2024年から新しい紙幣に切り替わる。 長らく1万円札の顔であった福沢諭吉に代わって最高額紙幣の肖像となったのは「渋沢栄一」。 日本の偉人の中で、 最も我々の生活に影響を与えている人物だ。 なぜなら、 彼のかかわった会社のモノやサービスにふれずに1日を送ることは不可能。 織田信長や西郷隆盛など偉人は数々いるが、 その点で渋沢栄一は他の追随を許さない。
ただ、 彼の知名度はそうした偉人たちより低い。 それは、 彼が多くの兵を率いて戦った武将でもなく、 激しい政争を繰り広げた政治家でもないことが原因かもしれない。 しかし、 彼が戦った「経済」という世界は、 戦争や政治の世界同様に激しい争いが繰り広げられた興味深い歴史の舞台なのだ。
幕末の武蔵国血洗島(現在の埼玉県深谷市)の豪農の家に生まれた渋沢栄一は、 幼いころから書物に親しむ人物だった。 特に儒学を深く学び、 『論語』は彼の人生の指針となり続けた。 また、 若いころから優れた商才を示し、 家業でもある藍の買い付けをひとりでおこなっていた。
そのうち、 幕末の嵐の時代が訪れる。 かつて藩の役人に理不尽な扱いを受けた栄一は、 幕藩政治を変革することを求めて、 尊王攘夷の志士として活動するようになった。 その手始めとして、 高崎城を乗っ取り、 横浜の外国人の住む館を焼き払う計画をたてましたが、 計画は露見、 京都に身を隠す。
栄一はひょんなことから徳川家一族の一橋家に仕官することに。 幕藩政治に反感を募らせていた尊王攘夷の志士から、 正反対の徳川家一門の家臣になったのだ。 それは、 内側から政治を変えたいという思いからだった。 一橋家でも持ち前の才能を生かして大活躍した栄一は、 主君・慶喜の15代将軍就任にあわせて幕臣となった。 そして、 重大な任務が彼に与えられる。
幕府はパリ万博に参加することになり、 渋沢はパリに派遣された。 最新の機械や美しいパリの街に驚く栄一でしたが、 最も彼が興味を抱いたのは経済制度。 人々が出資し、 大きな事業をなしとげることができる株式会社という仕組みに魅了されたのだ。
日本に帰国したとき、 すでに幕府は倒れていた。 慶喜のもとで働いていた栄一は、 新政府にヘッドハントされ、 ここでも才能を発揮しますが、 役人をやめ、 経済人として生きるようになる。 日本初の銀行「第一国立銀行」を設立し、 次々と会社を立ち上げ、 経営していく。栄一は、 慈善活動にも力を入れ、 晩年には悪化した日米関係の改善のために「青い目の人形」で知られる人形交換にも尽力している。
本書は、 彼の92年の生涯のクライマックスシーンを厳選して描き、 今、 脚光を浴びる彼の人生をわかりやすくまとめている。 また、 巻末には年表などの資料や博物館ガイドなども掲載されているので、 渋沢栄一が一冊でよくわかる。
日本が元気と活力を失って久しいといわれている。 閉塞感に満ちた現代は、 幕末の混乱の時期にも似ているのではないだろうか。 そんな中、 渋沢栄一のように、 古くからの教えを胸に秘めながら、 積極的に新しいものを取り入れ、 そして社会をよりよくしていくヒーローが求められている。 まず、 彼の生涯を知り、 考えを理解し、 おのおのがそうしたヒーローを目指すこともできるのではないだろうか。