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INTERVIEW

トップインタビュークロダセイイチ(Genius P.J's)×内田春菊 - 創作活動におけるバイタリティを保つためのサバイブ術とは

創作活動におけるバイタリティを保つためのサバイブ術とは

2025.06.16

 Genius P.J'sのトラックメーカー・クロダセイイチが、業界の第一線で活躍をしてきた先輩たちと対談をする連続企画。クロダが影響を受けた作品や独自の表現方法についてそれぞれの視点をうかがい、各シーンの若い世代に自分たちができることはなにかを考えていく。第4回目は漫画家、小説家、俳優、歌手、映画監督、落語家として八面六臂の活躍を続ける内田春菊が登場。(構成:成宮アイコ / 写真:小山亮太)

表現活動のサバイブ術

クロダ:自分は今年で30年くらい音楽制作をしているのですが、今より良いものを制作できるだろうか、このまま続けていけるだろうか……など、悩み始めると眠れなくなるんです。最近だと、SNSでの誹謗中傷が自分に降ってきたのでショックを引きずりました。そこで今日は、表現活動をしている先輩として内田さんにお話しをお聞きできればと思っております。

内田:わたしもSNSで因縁をつけられたことはありましたけど、ミュートして終了です!

クロダ:潔いですね! 活動をする上でのサバイブ術を聞くと、自分も頑張ろうって思えるので参考になります。でも自分はそんなに潔くなれるかな(笑)。

内田:漫画家の世界で言えば、辞めてしまう人もけっこういるものなんだなと感じています。お互いに連載が増えて忙しいなかでもいろんな場所で会っては楽しく話していたのに、急にいなくなっちゃった人も多いです。

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クロダ:自分はインディーズもメジャーも関わっていますが、みんなどんどん辞めてしまうんですよね。それぞれのタイミングがあるのだろうなとは思うけれど、時にくじけそうになります。

内田:ただ、商業作家としてやっていた人が同人やギャラリーのお仕事をしたりと、自分自身の活動にシフトした人も多いです。形を変えて続けている人もいっぱいいるんだなとも思っています。

クロダ:自分が内田さんの作品に初めて出会ったのは小学校のときに観たドラマ『南くんの恋人』でした。それより前に知っていたのが、でんこちゃん(東京電力のマスコットキャラクター)でした。おそらく初めて好きになったキャラクターがでんこちゃんなんです。その後、いま対談をさせてもらっているお店「星男」の店長であるムネくん(櫻田宗久)から、「お店に内田春菊さんがいらっしゃっているよ」と紹介してもらいました。内田さんはムネくんとの出会いはいつだったんですか?

内田:あんじのファッションショーを見に行ったときに紹介されました。ムネくんが映画の主演をしたりCDを出したりしていた時期で、彼が出ていたポンキッキーズのイベントにも行きましたよ。その後、ムネくんが事務所をやめて久しぶりに来た連絡が、「スーパーでレジ打ちのバイトをしようと思っています」という内容だったので、「それならわたしの仕事を手伝って!」と提案したんです。当時、わたしの3番目の子が生まれたばかりだったので大変な忙しさだったんです。なので、わたしの子たちはほとんどムネくんに育ててもらったようなものです(笑)。今は子どもが全員成人しているので「星男」で一緒にお酒を飲んだりしています。

漫画家を目指した理由

クロダ:内田さんはいつから漫画家を目指していたんですか。

内田:子どものころから絵を描くことが好きで、漫画家になるのが夢でした。だけど、長崎のド田舎に住んでいたので出版社の仕組みもわからなかったし、漫画家にはなりたいけれど一体どうやったらなれるのか想像ができませんでした。親に将来の夢を話したこともなかったんです。それが災いをして、「実は漫画家になりたい」と伝えたら、「お前はそんなことを考えていたのか!」と火がついたように怒られました。あまりに反対されすぎたので、むしろそこから「絶対に漫画家になる」と意識するようになったんです。

クロダ:反骨精神でさらに強く漫画家を目指すようになったんですね。当時はどんな漫画を読んでいましたか。

内田:『りぼん』ですね。一条ゆかり先生がデビューされた頃でした。でも親からは漫画を読むこと自体を禁止されていたので、友だちの家に遊びに行ってそこで読めるものはジャンル関係なくなんでも読みました。

クロダ:東京に出てきてからは漫画家だけじゃなくて役者や落語でも活躍して、歌も歌われていますよね。

内田:小さいころは母と一緒に歌合戦のオーディションに出ていました。長崎でラジオのど自慢のチャンピオンになったこともあります。中学生のときにスター誕生を受けて長崎予選には通ったんですけど、親に反対されて結局出られなかったんです。それをずっと根にもっていたので、18歳のときにもう一度オーディションを受けて長崎大会で優勝しましたが、東京の決勝で落ちました。そのときはすでにクラブでは歌っていましたね。

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クロダ:どんなジャンルを歌っていたんですか。

内田:ディスコに通っていたのでうねる系のダンスミュージックを歌っていました。うちの一家が長崎に引っ越したのも、音楽繋がりなんです。母と父は社交ダンスの講師をしていたので、長崎なら働けるダンスホールがたくさんあるだろうと思っていたらしいんです。実際はダンスホールなんて全然なくて、母はホステスをやって父は黒服をして生活をしていました。ダンスの時間には二人とも大活躍していたそうです。東京に出てきてからはラテンファンクのバンドを組んで歌っていました。お店で働いているときにお客さんに頼まれたら演歌を一緒に歌っていましたが、本当は大の苦手です。

クロダ:演歌が苦手な理由はあるんですか。

内田:歌詞の女性像が苦手です。ムード歌謡もそうだけど、好きな男性のためにはなんでもするしわたしはずっと待っている……みたいな歌詞が苦手。そもそもお金を出さないといけない関係なんてだめですよ。

クロダ:確かに演歌はそういったイメージの歌詞が多いですよね。内田さんは『イカ天』(TBSで放送された深夜番組『平成名物TV』の1コーナー、『三宅裕司のいかすバンド天国』は数多くの人気バンドを輩出)にも出演されていましたよね。

内田:2回出演したんだけど、そのうちの1回はすごく酔っぱらっちゃって大変でした。JITTERIN'JINNのひとりが、「水商売じゃなくてギャラのいいバイトをやりたい」と言ってたんですよ。わたしは水商売出身だからカチンと来ちゃって、「バンドで成功するなんて水商売より大変だよ」なんて言わなくていいことを言っちゃったんです。

クロダ:その回の放送を見ていました。あまりに印象深くて、そこから自分の中で内田さんはアッパーな人というイメージでした(笑)。

内田:『イカ天』って午前1時から生放送なんですけど、その日は0時すぎまで飲み会があってべろべろになったまま出演をしたんです。その後も、お酒を飲みながら話す番組に出演すると途中から何を言ったか覚えてなくて……わたしは飲み方が本当に下手なんだなと気付いたので、そこからお酒をやめました。

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LIVE INFOライブ情報

「モノクロームコネクト」MV先行上映会&リリース記念イベント
【出演】甲斐莉乃
【トークゲスト】成宮アイコクロダセイイチ
【日程】2025年7月17日(木)
【時間】開場18:15 /開演 19:00
【料金】前売¥2,500 / 当日¥3,000(+1D)/ 配信¥1,500
【会場・問い合わせ】渋谷LOFT HEAVEN 03-6427-4651
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