久々のジャパン・ツアーが延期→ 一旦中止となっているチープ・トリック。彼らの初来日45周年を記念しつつ、来日を祈願する集会が8月11日(金)に東京・新宿のROCK CAFE LOFT is your roomにて開催された。
登壇者は来日記念本『MUSIC LIFE Presents チープ・トリック アルバム・ガイド&アーカイヴス』の編集/執筆に携わった荒野政寿(シンコーミュージック・エンタテイメント書籍編集ルーム/元クロスビート編集長)と、Kyota(20年続くチープ・トリック ファンサイト「Through The Night」管理人)の2人。新しい来日スケジュールが出ずに不満が鬱積している中、なんとかファンの皆さんと交流したい──という思いを込めての開催。チープ・トリックの名前を世界に知らしめた名盤『チープ・トリックat 武道館』の話題から、その長い歴史や近況をマニアックに語り倒した。
第一部
荒野政寿(以下、荒野):司会を務めさせていただきます、シンコーミュージックの荒野と申します。今日は一緒にチープ・トリックの本を作ったファンサイトのKyotaさんとやらせていただきます。
Kyota:よろしくお願いいたします。(場内拍手)
荒野:僕は1972年生まれですから、本日お越しいただいた皆さんは、チープ・トリックについては圧倒的に先輩の方々だと思います。僕が彼らをバンドとして認識したのはアルバム『ワン・オン・ワン』(1982年)くらいから。Kyotaさんがチープ・トリックに入られたのは?
Kyota:私は1971年生まれで、高校2年のときに「永遠の愛の炎(THE FLAME)」の映像を24時間テレビで観たのがきっかけです。
日本での『at 武道館』前後の盛り上がり
▲左から、荒野政寿(元クロスビート編集長)、Kyota(チープ・トリック ファンサイト「Through The Night」管理人)
荒野:という後輩のわれわれですが、まずは彼らが大きなバンドになったきっかけのアルバム『at 武道館』(1978年)からの振り返りをしたいと思います。後追い組としていろいろ聞いた話では、ジャック・ダグラスがプロデュースをしたファースト・アルバム『チープ・トリック』(1977年)は内容的にも相当ハードなロック・マニア寄りの作品だったので、アイドル人気という感じではなかった。その後のシングル・ヒット「甘い罠(I WANT YOU TO WANT ME)が大きく、アルバム『蒼ざめたハイウェイ(IN COLOR)』も日本人にフィットした──。
Kyota:メンバーはこのアルバムのプロデューサー/トム・ワーマンの音作りが気に入ってない、という発言を繰り返していました。けれど今回の本で、荒野さんはトム・ワーマンの音作りを肯定する原稿を書かれていて、実際、日本で人気が爆発することになったのは彼の功績が非常に大きい。
荒野:(場内に向かって)当時、シングル「甘い罠」や「今夜は帰さない(CLOCK STRIKES TEN)」は日本ではビッグ・ヒットという印象でした? その辺りが後追いで聴いていると、ベイ・シティ・ローラーズの「サタディ・ナイト(SATURDAY NIGHT)」ほどではないんだろうけど──というヒットの具合が想像しにくいんですけど。でも、あの2枚のシングル・ヒットがないと初来日でいきなり武道館公演の熱狂的な盛り上がりは生み出しにくかったと思うんです。まぁ事情を聞くと、当時はプロモーターやレコード会社が<ネクスト・クイーン>のバンドを早く作りたいと躍起になっていて、レコード会社エピック・ソニーで担当をされていた野中規雄さん(エアロスミス他も担当)が日本でもシングル・ヒットを出したいと、「甘い罠」「今夜は帰さない」というキャッチーで覚えやすい邦題をつけてシングルをヒットさせ、それが来日前の下地ともなり、『at武道館』につながっていった。さらに来日公演の前から本国と交渉して、ライブ盤を日本独自で作ることを決められていた──この方を抜きにチープ・トリックは語れないので、実は今日ここに野中さんをお呼びできればと思ったのですが、残念ながら叶いませんでした。その代わり、今日は野中さんから特別に皆さん宛にメッセージをいただいております。最初にそれを読ませていただきます。
「チープ・トリック来日祈願集会にお集りの皆様へ」
レコード会社の元担当の野中です。荒野さんからこの企画のご案内を頂き、是非ともかけつけたい思いですが、現在体調を崩していまして、今日は残念ながら参加できません。
初来日から45年ですか。45年って長いですよ、当時のバンドの多くが解散していたり、活動していても記念ライブのイベントや思い出バンドになっている中で、チープ・トリックはそのまま現役でツアーを続けています。こんなカッコいいロックンロール・バンドは他にいない。
このような集会が行われていることを、バンドが知ったらどんなに喜ぶことでしょう。どうか今日の盛り上がりの熱さでチープ・トリックを呼んで下さい。私も来日には体調を整えたいと思います。(野中規雄)
荒野:野中さんのブログ(https://ameblo.jp/nihonyogaku/)ではチープ・トリック、クラッシュ、エアロスミスなど担当されていたアーティストの話題が頻繁に出てきます。過去に担当されたアーティストへの愛情が本当に深い方です。
僕としては『at 武道館』というアルバムはどうやってできたのか──凄く関心があります。あれだけ完成度の高いライブ盤にもかかわらず、収録されているトラックが何月何日のどこのテイクか正確に言えない、非常に謎が多いアルバムなんです。その辺の事情を野中さんに聞いたところ、「ライブ盤を作るのはOKだったけれど、収録した音源のテープは彼らがそのまま持って帰ってしまった」と。だから収録日や場所の特定ができない。最初に出たLPにも<東京公演/大阪公演の両方が入っている>旨は書いてあります。そして、プロデューサーのジャック・ダグラスが近年このアルバムについて発言したことで、ますますよく分からなくなった。その辺りの説明をKyotaさんお願いできますか。
Kyota:一昨年、ZOOMでジャック・ダグラスとスリップ・ノットのコリィ・テイラーやブッチ・ウォーカー、リンダ・ペリー、そしてリック・ニールセンが『at 武道館』をテーマに対談したことがありました。そこでジャック・ダグラスが「『at 武道館』は大阪の音源である」と言いきったときのリックの表情が凄く固まって、“はい”とも“いいえ”とも言えない顔をしているんです。あれを見たとき、“あっ、リックは覚えてないな“と思いました。バーニー・カルロスが監修しているチープ・トリックのバイオグラフィ本を読むと、アルバムの片面はジャック・ダグラスが手掛けていると書いてあって、関係者によって意見がバラバラなんです。今回の本のアルバム解説では、僕は『at 武道館』は荒野さんにお願いしました。調べれば調べるほど謎が多すぎて書けなくなった。
荒野:確定したソースが本当に少ないし、関係者の発言が全部違う。余計に混乱させられたのが、収録し切れなかった曲を集めた『at 武道館Ⅱ』(1993年)の登場。その後『at 武道館:ザ・コンプリート・コンサート』(1998年)も出て、ますますどれが正解か分からなくなった。
Kyota:『at 武道館Ⅱ』に関しては、もう一枚アルバムを出さなければならない…というエピックとの契約もあったからだと思います。
荒野:これは皆さんご存知だと思いますが、当時のライブ・アルバムがほとんどそうであったように、『at 武道館』もライブを録ったそのままをアルバムにしたのではなく、スタジオで何らかのお化粧をして出したもの。一部演奏の差し替えや、別の日のライブから音を持ってきて貼った──とか、いろいろといじった可能性が高いです。ただ、具体的に誰もどの部分をいじったのか明言していないし、テイクの収録場所・日時の確定もできない。でもそういったことを差し引いても『at 武道館』は完璧なライブ・アルバムの一枚で、後追いで聴いても本当に目の前で演奏されているような生々しさがあってメチャクチャ興奮させられたし、このアルバムを聴いてなかったら僕もここまで深入りはしなかったと思います。
アメリカでの『at 武道館』物語
荒野:『at 武道館』は日本市場向けに作られたアルバムで、他国では発売されていなかったんですが。その後、このアルバムの評判がアメリカに飛び火していく。その辺りの流れを野中さんに聞いたら、「全く予想外で、何となくアメリカのラジオで評判になっているらしい──という噂は聞いた」と。本当に自然発火的に向こうのラジオでガンガンかかり出したようです。
日本での盛り上がりを見たアメリカのエピックが、『at 武道館』から6曲を抜粋した『FROM TOKYO TO YOU』というラジオ局向けのサンプラーLPを作って配布した(サンプラー+アーティスト写真+プレスリリースが披露された)ものを全国のDJがかけ始めた。
Kyota:『at 武道館』の加工前の生音をブートレグで聴いたんですけど、よくあるライブ・アルバムとは逆で、歓声を大きく加えて盛り上げるところを逆に歓声の音量を抑えているのが分かりました。当時の日本の女の子の声が本当に演奏をかき消すくらいの大歓声なんです。荒野さんも言ってたように音源的には加工しているんですけど、当時の熱狂ぶりが凄くいい形で捉えられていて、日本でしか一歩を踏み出せなかったチープ・トリックの最初で最後の貴重な記録だと思います。
荒野:日本語の歓声をかなりの数のマイクで収録してますね、本当に興奮している様子が生々しく感じられます。『FROM TOKYO TO YOU』でその盛り上がりを実感したアメリカのロック局のDJが反応して続々とオンエアしていく、それを聴いたリスナーから問い合わせが入り、まずは日本盤が逆輸入の形で流通する、そして評判がいいので遂にはアメリカのエピックが正式に『Cheap Trick at Budokan』を出さざるを得ない状況になっていく。誰が仕掛けたわけじゃないんです。だからバンドのメンバーもインタビューで「本来、自分たちが本意とする流れではない」と言ってます。ライブ盤に一番文句を言ったのはトム・ピーターソンじゃないかな…。その辺、リックは見解が違って、「このアルバムがなかったら自分たちの運命は変わらなかったし、特別なアルバムです」と日本向けには言ってます。チープ・トリックって、海外のインタビューと日本のメディアとのインタビューではけっこう言ってることが違うんですよ(笑)。海外では「日本での成功には凄く戸惑うことが多かったし、『at 武道館』も訳が分からないらにうちにああなってしまった」と言うことが多い。『at 武道館』をもの凄く誇りに思っている──というふうでもなかったようですね、最初のうちは。
ではせっかく『FROM TOKYO TO YOU』を持ってきましたので、当時アメリカのDJはこれを聴いて「I WANT YOU TO WANT ME」をかけたいと思った──という音を体感してください。
♪「甘い罠(I WANT YOU TO WANT ME)」(LIVE ver.)
荒野:全米のDJが、これは凄いぞ! とサンプラーを聴いてオンエアしたという「甘い罠」でした。これがきっかけでライブ・バージョンの「甘い罠」がシングル・チャートに入ったんですね。
Kyota:これはやっぱり大きな転機だったと思います。来日公演以前、この曲はライブのセット・リストの主力じゃなかったですし。
荒野:日本側から「リストに入れてくれ」とお願いしたそうです。
Kyota:日本での大ヒットでやらざるを得なくなったし、この曲を組み込むことでライブ全体のイメージも変わってしまった。
荒野:好みが分かれるところだと思いますが、アルバム『蒼ざめたハイウェイ』に入っているスタジオ版の「甘い罠」はキーボードも入ってメチャクチャ甘いし、ギター・ソロに至ってはリックじゃなくジェイ・グレイドンが「自分が弾いた」と言ってる。バンドがあるにもかかわらず、スタジオ・ミュージシャンを入れてヒット・ポップスとしてトム・ワーマンが仕上げたわけです。後で出たファースト・アルバムのCDのボーナス・トラックには、初期のテンポの速いハードなバージョンが入っていて、このライブ・バージョンはその二つの中間、ちょうど良いポップさとハード・ロックっぽさの両方を持った良いバージョンだと思います。ここから好きになったという方も多いんじゃないでしょうか、メロディもアレンジもいいし、一度聴いたら忘れられないような曲。ソング・ライターとしてリック・ニールセンが冴えまくってるときの曲じゃないかと思います。
シリアスな評価を得ていないチープ・トリック
荒野:この『at 武道館』が初出となっている「ルック・アウト」もカッコいい曲で、僕は毎回この曲ばかり聴くくらい好きでハマった時期がありました。単なるラブ・ソングじゃないけれど、歌詞の意味もよく分からない曲だったので、2008年に来日したリックに取材した際、その辺りを聞いたんですが、本人はほぼ何も覚えていなかった(笑)。たぶん彼は量産型で、初期の多作な時期には次々と湧いてくるオリジナル曲をどんどんライブでやっていったんだと思います。僕の中ではジョン・レノンやポール・マッカートニーと同レベルの人だという幻想があったんですけど──彼の人柄とか冗談半分で言ってる部分もあると思うので、鵜呑みにはできないんですが──1曲ずつの思い入れは意外と浅いのかなと、そのとき思いました。
Kyota:「ルック・アウト」はキャッチーな曲で、『at 武道館』を聴いた後、スタジオ版を聴きたくて探しました。当時はネットもなかったですから、その存在の有無も分からず。
荒野:スタジオ・バージョンがあるなら聴きたいと思っていたら、後にファースト・アルバムのCDのボーナス・トラックで出てきた。
Kyota:あれは嬉しかったし、びっくりしました。
荒野:なぜボツにしたのか分からないくらいいい曲、そういう曲って初期には多くないですか? クォリティが高いのに平気で保留にしたり。
Kyota:多いですね。
荒野:同様に「オー・ボーイ」は、日本で正式に出たのは『ドリーム・ポリス』(1979年)に付いていたソノシート。しかもカラオケだけ入っているという謎な状態。インストゥルメンタルかと思っていたら歌詞もあるというのが後で分かってきて、これもリックに尋ねたら、もともとは自分用のギター運指の練習曲だったのが曲になったと。
Kyota:リンダ・ロンシュタットに贈るつもりで書いた。
荒野:と、言うのですけど、これも毎回違って(笑)。でもリンダに持っていったのは本当。凄くいい曲で歌詞も書いたからリンダが歌うとカッコいいと、リンダの当時のプロデューサー、ピーター・アッシャーに直接売り込んだ。ところがノー・リアクション。無言でやんわりボツになったそうです。もしリンダがやっていたら──とも思いますが、相当変な曲なので想像がつかない。
Kyota:リンダはロック色の濃い曲もやってますが「オー・ボーイ」みたいな曲はやってないですね。
荒野:そこまで変な曲はないですね。でも、今ではちゃんとロビン・ザンダーのボーカルが入った曲としてCDのボーナス・トラックで聴けるようになりました。チープ・トリックはこれまではあまりレア・トラックとかが出てこなかったのですが、近年はかなり出ています。エピック時代に関してはレア・トラックを集めたアルバムまで出て、こんな数の没曲やバージョン違いがあるんだと驚いたし、いろんなことを試した上で、初期はかなり慎重にアルバム制作をしていたんだなと思いました。そうそう10インチEP『ディ・トリッパー』とかも出ました。
Kyota:ジャケットに<1976年から1979年に録音された未発表曲>とありますが、実際には1978年から1980年にかけて録音された音源。「ディ・トリッパー」も歓声を加えた擬似ライブです。
荒野:僕がこういう会を催したいと強く思った理由の一つに、チープ・トリックというバンド自体があまりシリアスに評価されていないんじゃないか──という不満があります。大人向けのロック雑誌で表紙を飾る、特集を組むといったことはほとんどないし、二言目には<コミック・バンド>と呼ばれて──ほぼリックのせいなんですけど──、あのユーモアがユーモアとして伝わらずに軽く見られているか感じが凄く嫌で、影響力があるにもかかわらず、ずっと誤解を受けているバンドだと思うんですよ。だからきちんとした内容のドキュメンタリー映画をヒストリー物として一本残して欲しいなとずっと思ってるんですけど、なかなかやらない。
Kyota:そういう作品はないですね。過去にあまり興味がないというか。
荒野:現役のバンドだという自負が強いので、サービスで昔の話はしてくれるけど、それより新作の話をしよう──というのが基本。そういったところも好きだし、そこに居続けてくれているのもありがたい。終わっていないからまとめたヒストリーがないわけで。ただ最近、スパークスがドキュメンタリー映画でとんでもない人気が出ているのを見ると、やっぱりそういうことも必要なんだよな──と思ってしまいます。だからなんとか地位向上につなげられることができないものかと。
Kyota:スパークスに関して言うと、監督のエドガー・ライトが凄いスパークス・マニアなのが大きいですね。チープ・トリックにもああやってバンドを理解してくれる人がいればいいんですけど。
荒野:映像作家で、このバンドを愛して側に付いていてくれる人がいればいいけれど、なかなかそういう状況にならない。
『ライブ・アット・ザ・ウィスキー 1977』
荒野:この時期のライブを振り返るために、今日は『ライブ・アット・ザ・ウィスキー 1977』の話もしたいと思います。<幻の来日記念盤>になってしまいましたが、日本でソニーからCDがリリースされて、その後、アメリカの再発専門レーベルから、去年12月、4枚組のCDボックスで完全盤として発売されました。
Kyota:でも、たったの2,000セット。
荒野:瞬く間に完売して、僕は買い逃して未だに持っていません。この4枚組の内容を紹介していただけますか。
Kyota:1977年2月にファースト・アルバムをリリースして、3月にランナウェイズのサポートでツアーを行ない、4月にセカンド『蒼ざめたハイウェイ』のベーシック・トラック録音とボーカル・ダビングに入るんです。このときロビンが2週間くらい歌っていなかったので、喉のコンディションを整えるために、ハリウッドの名門ナイトクラブ、ウィスキー・ア・ゴーゴーで3日間ライブを行ないます。6月3日から5日までの3日間の5公演(昼夜2公演、最終日は夜のみ)。凄いスタミナです。
荒野:喉を温めるという意図は分かりますが、これだけ長時間のライブを立て続けにやってレコーディングに臨むというのは凄いですね。
Kyota:しかも6月はキッスのサポート・ツアー。いかにハードワークを続けていたかという70年代チープ・トリックの真髄です。このCDはそのうちの3日、4日の昼夜計4公演をフル収録したものです。3日4日の昼公演、夜公演はそれぞれ同じようなセットリストです。
荒野:ファーストとセカンドの間の時期なので、若くて荒々しいバンドの状態が記録されているのと同時に、後にアルバムに入る曲を実際に試している凄く貴重な資料だと思います。今日はせっかくなのでその曲をかけたいと思います、どれにしましょうか。
Kyota:このボックスにしか入っていない音源で、ロビンがインタビューで自分のプレイが気に入ってると答えた「クライ、クライ」。初日3日の昼公演からです。
♪「クライ、クライ」
荒野:歓声がほぼ野郎(笑)。騒いでるのが知り合いっぽい感じだし、まだ全然ブレイク前の閑散とした感じです。
Kyota:ウィスキー・ア・ゴーゴーに500人くらいが入っています。
荒野:でもエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を歌うところまで出てきて、当時のライブの雰囲気が伝わってきます。
Kyota:武道館の1年前ですけど、全然違いますね。
荒野:感心するのは、音がジャック・ダグラスがやったファースト・アルバムと一緒。ジャックのプロデュースとエンジニアリングの方向性が、ライブの勢いを損なわずに表現することだったのを実証する音源だと思います。逆にいうとトム・ワーマンがどれだけ変えたんだよって。
Kyota:トム・ワーマンを気に入らない気持ちも分かる。
荒野:だからこのライブに触れたファンはセカンドを聴いて戸惑っただろうなという気はします。で、彼らはその『蒼ざめたハイウェイ』に入れる曲もやっていて、どれをかけますか。
Kyota:「ユーアー・オール・トーク」をかけようと思います。この曲は後にバーニーが体力的に叩くのが難しいと言ってた曲なんですけど、この時は3日4日昼夜全ての公演のセットリストに入ってます。昨日聴き返したら、バーニーは4公演とも叩き方を変えてるんです。イントロからして全部違う、その辺が凄く面白い。『蒼ざめた〜』のレコーディングの途中なので、おそらくいろいろと試してた──というのが窺えます。これも初日の昼公演の音源です。
♪「ユーアー・オール・トーク」
Kyota:カッコいい。
荒野:まさに荒々しい「ユーアー・オール・トーク」。スタジオ版ではそれぞれの楽器がキレイにセパレートされてミックスされてるんですけど、これを聴くとジャック・ダグラスがセカンド・アルバムをやってくれてたらこんな感じだったのかなと思うし、それぞれの楽器が干渉し合って混ざり合ってるバンド・サウンドの一体感と勢いは、トム・ワーマンの解釈とは違いますね。この曲を聴こうと思ったポイントは何だったんですか?
Kyota:好きな曲だから…(笑)。ロビンのボーカルの調子を整えるのが目的だったと思うのですが、バーニーのプレイがレコーディングに向けてイントロから試行錯誤している様子が窺えます。
荒野:まさにこれから始まるタイミングですね。だから、このCDはもう少し入手しやすい形で日本盤として出して欲しいなと思います。今のところサブスクにも上がってないですし。
Kyota:ぜひ出して欲しいですね。
第二部
第二部は楽曲「スルー・ザ・ナイト」をかけながらスタート。同名のファンサイトを20年続けているKyotaさんへのお祝いを込めての選曲。場内から大きな拍手が送られた。
荒野:今どきファンサイトが20年続くのは本当に珍しい。どうして始めようと思ったんですか?
Kyota:メディアの記事を読んで、自分としてはチープ・トリックをもっと評価して欲しい部分があるというところで。
荒野:僕もシンコーに入った最大の理由はチープ・トリックに関して、もうちょっと音楽的に突っ込んだ本を作りたかったから。
Kyota:皆さんが想像している何十倍も荒野さんはチープ・トリックに詳しく、ファンです。驚きました。
荒野:職業病ですね、ネットとかで探せる海外のインタビューや記事はだいたい読んでいます。
Kyota:かなりきっちり探さないと出てこないものまでも。ですから今回の本はかなり濃い内容のものだと。
荒野:だと思うんですけどね…。
Kyota:来日に合わせてかなりギリギリで作りました。
荒野:そうしたら来日中止。しかも謎の理由で(笑)。
Kyota:リックの体調が…という情報が独り歩きしているんですけど、オフィシャルは何も言っていません。謎です。
荒野:心配だったんですけど、その後のライブ動画では元気な姿を見せています。
Kyota:2、3カ月前よりも元気で、今年の12月で75歳ですね。
荒野:こうしてツアーしてくれているだけでもありがたいです。一応、現在の情報としては、来日に関しては引き続き交渉中らしいのですが、この後のツアー・スケジュールもきっちり詰まっているので、すぐに来日をするのは難しいかもしれない。
Kyota:チープ・トリックに見合ったサイズの会場も少なくなってますし。
荒野:バンド側の準備が整えば来てくれるとは思います。それを信じつつ、来日を待つのが後半のテーマの一つです。
Kyota:今月はロッド・スチュワートのオープニングで1時間前後のステージで「甘い罠」「サレンダー」「ドリーム・ポリス」といった代表曲に、新作アルバム『IN ANOTHER WORLD』から1曲を加えたセットを演奏しています。最近の傾向として、「ハロー・ゼア」で始まるこれまでのお約束の曲順を変えていて、「今夜は帰さない」や「ドリーム・ポリス」で始めることもあります。
荒野:いきなり本題に入る短期決戦型メニューですね。メンバーというか、準メンバーのロビン・テイラー・ザンダー(ロビン・ザンダーの息子)の存在が大きいと思います。
Kyota:休まずたゆまずライブを続ける──というチープ・トリックの活動ポリシーを考えたときにも彼の存在は非常に重要なんです。過去10年を振り返って、ロビンやリック、トムが休んでも、その穴埋めは誰かがやって極力ライブに穴は空けてない。彼や、ダックス・ニールセン(リック・ニールセンの息子/ドラマー)の若い力が演奏面でも大きな推進力になっているし、ロビン・テイラー・ザンダーはマルチ・プレイヤーなので誰が欠けてもそこに入れるんです。ドラムも叩けます。ダックスにお子さんが生まれるとき、最初にヘルプで入ったのがドラムでした。
荒野:ライブ映像を見ると、ロビンの高音パートが苦しいところを歌ったり、ローリング・ストーンズのロン・ウッドのようにリックをサポートして、逆にリックはキメる部分はキメて──と、以前の4ピースのバンドとは違う新しい次元にバンドが入ったのを感じます。新作『IN ANOTHER WORLD』も、今のライブで見せるチープ・トリックの現役感がよく出ています。
この後、ロビン・テイラー・ザンダー、初のソロ・アルバム『The Distance』の話題(ジャック・ダグラスのコンフィデンシャル・レコードより発売、日本ではレコード、CDは入手困難/音楽的にビートルズやビーチボーイズなどクラシック・ロック的な志向、父とは違う音楽性──)を紹介。
続いて荒野・Kyotaそれぞれが持ち込んだ多種多様な意味合いのレア音源を披露することとなった。※選者:「曲目」演者(関連性)
◎Kyota:「ザット・ミーンズ・ア・ロット」ケニー・シーガル(ロビン・テイラー・ザンダーのアルバムのプロデューサー。曲はビートルズがP.J.プロビーに提供した曲)
◎荒野:「ショウ・ダウン」オフ・ブロードウェイUSA(楽曲共作者はピート・コミッタ/トム・ピーターソン脱退後の2代目ベーシスト。『JAPAN JAM』で代演)
◎Kyota:「サック・イット・アップ」ジョー・ペリー&ロビン・ザンダー(ロビン「Countryside Blvd.」の曲名を変更した曲)
◎荒野:「ユー・センド・ザ・レイン・アウェイ」リビー・ジャクソン with ロビン・ザンダー(ジャクソン・ファミリーの長女とデュエット)
◎荒野:「レイニー・ディ」アナザー・ランゲージ(トム・ピーターソンと当時の妻、ダグマ・ピーターソンが組んだバンド)
◎Kyota:「エヴリ・ドッグ」ロビン・ザンダー(幻のセカンド・ソロ・アルバム『Countryside Blvd.』より)
◎Kyota:「RLTS(Red Light The Sky)」タフ・ラブ(シカゴのインディーズ・バンドをロビン・ザンダーがプロデュースした曲)
◎Kyota:「アイ・スティル・ビリーヴ・イン・ロックンロール」ジーノ(チープ・トリック初代リード・ボーカル)
◎Kyota:「アンブッシュ」チープ・トリック(ケニー・シーガルがプロデュースした二ルソンのトリビュート・アルバムから)
続いて<日本とチープ・トリック>と題した、日本人アーティストからチープ・トリックへのオマージュが窺えるもの、日本語詞がついたもの等々の音源が紹介された。
「SUMMER TOUR」(シングルver)RCサクセション、「愛はウイングス(MIGHTY WINGS)」麻倉未稀、「猫のリンナ(I WANT YOU TO WANT ME)」大槻ケンヂ、「サレンダー〜いつだって僕はブルー〜(SURRENDER)」シスター・ジェット
荒野:本日は長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
Kyota:ありがとうございました。
荒野:メンバーが元気でバンドを続けてくれることが何よりですし、次は<来日できて良かったね>とライブの感想を皆さんと言い合えるようなイベントを催したいです。今はダックスという新しいドラマーとバンドが回っていて、新しいバンドの歴史は続いていきます。今後も彼らを見守りながら、いろんな形で元メンバーが合流すること…とかも願っています。まずは、何より日本においてチープ・トリックの人気を引き続き盛り上げたいと思いますので、今後ともぜひよろしくお願いいたします。
Kyota:私はメンバーと直接会って話した経験はないんですけれども、メディアの方や、メンバーに会った友人から話を聞くと、こちらが想像している以上にチープ・トリックのメンバーは日本を愛してくれている。彼らは自分たちの凄い部分を殊更ひけらかすことはせず、ネガティヴな情報は最低限しか話さない。来日が中止〜延期になり、リックの小さな手術のことなどヤキモキさせられることもあったんですけど、今までチープ・トリックのメンバーが日本を裏切ったことはないんです。きっと来日して日本のファンのために特別なライブをしてくれると思いますので、気長に待ちたいと思います。
荒野:最新の情報はずーっとKyotaさんがホームページに蓄積してくれていますので、皆さん応援を引き続きよろしくお願いします。今日はたくさんお越しいただきありがとうございました。
Kyota:ありがとうございました。(場内大拍手)
▼Through The Night H.P.
*野中規雄さんが8月13日、逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。