トークを通じて大阪と東京を繋ぐ
2014年4月、トークライブハウスLoft PlusOne Westがついにスタートする。テーマは「語る〜繋ぐ」。大阪と東京をトークでつなぎ、人と文化の交流を発展させる。さらに、その時々のシーンをライブハウスの現場だけでなく、ネットを通じて全国に発信し、時には社会運動ともつなげたいと考えている。
大阪は、私たちロフトにとって未知の都会だ。東京で活躍している関西人は限りなくいるが、私たち東京人はあまり関西を知らない。
大阪は、古代から海上交通の要衝として長く経済・文化の中心地でもあり、多くの歴史的・文化的遺産が残されている。そんな関西での私たちの挑戦が始まる。
我々ロフトが初めて世に問うた、「トークライブハウス」という新しい空間。それが誕生してから現在に至るまでの歴史を、改めて振り返っておきたい。
ロフトプラスワンがオープンしたのは1995年。この年は、戦後史の重要な転機だったという識者は多い。
1月17日、6000人以上もの死者が出た阪神・淡路大震災が起きた。さらに約2カ月後の3月20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件発生。首都のど真ん中で13人が死亡し、6000人以上の人々が重軽傷を負った。
史上初のトークライブハウスが東京・新宿の外れの富久町に誕生したのは、この年の7月のことだ。
中森明夫や藤井良樹らの「ライターズデン」。平野悠、塩見孝也、三上修、園子温らの「全共闘世代VS若者世代」。唐沢俊一、岡田斗司夫、眠田直の「おたくアミーゴス」。青山正明、村崎百郎はじめ鬼畜系文化人による「鬼畜ナイト」。鈴木邦男や二木啓孝らの語る「オウム世代論」。今振り返ってみても、初期プラスワンのイベントは、多種多彩でどれも刺激的なものばかりだった。女子高生による援助交際やブルセラが話題となり、当時、新進気鋭の社会学者として注目されていた宮台真司も、彼女らを積極的に論じていた。彼が『終わりなき日常を生きろ』を出版したのも、1995年のことだ。
オープンから3年後の1998年6月、プラスワンは新宿歌舞伎町に移転。25坪から80坪と店の規模は約3倍になり、キャパも2倍近い150人に。この頃からようやく、東京での市民権を得てゆくことになる。
キャパが増えれば当然、イベントのタイプも変化してゆく。2004年に生まれたNaked Loftは、お客さんの動員が少なくても創造的なイベントを開催したいという願いを込めて、キャパ40人ほどのトーク&音楽の実験空間として生まれた。ロフトグループの中でも、最も幅広く、あらゆるジャンルの音楽やトークライブを開催している。ステージと客席の距離感の近さもウリのひとつだ。
ライブ終了後は、お客さんと出演者、店のスタッフが気軽に交流できる、オープンなバースペースとして営業。新宿・職安通りに面した地上1階にあり、通りすがりの人でも、気軽に立ち寄れる店になっている。
そして2007年、「LOFT IS BACK TO CHUO LINE」を掲げ、阿佐ヶ谷駅南口から伸びるアーケード、パール商店街の中に阿佐ヶ谷ロフトAをオープン。ロフトにとって3軒目のトークライブハウスのテーマは「土着化」。中央線という東京で最もディープといっても過言ではないエリアで、その土地に根ざしたイベントも積極的に行っている。ライブスペースとは別に設けたバースペースでは、イベント中の時間でも、ライブチャージ無しで気軽に飲めるスタイルだ。
そして、4軒目のトークライブハウスとなるのが、Loft PlusOne West。東京から300kmも離れた大阪で、私たちが東京で20年近く培ってきた方法論は、はたして通用するのか否か。未知への挑戦は2014年4月4日、いよいよ動き出す。