福島県いわき市にある三崎公園・野外音楽堂で8月29日(土)、30日(日)に開催されるフェスがある。地名に由来する『ONA FES』(オナフェス)の名で2012年にスタートし、開催を続けてきたこれまでのこと等々はインタビューをお読みいただくとして。
実は新宿LOFTとしても、特に現在の店長である柳沢英則(通称・やなモン)が福島と非常にゆかりが深い。柳沢自身がホワイトルーザーというバンドでバンドマンでもあるのだが、遡って2011年に東日本大震災が発災して約2カ月後、ホワイトルーザーは福島県いわき市のライブハウス・club SONIC iwakiへとライブに行っていたのだった。震災以前から親交があったという仲間のバンドがいる福島へと何度も赴き、新宿LOFTでのイベント等でも福島・東北のバンドを今なおたびたび招き、年を重ね交流がより活発化しているようにも見える。
さてclub SONIC iwakiといえば、年内を持って閉店という発表があった(※現時点で閉店予定は来年5月まで延長)。同じく"ライブハウス"という土壌に育ち、音楽というものに関わり続ける柳沢が『club SONIC iwakiに想いを馳せて』のタイトルで手紙を寄せた。大事な何かを教えてくれているようで読むうちに熱い何かが込み上げてくる手紙と共に、club SONIC iwakiのブッキング担当でもあり『ONA FES』主催として動く後藤勇作氏へのインタビューをぜひお読みいただきたい。(Interview:高橋ちえ)
震災の風評被害があろうとも、音を鳴らし続けてきた
──まずは後藤さんと新宿LOFT店長・やなモンとの接点から伺いましょう。
柳沢:ゴッちゃんが新宿LOFTにライブで来てくれて対バンもしてたし、LOFTでのイベントとかフェス的なものにもけっこう呼んだこともあるしね。
後藤:club SONIC iwaki(以下、ソニック)ができて25年ぐらい経ちますけど、三ケ田(圭三/※ソニックのスタッフで、ミュージシャンでもある)と僕が同じ時期、20年ぐらい前ですかね、ソニックに入って。その頃からホワイトルーザーがソニックにライブに来てくれて、よく飲んだりしてます(笑)。だから知り合ってもうけっこう長くなりましたね。
──後藤さんはもともといわきの方でしょうか?
後藤:はい、生まれも育ちもいわきです。僕は今ソニックでブッキングも担当してますけど、入る前の5年ぐらいはto overflow evidenceという今も続けているバンドをやってて、前任のブッキング担当の方が抜けるタイミングでソニックに入った感じでした。バンドのメンバーはかなり変わってはいますけど細々とやってまして(笑)、バンドのほうが(ソニック勤務より)先で。バンドのほうは来年で25年になりますね。
──バンドのお話でいくと、それこそ新宿LOFTとも繋がりができたし、上京しようとは考えませんでしたか?
後藤:自分はライブハウスで働き始めましたけど、他のメンバーは普通にサラリーマンだったり自営業なので、福島を離れるということは考えたことがなくて。ライブ自体は県外のほうが現状は多いんですけど、住んでるのはやっぱり福島っていう感じです。
to overflow evidenceのボーカルとしても活躍している
──バンドもライブハウス勤務も続ける中で、2011年には東日本大震災がありましたよね。その時はどうされていましたか?
後藤:震災の日は学生の卒業ライブがあって、ソニックにいましたね。僕はいわき市の中でも(海沿いの)小名浜の出身なんですけど、あの時は小名浜が立ち入り禁止になって。何日か、スタッフと一緒にソニックの近くで過ごしたりしてました。
──震災後、ソニックが営業再開したのは?
後藤:けっこうすぐ、再開したはずでしたね。(震災から)2〜3カ月後にはやっていたと思う……んですけど、でもちょっと、定かではないんですけど。
──わたしも当時、岩手県にいた記憶が定かでないところがあるのでよく分かります。ソニックが再開して、ソニックも営業しながら震災の翌年、2012年に後藤さんは『ONA FES』を始めたそうですね。きっかけを教えてください。
後藤:震災があってから、ちょっと落ち着いたら東京とかの友達がけっこういわきに来てくれまして。小名浜とかを案内していた中で(『ONA FES』会場の)三崎公園に行った時、Hopeless Ravenっていうバンドのギター・松崎くんが「こんないい場所があるならここで何かやったら良いじゃん! やろうよ!」みたいな話になって。地元の先輩とかが地元バンドを集めて年に1回何かをやってたり、(中高生の)吹奏楽やダンスとか地元メインで使ってる場所なんですけど、自分も小っちゃい頃から行ってた場所だったし、ふんわりですけど何かやりたいなというのは自分でもあったので。震災があって皆も助けてくれたし、ここで集まって何かイベントやろうかって言ったのが始まりですね。それが2011年の半ばから後半ぐらいの時で、「じゃあ来年からやろう」って始めました。
──今思えば、けっこう早いスピードでフェスが実現していますよね。
後藤:そうですよね(笑)。僕らのバンドが震災があった時の期間にちょうどソニック(にあるスタジオ)でレコーディングをしてたんですよ。震災で(ライブハウスの営業が)できない期間もソニックで録ってて、2011年にアルバムとして出してツアーもしたんですけど、そのツアーを一緒にやってくれたバンドとかも呼びたいっていう感じだったし、じゃあやっぱりフェスみたいなものをやろう、みたいな感じになったんですよね。とにかくライブがしたい、みたいな時だったし(笑)、あの時は半分勢いみたいなところもありましたね。ソニックが再開して自分たちはソニックでライブはやってましたけど、あの当時は風評被害とかもメチャクチャあった時で。でも住んでる僕らからすれば全然元気で全然ライブもやれるし、みたいな感じで。だからツアーもやったし、いわきにもツアーとかで来てほしいし、っていう気持ちでしたね。















