感じました。
そこで、思い出したできごと。
長い付き合いの友人と、友人のご家族とご飯を食べに行った日、友人父ははりきってわたしたちを人気店に連れていってくれました。しかしさすが人気店、ご飯どきということもあり長蛇の列です。でも食べたいよね、並ぼう! と、友人父だけがにこにこ顔で行列へ加わりました。友人一家も言い慣れたように「ありがとう」と手をふり、わたしを連れて車に戻ります。
えーーーーーーーーー!
子どもに甘い父、慣れたように手をふる家族……自分の記憶を辿ります、ないない。そもそも団欒で出かけて楽しかったことがあるか? ないない。記憶の中の楽しい記憶はいつも誰かが欠けています。その後、勝手に距離を感じてしまい、一時的に疎遠になってしまいました。完全にわたしの問題です。そんなこと、これまでの人生に、「ないない」だったからです、ごめんなさい。
そして、気づきました。
優しさを当たり前のようにして受け取ることができない、という自分の穴に。人間関係がうまくいかないとき、思えばこれが大きな要素だったのかもしれません。嬉しいこと、ありがたいことがあると不安になり、避けてしまう……。あっちに幸せがあるぞ! と気づけば逆方向に行き、ここに喜びが落ちているぞ! と気づけば飛び越えて見ないふりをし、ふいに受け取ってしまった日には持て余し、そっと足元に忘れ物のように置いて、その場から去ってしまう。「幼少期に穏やかな暮らしをしていないことによる幸せ恐怖」というわけのわからない状況。
これまでは、この家族問題を乗り越えなくては、今後もずっと幸せになれないのでは、と思っていましたが、毒親イベントでエピソードを読み上げていくうちに、自分の原因に気づけたことをゴールにできるような気がしました。吹けよあれよ風よあらしよ! とばかりに人生をめちゃくちゃにした家族は、もうこの世にいないからです。それはそれ、これはこれ。許さないことにしたもの/綺麗事にできないものとして記憶の端っこに追いやり、わたしはわたしで勝手に幸せになればいいや。
不安に思う原因さえわかれば、「ああ、この気持ちは知ってるやつだ。原因があるわけだから、別に罪悪感持たなくてオッケ〜」と受け流せました、すごい。
不安に思う原因さえわかれば、「ああ、この気持ちは知ってるやつだ。原因があるわけだから、別に罪悪感持たなくてオッケ〜」と受け流せました、すごい。
コンプレックスやトラウマに対してもそうですが、それらを「もう気にしていません、もう自分は大丈夫です」と無理やり美談にはしたくない。だって、乗り越えられてはいないけれど、それを抱えたままでも生きている、という美しさのほうを肯定し続けていたいのです。

成宮アイコ(Aico Narumiya) Profile
朗読詩人。「生きづらさ」や「メンタルヘルス」をテーマにした詩の朗読をしたり、文章を書いている。朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ、新潟・東京・大阪を中心に全国で興行。赤裸々な言動により、たびたびネット上のコンテンツを削除されるが絶対に黙らないでいようと心に決めている。趣味はアイドルとプロレス。