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牧村 夏期ゼミ#3 『東京から世界へ』第4回【ゲスト】長曽我部久

月刊牧村 夏期ゼミ#3 『東京から世界へ』第4回【ゲスト】長曽我部久

2020.05.15

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月刊牧村 夏期ゼミ#3 『東京から世界へ』第4回
2019年9月8日(日)ROCK CAFE LOFT is your room
【講師】牧村憲一
【ゲスト】長曽我部久
 
前回と同じく、70年代後期より山下達郎、竹内まりや、YMO等のサウンドエンジニアにしてPA界の先駆者、長曽我部‘チョーさん’久さんを迎えての夏期ゼミです。連続3回の2回目になります。70年代の音創りを語り合えるのは、チョーさんがいるからこそできることです。今回はシティ・ミュージックの鍵、六本木ピットインを解くところから始めます。
 

レコーディング・スタジオと直結していた六本木ピットイン

 
牧村:長曽我部さんを迎えての3回シリーズの2回目になります。1978年から79年くらいまでを中心にお話ししますが、今も現役で活躍されている人たちが数多くデビューしているんです。YMOは1978年11月25日にレコード・デビュー、同じ日に竹内まりやもシングル盤『戻っておいで・私の時間』でデビューしています。また、同じ年の6月にはサザンオールスターズもデビューしていました。それまでのアイドルや歌謡曲一色だった芸能界、音楽界がかなり変わってきたわけです。
 こうした動きによって、それまでティン・パン系をサポートしていた新宿ロフトは、徐々にパンクへ移行、一方1977年8月25日にオープンした六本木ピットインが、思いがけずもう一つのムーヴメントを担うことになります。すでにPAエンジニアとして活躍していたチョーさんと、六本木ピットインとの関係もじっくり聞いてみたいと思います。
 
長曽我部:どうもありがとうございます。おかげさまで無事2回目を迎えることができました。よろしくお願いします。前回聞いていただいた方には重複しますが、僕は当初、浜田省吾くんが在籍していた愛奴というグループのマネージャーがキャリアのスタートだったんです。当時、山下(達郎)くんはシュガー・ベイブというグループをやっていて、その頃のロフトではシュガー・ベイブと愛奴のツーマン・ライブを盛んにやらせてもらって随分とお世話になりました。
 
牧村:チョーさんは76年以降にPAが本職となるわけですが、PAエンジニアのプロとして自他ともに認めるアーティストと言えば?
 
長曽我部:やっぱり山下くんですね。六本木ピットインのこけら落としが確か1週間くらいあって、その中の1日を山下くんがやったと思うんですよね。『IT'S A POPPIN' TIME』に収録したライブをやる前も、山下くんは六本木ピットインで何回かライブをやっていて、同じビルの上階にCBS・ソニーのスタジオがあったんです。ライブハウスとレコーディング・スタジオが直結していたのでライブが録りやすい環境だったんですね。山下くんとしては六本木ピットインを盛り上げていきたい気持ちもあったんでしょう。音も気に入っていたし、いいメンバーが揃うということもあったし、一時期は六本木ピットインをホームグラウンドのように使っていましたね。
 
牧村:山下くん、吉田美奈子、アッコちゃん(矢野顕子)。
 
長曽我部:あとター坊(大貫妙子)。
 
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ミュージシャンのモニター・ミックスを“開発”

 
牧村:当時の六本木ピットインの音響設備というのは実際どうだったんですか。
 
長曽我部:設備は…まあギリギリでしたね。
 
牧村:何が魅力だったんですか。
 
長曽我部:新宿ピットインはジャズをメインにやってきた大きな実績があったけれど、当時ジャズのカテゴリーでは括りづらいフュージョンが出てきて、それで六本木ピットインをフュージョンの場にしたと思います。唯一の場になりました。
 
牧村:そういうことも含めて夜な夜な、腕利きのミュージシャンたちが六本木ピットインに集まるようになった。六本木ピットインには専任のPAエンジニアの方もおいでになったんですよね?
 
長曽我部:はい。ハウス・エンジニアの方がいらっしゃいました。
 
牧村:それにもかかわらず、チョーさんが六本木ピットインでPAエンジニアを担当したのはどんな経緯があったんですか。
 
長曽我部:ミュージシャンの方のお声がけがあったからですね。ギャランティは出演者がライブチャージを頭割りするわけですよ。お店はドリンクやフードで利益を出して、たとえばライブチャージが3,000円だとするとミュージシャンにはそのうちの2,000円をバックする。僕はその頭数に入れてもらっていたんです。
 
牧村:メンバーの一人として数えてくれていた?!
 
長曽我部:そうなんです。本来ならハウス・エンジニアがいらっしゃる所へ僕が行く必然性はないのですが、バンド側がハウス・エンジニアの方に「今日はチョーさんが来るからよろしくね」と一声かけてくれていたんです。そのおかげで現場で揉めるようなことは全くありませんでした。
 ギタリストの松木(恒秀)さんを僕は尊敬していて、残念ながら2017年に亡くなられてしまったんですが、「俺のライブはこれから必ずチョーさんを呼ぶから頼むね」と言われたのは『IT'S A POPPIN' TIME』のライブの時なんです。『IT'S A POPPIN' TIME』は村上秀一(ドラム)、岡沢章(ベース)、松木恒秀(ギター)、坂本龍一(キーボード)、土岐英史(サックス)、吉田美奈子(コーラス)、伊集加代子(コーラス)、尾形道子(コーラス)というメンバーでやったライブなんですが、松木さんはレコーディング・スタジオでも大変厳しい方で、自分の音に対するこだわりもすごく持っていて、レコーディングでもそれがどういうタイプの音楽なのか、そこで自分は何をするべきかをすごく真剣に考える方だったんです。とあるCMソングを録ることになった松木さんがスタジオでデモテープを聴いて、自分のローディーに「おい、俺の楽器は全部積んでいいぞ」と言ったそうなんです。「この曲は俺じゃないほうがいいから帰るわ」と。本当にそういう方だったんですよ。
 
牧村:それは怒って帰ってしまったのか、それとも音を聴き分けて自分向きじゃないと判断したからですか?
 
長曽我部:まあ、怒ったんでしょうね(笑)。なんで俺を呼んだんだよ? ということだったんだと思います。ポンタさんもそうでしたが、松木さんはスタッフに対してすごく厳しかったんですよ。ただなぜか僕はそういう人たちに気に入られて、とても可愛がってもらったのはラッキーでした。今もすごく感謝しています。
 
牧村:チョーさんはミュージシャンが演奏しやすいPAを創案したそうですね。
 
長曽我部:はい。当時は客席に1台コンソールが置いてあって、そこにステージ上の音が全部集まってくるわけですよね。それをまずお客さん用にLRの2チャンネルのミックスをするんですが、同時にミュージシャン各自がそれぞれの音を聴くためにモニター・ミックスもするんです。六本木ピットインの場合、だいたい4ミックスから6ミックスくらいをミュージシャンのためにします。そうなると、たとえばハウスのミックスのためにボーカルのイコライザーを作ったりすると、モニターにまでイコライザーがかかってしまう。だから1本のボーカルマイクがコンソールまで来たらそれをYの字で2つに分けてあげて、コンソールのチャンネルを2チャンネル使うんです。片方はハウス用のミックスでフェーダーが上がっているんだけど、片方はフェーダーが上がっていない状態。要するにステージ上へ送るためのミックス専用のチャンネルを作るわけです。
 ポンタさんや松木さんは自分の音に対してすごく厳しくて、たとえばポンタさんは自分のバスドラムの音をすぐそばにあるスピーカーで聴くんですが、「こんな音じゃやりたくないよ!」とか平気で言うんですね(笑)。そういう時も同じようにバスドラの音を2つに分けてあげて、ポンタさん専用のイコライザーをかけて音を返していました。自分で言うのもなんですが、そういうことをすごく評価してくださるミュージシャンが多かったんです。
 
牧村:チョーさんが少ないチャンネル数だけれども調整して、ミュージシャンはそのセンスと音に惚れて、チョーさんを手放せなくなっていくわけです。ハウス・エンジニアもチョーさんの手法を見て学びますよね?
 
長曽我部:「真似していいですか?」としょっちゅう言われましたよ(笑)。
 
牧村:おそらく1年ほどでチョーさんの手法が全国中に知れ渡ったわけですから、もしそれに著作権やパテントがあればチョーさんは今頃ビバリーヒルズに豪邸を建てていたでしょうね(笑)。それくらい画期的なことだったんです。
 
長曽我部:一つ補足させてください。小さい規模のライブハウスでは今もハウスのコンソールのミックスを送り返していますが、ホールの場合はミュージシャン専用のコンソールがステージ袖に必ず置いてあるんです。ステージ上にあるマイクロフォンを全部パラって(パラる=並列に結線すること)、片方をハウスに送り、片方をモニター・コンソールに送り、それぞれのミュージシャンのために別々にミックスするのが今は常識になっています。
 
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マイク・マイニエリが「あのYMOのエンジニアは何者だ!?」と驚嘆

 
牧村:渡辺香津美さんのツアーにもPAエンジニアとして参加されましたよね?
 
長曽我部:KYLYNの後ですね。アルバムで言えば『TO CHI KA』からです。僕が『TO CHI KA』のツアーに参加するきっかけはYMOだったんですよ。YMOのヨーロッパからアメリカの東海岸を回ったツアー(トランス・アトランティック・ツアー)の最後のライブがマンハッタンのボトムラインで、マイルスが観に来るかもしれないという噂が飛んでました。結局は来なかったんですが、その代わりじゃないけど当時のジャズ/フュージョン・シーンの大ボスだったマイク・マイニエリというヴィブラフォン奏者が観に来たんです。当時、香津美くんはYMOのツアーと『TO CHI KA』の制作進行を同時に進めていて、アルバムのプロデューサーにマイク・マイニエリを起用したいという思いがあって、そのオファーもあってマイク・マイニエリがYMOのライブを観に来てくれたんですね。それがその後、僕がステップスのツアーに参加することにもつながるんですが、マイク・マイニエリが「あのYMOのエンジニアは何者だ!?」みたいな話をしてくれたそうなんです。
 
牧村:それはすごい。
 
長曽我部:その後、『TO CHI KA』が発売されてツアーをやることになって、ニューヨークからミュージシャンを呼んだんですが、その時にPAエンジニアに指名してもらったんです。ちなみに香津美くん以外のメンバーは、マイク・マイニエリ(ヴァイブ)、ウォーレン・バーンハート(キーボード)、マーカス・ミラー(ベース)、オマー・ハキム(ドラムス)。オマー・ハキムとマーカス・ミラーは同級生で、まだ19歳でした。今やスーパー・ミュージシャンになってしまいましたけどね。
 
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(文責:牧村/文中敬称は略させていただきました)
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