1992年の立ち上げ以来、25年にわたり日本中を地下通路でつなぎ、爆音を響かせ、世界を揺らす国宝級レーベル「Less Than TV」。その主宰者である谷ぐち順、妻・YUKARI、息子・共鳴(ともなり)、レーベルに集う仲間たちの姿を追ったドキュメンタリー映画『MOTHER FUCKER』が8月26日(土)より渋谷HUMAXシネマにて劇場公開される(以降、全国順次公開)。過去を一切振り返らないレスザンがなぜ記録映画を? と思うかもしれないが、これはまさにこのタイミングでしか撮れなかったパンクな家族と愛すべきはみだし者たちの現在進行形の物語なのだ。本作のキャッチコピーである「楽しい、ことだけ!! ぶちかませ!!」を日夜体現する彼らの生活に根づいた音楽活動、商業主義と対極のスタンス、パンクスとして社会に関わる意志表示。それらを押しつけがましくなく自然体で切り取った大石規湖監督の手腕により、四半世紀にわたりはみだし者たちを惹きつけてやまないレスザンの魅力と谷ぐち家の日常が浮き彫りとなる。映画館でモッシュを起こしかねない本作について、パンク界最強の人たらしである谷ぐち順、このインタビューを撮影すべく同席した大石監督に縦横無尽に語ってもらった。(interview:椎名宗之)
家族の珍道中みたいな映画なら面白いんじゃないか?
──まず、今回の映画制作に至る経緯から聞かせていただけますか。
谷ぐち:えっとですね、そもそもの言い出しっぺは大石さんなんですよ。FOLK SHOCK FUCKERSの音源を出す時、PVを作りたいと思ったんですね。それで『METEO NIGHT』で使う映像を作ってくれたりしていた大石さんに撮ってもらえたら面白いものができるんじゃないかと思ってたんだけど、お金がないのにお願いするのもナンだなとずっと悩んでいて。で、怒髪天が武道館でライブをやった時(2014年1月)に大石さんとバッタリ会ったんです。これはもうこのタイミングで頼むしかないと思って、「すいません、お金が全くないんですけど、PVを一本作ってほしいんです!」って頼み込んだんですよ。確かその時、「実は私、Less Than TVの映画を撮りたいと思ってるんです」って大石さんに言われたんです。大石さんがLess Than TVの映画を撮りたいって話は、実はそれ以前にも間接的に聞いてはいたんですけどね。
大石:私は谷ぐち家の三人を初めて見た時の印象がとにかく強烈だったんです。ちょうどタニさんがワカサギ釣りから帰ってきた頃ですね(笑)。リミエキ[Limited Express(has gone?)]のライブをたまたま撮りに行ったら、YUKARIさんがおんぶ紐で共鳴くんを背負いながらリハをやってて、タニさんはベースの調整をYUKARIさんに指示してたんです。それを見て、何だこれは!? と思ったんですよ。もともとタニさんとYUKARIさんのことはよく知ってたし、凄く好きだったんですけど、この面白い家族は何なんだろう!? と思って、三人の姿を撮り続けてみたいと思ったんです。その思いが間接的にタニさんに伝わったみたいで。モリカワさん(モリカワアツシ/younGSounds)にその相談をしたら、「タニさんに『映画を撮りたい』って言ったら絶対に避けるから言わないほうがいいよ」って言われたんですよ。だから直接は言わなかったんです。
──その時点での谷ぐちさんは、映画の話はやはりNGだったんですか。
谷ぐち:というか、そんなの絶対にムリでしょ! と思って。俺たちを撮ったドキュメンタリー映画なんて誰も観ないだろうし、金銭的な部分でも現実的じゃないだろうし。それに大石さんはフリーの映像作家だし、つきっきりで撮るのはスケジュール的にもムリだろうな、って。でも、「Less Than TVの映画を撮りたいんです」と言われた時は「いいっすね! やりたいっすね!」と答えたと思うんですよ。得意の空返事で(笑)。
大石:空返事だったんですか!?(笑) 意外なことに、タニさんとちゃんと話をしたのは怒髪天の武道館ライブの時が初めてだったんですよね。
谷ぐち:そうそう。実を言うと、それ以前にも映画の話をもらったことがあるんですよ。今回の映画のプロデューサーである長谷川さん(長谷川英行/キングレコード)と近藤さん(近藤順也/日販)が、「川口さん(川口潤/映像作家)でLess Than TVの映画を作りませんか?」って言ってくれてると。そんな話をタカヒロくん(カサイタカヒロ/ex.GOD'S GUTS)経由で聞いたんですよ。でもそれは俺、お断りしたんです。それはやっぱり、Less Than TVらしくないと思ったから。それに、Less Than TVのヒストリーを追う映画なんて需要がないと思って。それが一番の理由ですね。
──映画になる以上、それまでの歩みは少なからず触れざるを得ませんよね。過去は一切振り返らない(興味がない)Less Than TVらしくないと言えば確かにその通りで。
谷ぐち:まぁ、それでも今回はだいぶ頑張って過去に触れたんですけどね。だけど最初に映画の話をもらった時は、やっぱり過去に触れるのはどうなんだろうなと思って。
──長谷川&近藤、川口ラインのオファーはNGだったものの、大石さんからのオファーをOKしたのはなぜですか。
谷ぐち:いや、大石さんからのオファーは絶対に実現はムリだと思ってたんですよ(笑)。ただ、撮ってくれるっていうならどうぞ、って感じでした。そこまで具体的な話だとは思ってなかったので。それが現実味を帯びてきたのは、ある時、ウチの嫁さんのブログをたまたま読んだんですよ。「共鳴のことをライブハウスに集まるみんなが育ててくれてる。子どもはみんなの子どもだから、私はみんなの子どものお母さんでありたい」みたいな内容で、それを読んだ時にハッと思いついたんです。Less Than TVのヒストリーじゃなく現在進行形を追う、なおかつ俺たち家族の珍道中みたいなドキュメンタリーだったら面白いんじゃないか? って。それならパンク・ドキュメンタリーの型を破れるんじゃないかと思ったし、家族とバンドの両立とか、そういう部分でのメッセージにもなるんじゃないかと思って。それと、リミエキが『ALL AGES』を出す時に飯田仁一郎が「YUKARIさんのキャラクターをもっと前面に出す方法はないか?」って言ってたんですね。ファッション・リーダーって柄でもないし、それなら「お母さん」しかないよね! って話になったんです。そういう複合的なタイミングがあったんですよね。もっと言えば、リミエキに「MOTHER FUCKER」って曲があって、そこでひらめいたんですよ。「映画のタイトル、『MOTHER FUCKER』でいいんじゃない?」って。
大石:へぇ。その話は初めて聞きました。
谷ぐち:そこからですよ、「これは映画をやるしかない!」って思ったのは。大石さんが監督で、我が家の珍道中を撮ってもらう。それで決まりじゃん! と思ったんです。
大石:実際に映画の話が動き出したのは、私がFOLK SHOCK FUCKERSのPV(「イン マイ ライフル」)を撮らせてもらってから2年後くらいでしたよね。
谷ぐち:それくらいだったかな。最初はリミエキの『ALL AGES』を打ち出すのにどうするか? っていう話が、いつの間にか映画にシフトチェンジしていったんです。ただ、その『ALL AGES』は「子どもも含めたすべての世代がライブハウスに来て遊んでほしい」っていう願いを込めて作ったアルバムなんですよ。そのテーマが今回の映画に重なる部分もあるんですよね。