▲フレデイ・マーキュリー献花台
クイーン・ファンが一堂に会するイベント「秋のクイーン・デイ」が11月23日に羽田空港・TIAT SKY HALLにて開催された。当日はフレディ・マーキュリーの命日の前日、入り口に設けられた献花台は持ち寄られた花で埋め尽くされた。
イベントのトーク・ゲストは洋楽歌詞解説者の朝日順子と、ラジオDJ/音楽プロデューサーの今泉圭姫子。それぞれが歌詞の面や、取材エピソードからクイーンを語り、ライブ・パフォーマンスはGUEEN ANNEXが務めた。全体の司会進行はクイーン評論家の石角隆行が担当。
▲写真左より石角隆行、朝日順子、フレディ波多江(GUEEN ANNEX)、今泉圭姫子
司会進行の石角隆行の紹介でステージに呼び込まれた最初のゲストは、『クイーンは何を歌っているのか』の著者、洋楽歌詞翻訳家の朝日順子。今回は石角のリクエストしたクイーン関連4曲の歌詞の解説から、その背景などの読み解き、そのツボとなるパートが解説された。
フェイス・イット・アローン
石角:まず最初は最新曲「フェイス・イット・アローン」。アルバム『ザ・ミラクル』のアウト・テイクで今頃になって見つかったという曲。当時はフレディが自身の病気をメンバーに告げ、もう一度皆で結束してやろう──とスタジオに入り作成したアルバムの一曲。
朝日:まず曲名「フェイス・イット・アローン」ですが、これは<一人で立ち向かう>という感じで、全体としてはすごく困難な状況が歌われ、その中でも<一人で立ち向かう>。クイーンからは歌詞の解説は出ていませんが、今回発表されたリリック・ビデオの監督がどういう思いで作ったかを発表されているのでご紹介します。<人生で悲惨な出来事が起こると、本能から自分が愛する最も大切なもので囲まれようとする。フレディの場合、仕事とバンド仲間に囲まれることにより自分を保つことができた。もちろん最終的には一人で立ち向かわなくてはならないのだが、周りの人々の助けを借りながら立ち向かうこともできる──> そういうふうにこの曲を解釈して作ったということです。
石角:その監督の解釈ではありますが。朝日さんとして注目したいフレーズはどちらですか。
朝日:<near and dear to life>の部分。near and dearは身近で親しい存在という意味で、その<人生にとって身近で親しい存在>が自分の中で爆発すると、魂に火がついたように感じる──というすごく抽象的な歌詞ですが、<とてつもなく大きなものが崩壊している>と続きます。
石角:『ザ・ミラクル』以降、作者クレジットはクイーンになっていて、誰が作ったかは明らかにされていないのですが。
朝日:私はフレディかなって思います。歌詞の続き部分でも、人生は自分でコントロールできるし、責任はある、最終的には一人で立ち向かわなければ──という決意が歌われています。「伝説のチャンピオン/We Are The Champions」みたいに大観衆に向けてのものではなく、一人で気持ちを奮い立たせるアンセム。アメリカにESPNというスポーツ専門チャンネルがあるのですが、そこが許可を得て「Face It Alone」のビデオを作ったそうです。歴代のアスリートが困難を抱えながらも立ち向かう──という選手たちを讃えた作品で、この曲の歌詞の世界を表しています。「Face It Alone」はそうやって凄く心に響く曲だと思いました。
グレイト・プリテンダー
続いての曲は、石角のリクエストで「グレイト・プリテンダー」。ザ・プラターズ1955年の大ヒット曲をフレディがソロとしてカバーし1987年にリリースしたもの。自身の病状もわかりつつある中での楽曲として歌ったフレディの心情やいかに、石角がこの<pretender>を<役者>と訳したことにしっくりきたという朝日。曲のMVでは様々な役を演じ、そのやり過ぎ度合いもフレディらしい、孤独だけど誰も気づかないくらい上手く<振り>をしている<道化>が思い浮かび、<道化=crown>と韻を踏むように<clown=王冠>が登場し、本心を隠している──という意味の歌詞につながっていく。
朝日:これは、王冠をステージに持ち出したフレディのために書かれたような歌詞ですね。
石角:フレディのソロ・シングルの中で一番ヒットした曲ですけれど、歌詞に秘められたフレディの思いは誰も知らなかったのでは──と思います。MVではエンタテインメントに徹してましたが、こんなにシリアスな内容だったんですね。
明日なき愛/Love Me Like There's No Tomorrow
石角:では次に、フレディのソロ・アルバムから朝日さんに一曲選んでいただいたのが『Mr.バッド・ガイ』から「明日なき愛/Love Me Like There’s No Tomorrow」。当時はクイーン解散の噂もあった頃です。
朝日:エンターテイナーに徹したようなフレディも、時々本心が出てくる歌詞があって、私は好きなんですけど、この曲は本心が透けて見える曲。一説にはドイツ時代の恋人を思って書いた、彼女の出た映画の英題「Kiss Me Like There’s No Tomorrow」へのオマージュとも言われてます。まずこのタイトル「Love Me Like There’s No Tomorrow」ですが、<like there’s no tomorrow>というイディオムをベースにした<まるで明日この世の終わりがくるかのように愛してくれ>という意味なんです。タイトルに続けて<抱きしめて、それが本心だと教えて欲しい>というフレーズ。そして、明日荷物をまとめて出て行く相手に<これが最後の別れだから、今日だけは最後に愛して欲しい>と歌う。
石角:切実なラヴソングですね。
朝日:でも、別々な道を行くんだけれど、お互い<losers/負ける人・うまくいかない人>だから、そんなに遠く行かずにこの辺りでウダウダしている──という本心が透けて見える、ラヴソングとしては現実味があって凄くいい歌詞だなと思います。<losers>って只の負け犬じゃなくて、メイン・ストリームの価値観とは違うところを生きている存在、だから必然的に悪い意味ではないんです。エンターテイナー的側面が強いフレディのロックな部分が見えます。
石角:フレディは思いっきりリッチな時期。
朝日:リッチになっても<losers>精神を忘れないところが、やっぱりロックかな──と勝手に思ってます。
石角:あまり現実的な歌詞を書かないフレディのリアルな歌詞。
朝日:そこは興味が尽きないですね。
石角:フレディは身近な人との別れとかを詞にすることがありますものね。
伝説のチャンピオン/We Are The Champions
石角:そしてもう一曲、これも朝日さんに選んでいただいたクイーン楽曲の中でのフレディ作の曲、「伝説のチャンピオン/We Are The Champions」。
朝日:この2年以上、世の中はいろいろ大変なことがあった中で、この曲しかないなと選びました。励まされる曲だし、「フェイス・イット・アローン」が一人のアンセムだとしたら、この曲はみんなのアンセム。ここでは役者としてのフレディの中に、本心がちょこちょこ出てきている感じがします。
曲の最初の部分とかそれこそ本心丸見えで、突然売れたわけじゃない、苦労があった、報いは受けてきた──ということを畳み掛けるような歌詞なんです。<犯罪を犯していないのに、刑期を務めなければいけなかった>とか、みんな人生にそれぞれの割り当てがあるとしたら<自分も割り当てられた苦労は受けてきた>とか。続く<sand Kicked in my face>というのは40年代〜70年代頃のボディビルのマンガ仕立ての広告<痩せ細った男の子が彼女とビーチにいると、いじめっ子みたいなムキムキの人が砂を蹴って彼の顔にかけちゃう、男の子はナニクソ!とボディビルで体を鍛える──>からよく使われるようになったイディオム・慣用句でポップ・カルチャーによく登場するんですけど、それが使われていて、<自分も顔に砂を浴びさせられるような思いをしてきた、でも自分は生き残った、ここに居るぞ、と>。こうやって言葉を重ねて、慣用句も使って、かなり言いたいことが篭っている感じがするんです。
石角:そして二番目の歌詞の最初の部分にも朝日さんは注目されています。
朝日:ここにも役者=フレディが登場します。<こんなに苦労してきたけど、皆さんが拍手をしてくださったカーテンコールを受けて>と役者は舞台に出る。そのあとに凄い早口で<皆様のお陰で私に富と名声がもたらされました、お礼を申し上げます──>と捲したてる。これが舞台の上から目線で、<THE 台詞>という感じなんです。
そしてまた登場すると、これも慣用句を使って<ベッドの薔薇=優雅な暮らし>や<豪華クルーズ>ばかりじゃなかった、苦労もいろいろしたんだよ、だけど、皆さんのお陰でこうなりました──。そして、クイーンだけじゃなく、クイーンとクイーン・ファンの観客と、そのみんな両方がチャンピオンなんだよ──と。
石角:応援してくださったファンにもお礼を──と言いつつ、このアルバムの最後の「マイ・メランコリー・ブルース」ではみんなを突き放すような、<俺は一人で、こうやって行くぜ!>と。
朝日:フレディのこの一筋縄ではいかないところもいいですよね、拗ねたようなところも可愛いし。
石角:そういった流れも踏まえてアルバム『世界に捧ぐ』を聴いてもらうと面白いかもしれませんね。というところでお時間が来てしまいました。以上4曲をご紹介いただきました、朝日さんありがとうございました。
朝日:ありがとうございました。
石角の紹介でステージに呼び込まれた二人目のゲストは、音楽評論家、ラジオDJ/音楽プロデユーサーとして活躍されている今泉圭姫子。
石角:当時、雑誌のほうでクイーンを盛り上げていたのが『ミュージック・ライフ』だとしたら、ラジオのほうでクイーンを盛り上げていただいたのが今泉圭姫子さんです。では、まずクイーンとの最初の出会いのきっかけをお聞きしたいのですが。
今泉:最初は、洋楽を聴き始めたのも映画『小さな恋のメロデイ』を観てビー・ジーズを、『フレンズ』を観てエルトン・ジョンを知ったりとか、ビートルズも同級生の男の子に勧められてとか、そういうレベルでした。そして大好きだったのが西城秀樹さん。それで秀樹を追いかけて追いかけて、テレビや雑誌とかも見まくっていた最中、『ヤングおー!おー!』という番組を見たとき、郷ひろみさんが素敵な曲をカバーしてらしたんです、それが「ストーン・コールド・クレイジー」、残念ながら秀樹じゃなかったんですけど(笑)。
高校一〜二年頃からハードロックも聴き始めていた今泉、友人からそれがクイーンの曲であることを知らされ、そこからクイーンにはまる。最初のライブ観戦は1977年3月31日の武道館公演。電話でA席を予約し、当時甲府に住んでいたため学校の早退許可を得て電車で東京へ。終演〜帰宅は駅まで父親に迎えに来てもらい夜中になったとのこと。この日持参された当日のパンフレットは少し雨に濡れた跡があるものの当時の感動を閉じ込めたもの。
今泉:父親から借りたプロ級の高倍率の双眼鏡で、二階の端の最後尾A席から「ボヘミアン・ラプソディー」の途中でステージから出入りするメンバーを見てました。
石角:それはそれで特等席ですね、普通は見られないですから。
今泉:1曲目から「ボヘミアン・ラプソディー」、最高でした。この時点でアルバムが4枚出ていて本当に素晴らしいステージだったんですけど、雨だったので帰りは大事なパンフが濡れるのが一番気がかりで(笑)。
石角:今泉さんは数あるクイーンのアルバムで一枚を選ぶとしたらどれですか?
今泉:これはもう即答です! 『クイーンⅡ』。当時学校にはベイ・シティ・ローラーズのファンがたくさんいて、クイーンのファンってちょっと少なかった。そこで私は威張ってクイーンを説明するんです。その頃プログレ(プログレッシヴ・ロック)が流行っていて、<コンセプト・アルバム>って言うと偉そうに聞こえたんですね(笑)、私にとっても『クイーンⅡ』は自慢のアルバムだったんです。楽曲一つ一つがそれぞれ四人の個性も感じられるし、大胆不敵なところが素晴らしい、今聴いても凄いアルバムです。
石角:たしか、ガンズのアクセル・ローズも棺桶の中に入れて欲しい一枚が『クイーンⅡ』でした。
今泉:あ、アクセルと同じ? 私(笑)。なにか通じるものがあった。
今泉は1978年にラジオ関東(現ラジオ日本)の番組『全米トップ40』(メイン・パーソナリティ/湯川れい子)のアシスタントに合格し、ディスクジョッキーとしての第一歩を踏み出す。翌79年には「JAZZツアー」で来日中のクイーンを湯川が取材する場に同席、徐々にラジオ業界に於いて<クイーン・ファン>としての認知を高めていく。そして81年発売のアルバム『クイーン・グレイテスト・ヒッツ』のライナーノーツを執筆する。当時ワーナー・パイオニアでクイーンの担当ディレクターをしていた松林天平からのオファーだった。
今泉:お話をいただいて、凄いプレッシャーと嬉しさがありました。当時は嬉しさの方が勝っていましたけれど、今だったら“いや、とんでもない!”って言っちゃうかも。クイーンで、しかもグレイテスト・ヒッツですから。それで原稿用紙に書いたものを届けに行ったんですけど、ダメ出しがあってレコード会社の小さい試聴室に篭って書き直し、それを何度か繰り返しました。松林さんは、“この『グレイテスト・ヒッツ』って凄いアルバムになるんだから、大切な作品のライナーを書くんだから、いいものにしないと──という気持ち分かってもらえるよね”と仰って。私も涙を流しながら頑張りました。今読み直すと、まだまだ恥ずかしい部分はありますけど、改めてこれを見て、この時代を思い出さなければいけないな、と。
石角:『グレイテスト・ヒッツ』は先だって、イギリス国内で初の700万枚を越すセールスを記録したと報じられました。その後、今泉さんは82年6月のミルトン・キーンズでのライブもご覧になっているとか。
今泉:私はクイーンのサポート・アクトのハートのアン・ウィルソンの取材で行ってました。カメラマンの浅沼ワタルさんに連れていってもらって。クイーンには会えなかったんですけど、取材エリアでロバート・プラントに会い取材しました。
石角:その年の11月には「ホット・スペース・ジャパン・ツアー」でクイーンがやって来ました。そこで初めてブライアン・メイにインタビューをされた。
今泉:名古屋で取材したんです、ロジャー・テイラーは東京で、だったんですけど。当時『ホット・スペース』については、作品のカラーが2対2に分かれているとかいろいろ言われていて、そこでブライアンをインタビューした時も、“この曲はフレディやジョンに聞いて…僕はこの曲は…”とかグチグチ言ってました(笑)。今は絶対そういうことは言わないと思いますけど、当時は<こういうことに挑戦したい>という二人と、<これはクイーンじゃない>という二人がいたんだと思うんです、彼らも若かったし。今は、『ホット・スペース』は次のクイーンを目指すに当たって、それを切り開いた──と言われてますけれど、当時は私も<え〜?>派でしたので、私の質問の仕方もあったのかもしれませんね。
ステージには『グレイテスト・ヒッツ』のライナーノーツや、取材時の今泉とブライアンのツーショット、取材現場では『ミュージック・ライフ』取材陣と一緒の時が多かった──といった話題に応じた写真が映し出された。
今泉:ブライアンは比較的快くインタビューに応じてくれた印象です。今はデジタル・レコーダーで録音したものをパソコンに入れて──ですけれど、その頃は録ってきたオープン・リールのテープは局に渡さなければならなかったので、ブライアンのテープだけが手元にないんです。さっきのグチグチも私の妄想かもしれません(笑)。81年にはL.A.でアダム&ジ・アンツの取材で行ったんですが、そこでのパーティにクイーンのロジャーとジョンも来てたんです。当時はラジオは私の番組、雑誌は『ミュージック・ライフ』というパッケージでいろいろと廻ってました。『ミュージック・ライフ』は東郷編集長、編集の塚越美登里さん、カメラマンの長谷部さんというチーム。この時は私と美登里ちゃんは東郷さんに荷物番を押し付けて、長谷部さんを引っ張って行って一瞬で撮ってもらいました。ロジャーとジョン二人とも本当にオフの表情をして、私と美登里ちゃんも取材の時とは違いますね(笑)。
ここでロジャーが、ジョン、ブライアン、フレディ、メンバーそれぞれについて語っている82年取材時の音声と、84年『ザ・ワークス』のキャンペーンで来日したジョンとロジャーの音声、85年の『Mr.バッド・ガイ』で来日したフレディの音声が流され、合間に当時のエピソードが話された。
今泉:(82年の音声に)今は血液型の話なんか絶対にしません(笑)。
石角:この頃はやっぱり血液型を聞いてますね(笑)、40年前ですから。
今泉:84年のインタビューでは、私は大胆にも<クイーンのメンバーが一人でも抜けるようなことがあったら解散してください>って言ったんですね、つまり4人じゃなきゃ嫌だっていう意味です。<一人でも欠けないで欲しい>って言ったら、<自分たちもそういう気持ちでいる──>というようなことを話してますね。通訳は宇都宮カズさんです。
石角:続いて2人に<クイーンの楽曲で好きな曲は何?>という質問をされてまして、ジョンは「ドラゴン・アタック」が好きだと、ロジャーは意外にも「マーチ・オブ・ザ・ブラック・クイーン」。
今泉:ドラムの叩き甲斐があるんでしょうかね。
石角:いろいろパターンが変わって複雑ですからね。
今泉:自分の曲じゃなかったですね。
石角:ステージではパート、パートで完全演奏をしたことはなかったですから、叩きたかったのかも。そして<今後のクイーンは?>という質問もされています。<時々ソロ活動をしてもいいんですけど、全体的には今のバンドでやっていきたい、今後のことを予測するのは難しいですけど──10月は日本の方向に進んで>ロジャーが冗談っぽく言ってます。インタビューは3月ですから10月に来日予定があったかもしれない、実際は翌年4月ですけど。これもまた踏み込んだことを聞いてらっしゃる。
今泉:すみません。
石角:そしてフレディについては彼のシングル「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」のライナーノーツも今泉さんがお書きになってます。85年のインタビューは短いものがあります。
今泉:この音声では何を買ったのか聞いてます──他にもいろいろ聞いたんですけどこの部分だけしか残ってなくて、すみません。で、映画『ボヘミアン・ラプソディー』が公開になった後にクイーン・ブームが盛り上がって、テレビ局から取材を受けた時<なぜフレディ・マーキュリーはタンクトップ姿なんですか?>って質問されて、そんなこと分からない──と思ったんですけど、この時フレディは言ってましたね、<スポーツウエアが好みだ>って。
ラジオの取材は20分くらい時間を貰えればいいほうなんですね。その中でどれだけの声を貰って、リスナーの方へのサイン色紙とかをいただくか。この時もそうやって取材を終え部屋をへろへろで出て、緊張が切れて音声の技術の人の前で泣いていたら、扉が開いて、フレディが<君、忘れ物だよ!>ってサイン色紙を持って(笑)。<すみませ〜〜ん!!!>ってそんな感じでした。
この後、86年にウェンブリー・スタジアムで行なわれた「マジック・ツアー」や、ライブの後ケンジントン辺りのお屋敷で開かれたアフター・パーティの話題に。
今泉:これがパーティ? って圧倒されました。エルトン・ジョンがピアノを弾いたり、デュラン・デュランのメンバーがいたり。最後にメンバーが登場して。
石角:その時はクイーンのメンバーが即興バンドで、いろんなカバー曲をやったんですよね。『カインド・オブ・マジック』のライナーノーツもお書きになってますが、『クイーンⅡ』がお好きな今泉さんはどう捉えられてました?
今泉:音的なこととかではなく、<愛するものはずっと愛する>という精神ですから<クイーンと共に歩いて行くのよ>という気持ち。だから、このアルバムがこうだから…という向き合い方はしたくない、こういうのを出したんだ…と受け入れる。
石角:先日出された「フェイス・イット・アローン」は?
今泉:結局、アルバムの中に入れなかった曲というのは、その中の世界観とは違う曲なので、デモはデモ、という捉え方です。ただ宝物は、別な話です。こうやってフレディが歌っていた、その荒々しい歌声ってなかなか聴けないじゃないですか。今はアダム・ランバートが凄く上手くクイーンの曲を歌ってくれていて、新しくクイーン・ファンになった方は彼の歌声で聞かれてると思うんですが、フレディって巧さだけじゃないんです。時々声が掠れたり、アラ? っと思う時もある、けれども何かエネルギーを感じる、それがフレディ。そのフレディをみんなに聴いてもらいたいな──っていう気持ちがあるんです。
石角:92年の『フレディ・マーキュリー追悼コンサート』もご覧になられて。
今泉:とにかくクイーンって凄いグループなんだなと思いました。共に生きてきたグループなので、家族みたいな存在。でもコンサートを観た時に、<クイーンって凄いグループなんだ!、こんなに多くのアーティストたちがフレディのために集まるんだ!>というドキドキ感ワクワク感で一杯でした。
石角:それでは、この辺りで終了とさせていただきます、ありがとうございました、今泉圭姫子さんでした。
今泉:ありがとうございました。
休憩を挟んでのライブ・パフォーマンスはGUEEN ANNEXが務めた。
GUEEN ANNEXはお馴染みGUEENのドラムレス・アコースティック編成のセット。ギター、ベース、キーボードの見事なコーラスが楽曲の新たな側面を浮き彫りにし、そこにフレディ波多江のヴォーカルが乗るポテンシャルの高いアンサンブルが展開された。中盤前には「Love Of My Life」ではクイーンのライブとは違ったピアノが入ったヴァージョンや、ブルージーにアレンジされた「Tie Your Mother Down」などスペシャルなメニューも挟み込まれ、ラストの「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」までアコースティック編成で生演奏を披露と、聴きごたえ観ごたえ満点のステージが展開された。
GUEEN ANNEX 2022年11月23日@羽田TIAT HALL
01. アンダー・プレッシャー(Under Pressure)
02. ドント・ストップ・ミー・ナウ(Don’t Stop Me Now)
03. ラブ・オブ・マイ・ライフ(Love Of My Life[Piano ver.])
04. 去りがたき家(Leaving Home Ain’t Easy [Guitar Vocal])
05. タイ・ユア・マザー・ダウン(Tie Your Mother Down)
06. ’39
07. マイ・ベスト・フレンド(You’re My Best Friend)
08. 手を取り合って(Teo Torriatte (Let Us Cling Together))
09. 愛という名の欲望(Crazy Little Thing Called Love)
10. ボーン・トゥ・ラヴ・ユー(I Was Born To Love You)
11. ウィ・ウィル・ロック・ユー(We Will Rock You)
12. 伝説のチャンピオン(We Are The Champions)
13. ゴッド・セイヴ・ザ・クィーン(God Save The Queen)