人生、書き残していますか? こんにちは、朗読詩人の成宮アイコです。
わたしがこうして文章を書くようになったのは、「あいつの声、キモくね?」と言われて人と会話ができなくなった時期に、コミュニケーション欲求の代替えとして日記を5種類同時に書き続けていたのが始まりでした。
当時、できるだけ声を発さないように気をつけて生活をしていたのですが、人間はずっと黙っていると自分の声の大きさの見当がつかなくなるようで、予想外に話しかけられた日には「はい!!!!」と周囲がびっくりするようなボリュームMAXになったり、逆に意識しすぎて声が出ず、無視したかのような現象が起こり余計に孤立したので、一人の部屋で多少声を出してみておいたほうがいいです。人は今の姿だけでは分からない過去があるものですよね。
あまり人に言えない趣味のひとつに「仲良くなった人のSNSをさかのぼって読むこと」があります。人生において忌まわしい「声キモくね事件」がたびたび発生していたせいで、嫌われているという前提で人付き合いを開始するため、他人が自分をどう思っているのかはさほど興味がないのですが、他人がその人「個人」の時に一体なにを見てどう考えて生きているのか、ということに強い興味があります。
たとえば、スマホのロック画面は何を設定しているかとか、パスワードを忘れた時の秘密の質問に何を入れているかとか、発展する前に話題に出なくなった恋愛未満のエピソードとか、お気に入りの歌詞を引用した一人語りとか、やけ酒をする日の愚痴だとか。ああ、今はこの人こんなにスマートに生きているのに◯◯な過去もあって、それを経ての今なのだなぁと思うと愛おしくなるのだから不思議です。
そんな後方彼氏面(アイドルライブの後方など遠い場所で「うんうん」と頷いたりしながらじっと見守る系オタ)のわたしは他人への興味がありすぎて、現実世界でまったく知らない人のブログも読み続けています。
ある一家では、幼かった長女が大学進学のために地元を離れて、そのあいだ家族に猫が増えて、大学を卒業をした長女が地元で就職をして、また家族が全員揃うというストーリーが進行中です。長女が帰ってきた日の記事は読みながら号泣しました。もちろん、見ず知らずの一家です。そもそも読み始めた当初は、わたしの人生に一度もやってこなかった「家族が揃う平穏な日常」を恨めしい気持ちで見ていたのですが、書き手のお母さんがたまに綴る「年齢を重ねる自分への不安」「反抗期の娘への苛立ち」「自分が子どもだった頃の回想」の人生の重みを前に、邪気は消えてしまいました。自分と一緒に不幸でいてほしいと願うよりも、他人の幸せに寄り添う心を持っていようね。
人生はハッピーエンドばかりではないけれど、放り投げたい日々にも尊い瞬間はいくどもあって、人間の人生は絶対的に美しい。もちろん、ロクでもないことを含めて。だから見渡してほしいのです、あなたの周りを。取りこぼされてしまった愛情がきっと落ちているから。