幼少の頃、大好きだったモノ。
思春期あたりでいったん離れ、成人した頃は忘れ、そしてさらに大人になりふとした瞬間に思い出し出戻ることってありませんか?
三つ子の魂的なアレってあると思うのですが、人間的にも年齢の数字的にも大きくなった私が思うに、昔好きだったものはそれにまつわるものすごいトラウマを抱える出来事が起きない限りはずっと好きです。
私にとってのソレはずばり、『美少女戦士セーラームーン』。令和になり、さらに顕著にセーラームーン世代かプリキュア世代かでほんのり年齢がバレてしまうことで有名なあの大人気漫画・アニメです。
語り出すときりがないのですが、セーラームーンを読み返した(漫画)・観直した(アニメ)ことによって子どもの頃には気づかなかった「良さ」がたくさんあったのです。
私は声を大にして言いたい、セーラームーンはいいぞ、じゃなくて、若い頃好きだったモノは絶対に一度は大人になってから振り返ってみたほうが良いと。
人生において14歳で一番聴いた音楽がその後の音楽の好みを形成するだとか、23歳で新しいファッションへの興味、35歳で新しい音楽への興味がなくなるとか言われておりますし、私たち自身の新しい音楽と言うか新曲を作っても昔の曲をやってほしいという声に悩まされているけれども、それらをぐっと飲みこんでもう一度好きだったものを見直してほしいな〜と思ってしまうほどセーラームーンは良いです。
やはり主人公は何のために存在するか? 理論で主役が一番カッコ良くないと! と思いますし、一番人気が出るようなデザインになっているのも頷けるのですが(エヴァでは初号機が好きです)、幼い頃はセーラームーンに夢中になるのと同時にマーズも好きでした。赤いハイヒールが大人っぽくて憧れました。今、赤いハイヒールを履いて唄っているのも絶対に少なからず無意識の影響を受けていると思います。
しかし当時、信じられないことに私はヴィーナスがあんまり好きなキャラではありませんでした。それには明確な理由があって、「セーラームーンが戦士として覚醒するより前にセーラーVとして活躍していた(しかも人気者だった)」、「最初の登場の時、敵からの目くらましが目的だったのだけどプリンセスを名乗っていた(子どもにはなんで嘘ついてたの? としか思えなかった)」、「髪の色がムーンと被っている」などの理由により、「どうして主役より目立とうとしているの?」と子ども心にヴィーナスへの嫉妬もあり好きになれませんでした。
が! しかし大人になり原作とアニメを見返すと、ヴィーナスのプリンセス・クイーンへの忠誠心の素晴らしさに心の底から感動いたしました。まだ完全に覚醒していないプリンセスをお守りするために自分が身代わりになろうとしたことを恥ずかしながら理解させられたし、命を捧げたたった一人の人としてプリンセスのために身を粉にする姿…。
そしてマーズと共に原作ではこう発言しております。
「──そうよ だからあたし達 男なんかお呼びじゃないのよ…悪い?」
ヤバない?(語彙力)
なぜこの尊さに当時気づかなかったのか、いや、子どもにこの尊さを理解させるには無理があるよな〜と今となっては思うのです。
音楽にも同じことが言えます。昔聴いていた音楽をだいぶ大人になり、なんならプロのミュージシャンになった今聴き返すと聴いたことのないような音が聴こえてきたり、絶妙なコード進行に驚いたり、歌詞の解釈が多面的になったりで、新しい発見がたくさんあります。
そして再確認・想いが再燃します、「やっぱり…好き!!!!」
大人になりお金も手にした私たちは、こうして課金沼にハマっていくのです。(完)