「この野音も、今度こそ本当に“FINAL”のようで──。思えば20代の最後のほうからずっと、何回かお休みはありましたがやってきて、いつのまにか『NAONのYAON』に抜かれたようなんですが、『SIONのYAON』のほうが先です」
序盤、「どけ、終わりの足音なら」を唄い終えた後にそう笑いながら話したSIONは満場の客席を前に、晴れてこの日を迎えられたことに喜びを隠しきれない様子だった。
開設から100周年を迎えた2023年に老朽化のため建て替えが公表された、日比谷野音こと日比谷公園大音楽堂。東京都が再整備と管理運営を担う民間事業者を公募したものの応募がなく、2024年1月に使用中止期間の変更を発表。使用期限が2025年9月まで1年延長されることになった。
昨年(2024年)7月14日に開催された『SION-YAON』も当初は“最後の野音”という触れ込みだったが、今度こそ正真正銘の“FINAL”。野音に愛されたSIONならではの神様の悪戯とでも言うのか、この“野音アンコール”は音楽の女神が振るった粋な采配だったのかもしれない。
2025年5月5日。立夏を迎え、薄雲の入り混じる青空の下、薫る風は少し冷たい。
開場後、まだ陽の明るい場内ではアル・クーパーやジミー・クリフ、ニール・ヤングなどの楽曲が流れ、缶ビールが進む。ステージ上ではスタッフが各楽器の音の最終調整に忙しない。売店へ酒を買い求めて往復するご同輩もいれば、年に一度の再会の喜びを噛み締め合う人たちもいる。かく言う私も知人のバンドマンと遭遇して無言の握手をした。
ステージに近い座席の人がスマホを耳に当てながら、PAに近い後方座席の人に向けて大きく手を振っている。私の隣席に座る妙齢の女性二人組、後ろの席に座る初老と思しき男性二人組が過去の野音の思い出話に花を咲かせ、「さすがにあのときは雨合羽を買ったよね」と楽しげに話している。
何もライブそのものばかりがライブではなく、開演前のこうした情景もまた欠かせないライブ体験の一部だ。『SION-YAON』はとりわけそうしたライブ本編以外の記憶も集積し続ける場所だった。
定刻通り18時きっかりにお馴染みの「Romeo Had Juliette」(ルー・リード)が流れ、藤井一彦(ギター)、細海魚(キーボード)、クハラカズユキ(ドラムス)、中西智子(ベース)、花田裕之(ギター)がおもむろに姿を現す。万雷の拍手喝采のなか少し遅れて現れたSIONが悠然とステージ中央に立ち、「来てくれてありがとう!」という挨拶の後に息の合ったアンサンブルで繰り出されたのは「すばらしい世界を」。この日、最後の野音に集結した客席の一人ひとりに向けて「お前と走り続ける」ことを高らかに宣言した、SIONの強い意思表示を感じる選曲だ。ステージ上の6人対客席の2,000人ではない。これはSIONと私たち一人ひとりが珠玉の歌の数々を通じて対峙する魂の交歓なのだ。
ゆらゆらと揺蕩うリズムが心地良い「Happy」は好天下の開放感を助長させる一曲で、「雨じゃなくて良かった。来てくれてありがとう!」と話すSIONも序盤早々に確かな手応えを感じているのが窺えた。
花田がエレアコに、細海がアコーディオンに持ち替えた「水の中にいるようだ」では中盤から藤井が火を吹くギター・ソロを轟かせ、バンドの屋台骨を支え、緩急と強弱の付いたリズムを司るクハラと中西のコンビネーションが実に素晴らしく、このバンドの持ち味を最大限発揮した意味でも本編前半の白眉と言えた。
「6月の雨は嫌いとつぶやいて/メンソールを口にしたあの娘が見えた/ザビエル記念碑キリストをきどって/俺を笑わせたあの女が消えた」と「コンクリート・リバー」の一節をアカペラで唄いつつ「SORRY BABY」へと繋げる流れは古くからのファンには堪らないもので、花田がSIONの後を唄い継ぎ、終盤で同い年の二人がサビを共に唄う光景は何度見ても打ち震える。
「2番目の夢で食ってる」「どけ、終わりの足音なら」と激しくブルージーなナンバーを連射し、「あの日のまんま」では一転して細海の鍵盤を基調としたメランコリーな世界へといざなう。かつてこの野音へ集い、今はもう星になってしまった大切な仲間たちのことを思い出したのは私だけではないはずだ。
ここでふと気づく。共に走り続ける「お前」(「すばらしい世界を」)、元気でいるかと尋ねる「お前」(「Happy」)、己の夢と引き換えにでも欲しかった「お前」(「SORRY BABY」)、そして、呼んでも答えない「お前」(「あの日のまんま」)。この最後の野音に立ち会えた人、様々な事情で立ち会えなかった人、そして今世ではもう二度と会えない人に対して同じ想いと熱量でSIONが渾身の歌を届けようとしている、その覚悟を。
まだ音源化されていない「チャンスをピンチに変えちまう」を挟み、再び花田がエレアコに、細海がアコーディオンに持ち替えた「彼女少々疲れぎみ」では「わかったようなことを唄わないで/ちょっとちょっと そこのヒゲ」「どうもすいません/もうしません」という中西とSIONによる掛け合いが相変わらず楽しい。唄い終えたSIONがそのやり取りについて触れ、いつも中西に叱られるのが何だか嬉しいと話して笑いを誘う。
その後、自虐的だが型の古いエンジンなりの矜持を忘れない「ガラクタ」、未音源化ながらすでにライブでは何度も披露されている「つっかい棒」、俺たちはまだこれからさと聴き手の背中を押してくれる「笑っていくぜ」と自身を奮い立たせる生きる糧のような歌が続き、五臓六腑に深く染み渡る。
「お前が好き」はめったに披露されないこともあってか、序奏で一際歓声が上がる。明治の文豪は「月が綺麗ですね」と意訳したが、SIONの表現は愚直にまっすぐだ。
続く「お前の笑顔を道しるべに」までの、本編中盤で畳みかけたゆったりとして余韻に浸れる一連の楽曲群こそバンドの真骨頂を発揮するパートだと感じた。
「このメンバーが今の俺のMOGAMI(最上)です」とSIONに言わしめる百戦錬磨の巧者揃いだけあり、しっとりと唄い上げるバラッドでも甘さに流されず、性急なビートを加速させる武骨な曲でもどこかまろみを感じさせる。SIONの歌を引き立てることを第一義としながら記名性の高いプレイを各人が聴かせつつも、バンドとして一体化したときに途轍もないダイナミズムと高揚を生み出す。と同時にしなやかさもある。柔剛入り混じるグルーヴを自在に操ることができるのは各自の技巧はもちろんのこと、SIONが全幅の信頼を置くメンバーの人となりに負うところも大きいのではないか。
さて、いよいよ宴もたけなわ。ホンキートンク調のピアノがブギの血中濃度を高める「調子はどうだい」では藤井がSIONの後にボーカルを受け継ぐ。まるで自身のレパートリーのように唄い上げる藤井のボーカリストとしての力量に舌を巻く。
間髪を入れず「ちょっとでいいんだ」へと連なる流れに胸が躍り、ライブの潮目が切り替わったことを感じるものの、定番の「新宿の片隅から」が披露されたことでライブが終演に近づいていることを感じて少々寂しい気持ちにもなる。
とは言え、このバンドの重厚なサウンドと合奏の妙味はやはり傑出している。轟然たるビートを鋭利に刻むクハラが全体を牽引し、細海が随所で繰り出す跳ねるリズムが疾走感を増幅させ、藤井、中西、花田の順でソロを回す華やかな見せ場には一様に凄みが感じられた。
メンバー紹介を経ての本編最後は、今やSIONのライブには不可欠の「マイナスを脱ぎ捨てる」。彼のキャリアの中では比較的若い部類の楽曲のように感じていたが、考えてみれば発表からすでに18年も経つのだ。「俺のこの手は頭を抱え込んだり/胸を搔きむしるためにあるんじゃない」という「放つ」の歌詞の一節が加えられるのがいつしか定石となり、SIONの代名詞とも言える屈指の代表曲、人気曲となった。
幾度となくこの歌を聴き返し、不幸せとつるんで歩く幸せの存在を、どん底の横にある新しい朝が来るのを信じて待ち侘びた。そんな生活はきっとこれからも続くのだろうし、この歌が今後また誰かの人生の羅針盤となるのだろうと、絶え間なく進化し続けてきた「マイナスを脱ぎ捨てる」の最新形を聴いて実感した。
当然の如くアンコールを求める歓声は鳴り止まず、それに応えたSIONは一人でステージにふらりと現れる。赤いボディのギブソンES-335がその傍らに置かれる。
来たる7月20日に鶯谷ダンスホール新世紀でキャリア初となる単独弾き語り公演『SION ALONE』を行なう告知を兼ねてのことなのか、「野音でこういうのは初めてかもしれません」と話しつつ、ここでまさかの弾き語りを始めた。
記憶を手繰り寄せながら爪弾かれたのは、レナード・コーエンの「Hallelujah」(当初は「jabujabu」の予定だったらしい)。ジェフ・バックリィによる息を呑むほど美しいカバーでも知られる名曲だ。SIONは独自の日本語詞で唄い上げたが、これが実に素晴らしかった。朴訥としていながら純度の高さと無垢の輝きを如実に感じさせる弾き語りで、『SION ALONE』に期待せずにはいられない名演だったことを明記しておきたい。
メンバーを呼び込み、井ノ原快彦に提供した「お前がいる」を快活に聴かせ、SIONオリジナルの「Hallelujah」を最後に披露。アイリッシュ・トラッドの曲調と跳ねるビートに観客がOiコールで応える。それに合わせるようにSIONが左腕を車輪のように回し、ありったけの力を振り絞る。この日初めて白いシルクハットを脱ぎ、髪をかきあげるSIONは客席を見渡してとても満足げな顔つきをしている。
二度目のアンコールもまた、この日何度目かのクライマックスだった。
「見上げれば着飾ったビルの/遥か上 不動の光で/大好きな月が輝く」
官公庁が密集するオフィス街で聴く「バラ色の夢に浸る」はいつにもまして格別だ。月が輝くのは空の上だけでなく、ステージ後方に掲げられた『SION-YAON』のバックドロップと寄り添うように、その左方に巨大な満月が投影されていることに気づく。
SIONの実直な歌にバンドの静謐なアンサンブル、不動の光に照らされたステージと客席というシチュエーションにただ酔いしれる。記憶として刻まれる永遠とはまさにこの一瞬だ。
そしてこの残響と残像にずっと浸っていたいと感じたところで「このままが」が披露されるのだから、つくづく心にくい選曲である。花田、細海、藤井と続くソロも実に味わい深い。
本来はここで有終の美を飾る予定だったが、通しリハを終えた後にSIONのツアー・マネージャー、ローディーの上甲洋滋から「最後の野音で『俺の声』をやらないのは考えられない」と進言され、最後の最後に「俺の声」が真の終幕曲として選ばれた。SIONはサビで客席へマイクを向け、すりばち状の客席から一斉に大合唱が巻き起こる。最後の野音の終幕として、これ以上に相応しい締め括りがあるだろうか。
最後にメンバーが一人ずつ挨拶し、2時間を超える『SION-YAON YAON』は大団円を迎えた。
見上げた空に佇む上弦の月は朧げだが、しっかりと眩い。
SIONの歌に共振共鳴し、月明かりの下に集った老若男女はまたぞろ三々五々に散り散りとなる。同じ場所で再会できるのは3、4年後になるのだろうか。
「日は夜を知らず、月は昼を知らず」と言うが、昼の月は確かに存在する。見えづらいのは陽の光に燦々と照らされているせいだ。
いつだって何気なくそこに在るけれども、それは漆黒の闇の中でこそ光り輝く。
月明かりは私たちを導く道標のようであり、いつも私たちを明るい表通りへ連れ出してくれるSIONの歌はまるで月みたいだなと、最後の『SION-YAON』を観てあらためて感じた。
写真 麻生とおる|取材・文 椎名宗之
Live Info.
SION ALONE
【出演】SION(SOLO)
【日程】2025年7月20日(日)
【時間】開場16:30 / 開演17:00
【会場】鶯谷ダンスホール新世紀
*THANK YOU SOLD OUT
SION’S SQUAD TOUR 2025
【出演】
【日程】
9月30日(火)札幌 COUNTER ACTION
10月1日(水)仙台 enn 2nd
10月10日(金)東京 キネマ倶楽部
10月13日(月・祝)名古屋 新栄シャングリラ
10月14日(火)京都 磔磔
10月18日(土)大阪 梅田シャングリラ
10月21日(火)福岡 INSA
【先行受付】
公演ごとに異なります。詳しくはこちらをご確認ください。
【チケット一般販売】
2025年6月28日(土)より
イープラス:http://eplus.jp
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ローソンチケット:http://l-tike.com/