音楽という目に見えない波動に対して、皆で笑ったり感じ合えたりしたらいい(稲村太佑)
山岡:太佑さんのライブって、空間全てをアルカラ・太佑さんの空間にしてしまうような感覚で。端から端までお客さんのことを置いていかない、初めて見るお客さんだとしても心をグッと掴むようなライブをしているの見て、どうやったらこうできるんだろう? という太佑さんへの憧れもありまして。フェスとかでも、アルカラをステージ袖で見てるアーティストがメッチャ多い(笑)。皆、アルカラから何かを盗もうとしてる、学びを受けようと思って見てる。自分も今回、何かを吸収したいと思って誘わせていただいてます。
稲村:あはははは、嬉しいですね。光栄ですわ。ライブでは絶対にこうしないと、みたいなものはないんですけど、ありがたいことに一緒の方向を向いてくれる方にたくさん集まっていただいてる、ということだと思ったりするんですけども。巻き込んでいきたいですよね、皆で一緒の船に乗りたい。
山岡:うん、うん。そうですね。
稲村:でも一緒の船に乗ったとしても、人種も違うし好き好みも違うし、舟漕ぎもいれば監視員もいたり船員としての役割も違う。せやけど、「この瞬間だけは同じ船に乗って、終わったらすぐ降りていいから」みたいな、そんな感覚かもしれないですね。全員を従えるとか自分のものにしたいとかそういうおこがましい気持ちでは全くなくて、それぞれが思い悩んでることも違うんだから、それらひっくるめて一旦置いといて、この時間だけは同じ方向を見ようぜ、みたいな。何てことのない音楽という目に見えない波動に対して、皆で笑ったり感じ合えたりしたら良いんじゃない? みたいな感覚かもしれないですね。
山岡:同じ船に乗る、なるほど。
稲村:でもちょっとライブでもガチャガチャになって、「この曲はこういうイメージで」とか、強いイメージを持ちすぎてしまっていた時期もあったんですけどね。僕も人なんで行ったり来たりするし(笑)。“ホワーイ”って言葉を歌ったら“WHY”っていう意味やけど、発音で言ったら“ワーイ”にもなる。だからそう取ってもらったとしてもいいじゃないかって思える、そういう感じにまた戻ってこられたというか。年齢が高くなっていけばいくほど考えることも増えるし、音楽としてこうあるべきや、ライブはこうあるべきやみたいな意思が強くなったり、あるいは自分自身を表現したくて仕方なくなってしまったり、それこそ焦りもあったり。するんですけど、ホンマにこの2カ月ぐらいかな。ようやく戻ってこれた感じ(笑)。そんな時期に呼んでくれて、良かった。
山岡:(ずっと頷いて聞きながら)そうなんですね。
稲村:「見てよ!」って思ってしまったら、芸術って……これも自分の言葉じゃなくて頂いた言葉ですけども、「能面って顔が変わらんから、怒ってるとか泣いてるとか表現であったり意味を、見る側に委ねてる芸術や」と。顔が変わらん不気味さもあるし、変に押し付けないほうが良いんだなというのもあって。それで例えばですけど、10秒ぐらいの歌、そこを狙って作る感覚っていうのが今はあると思うんですわ、否定するつもりは全然ないんですけども。TikTokとかの動画で流れる「ワーイ、ワーイ、イエーイ!」ぐらいの短い曲って空虚な感じがするけども、逆に能とかの感覚とも繋がってるなと思ったんですよ。「俺が、俺が」みたいになってたけど、こっちが答えを言うことではないなと思い始めて、2周ぐらいして(笑)。ちょっと対談の趣旨とは離れた、僕の話やけども。
山岡:いやいや、いや! むしろそういうお話が聞きたいです。
稲村:ミュージシャンとして次にもう一つ進むのに、巻き込んでいくやり方っていうのは聴く側に余白、というか。意外と、今の10秒動画の芸術にはそういうのがあるんじゃないかなと思ったりして。自分はまだまだそれを否定するだけのものも生んでないし、辿り着けてない境地があるんかな、と思ったりしてました。以上、最近のお話でした!
山岡:今のお話を聞きながら、それこそ自分も「伝えるという思いが強すぎるんだよな」みたいなことを言われたことがあったんですね。でも、自分はこうだ! って伝えることより目の前の人がどう感じて、どんな表情になったりするのか。悲しい曲でも楽しい曲でも表情は自由だし、楽しみ方も自由だし。音楽で寄り添いながらライブをやりたいなっていう、そんな気持ちに僕もシフトしてきてました。自分としてはカッコ良く見せたい曲だとしても、お客さんが少しでも笑ってくれたり楽しくクラップしたり、踊ってくれたらって。最近はそういう方向に変わってきて、ライブも変わってきてるのかなぁって。「こうして欲しい」っていう自分の気持ちももちろん大事に持ちつつではあるけども、お客さんには自由に捉えてもらって楽しんでもらうというのが少しずつ最近……分かってきたので。もしかしたらそれが、太佑さんのライブに感じる“置いていかない”感覚であったり、太佑さんが言っていた“一緒の船に乗る”という話になっていくのかなと思いながら。自分はどういう手段でやれるのかな……というのを、考えていけるお話だったなと思ってます。ありがとうございます。
稲村:もしも何か、響くところがあったら。
山岡:メチャクチャ響きました。それこそ太佑さんは対バンとの関わりもすごく大切にされてると思ってて。対バンと上手く絡み合うような感覚(笑)っていうのを真似しようとは思うんですよ。太佑さんのイベントの作り方って、対バン相手にもお客さんにも愛を感じるんですよね。できるようでできない、愛のある絡み合いと言うか(笑)。そういうのはどうやったらできるんだろう? って。
稲村:僕的にも生まれてからこうだったっていうわけではなくて、東京のライブとかでお客さんを1人とか2人しか呼べない時期に、神戸のライブハウスの店長が「とりあえず対バンをちゃんとリハから見て挨拶して一緒に酒飲んでみ」って。それでその人が仲間になったらまた会うかもしれないし、それを積み重ねていったら仲間が増えていくから、って。それで最初に対バンを全部見ようと決めた日に、リハで見た対バンが30分なんて見てられないぐらい下手くそって言うのかな、ものすごく変なバンドだったのよ。でも「むしろこれは楽しいヤツかもしれへん」っていう目で見たら、今でもそのときのライブを覚えてんねん。
山岡:おぉー!
稲村:そのとき、「うわー、コイツらしょうもな」って思ってたら1個の記憶が無くなってるわけやし、そのときに神様に試された気がしてるの。コイツらしょうもないな、って思って見るのは誰でもできる、自分と違うものがある時点で人って「しょうもない」って思ってしまうもんやから。自分よりカッコ良すぎたらキャパがオーバーして自分に必要ないと思ったり、閉ざしてしまって見いひんっていうこともできる。逆に言うと、しんどいと思う音楽でも聴いて「ここが良かった」って言えたら勝ちやなと思って。
山岡:うん、なるほどですね。
稲村:そうやって考えたら、人の悪いところなんていっぱい見つかるけど、良いところを見つけていけば、何気ない良さを拾ってあげられる。それがやっぱり、人を喜ばせたり笑顔になってくれる。そんで心を開いてくれたり、仲間になってくれたりもする。神様に試してもらえたおかげで「エェとこ見つけられたらオモロいな」って気づくことができた。人はしんどいとこだらけやから(笑)。
山岡:自分の中でも繋がるところがありました。自分自身をも否定したりしがちなんですけど、良いところを摘みながら「この人のここがすごいな」って思うことをブラッシュアップしていくと、自分のライブもより良くなっていくのかなと。話を聞きながら受け取ってました。
稲村:うん、うん。そうだね。僕みたいな考えの人もいる、っていう一つの例として受け取ってもらえたら、と思います。
山岡:僕も弾き語りのときはリハーサルから対バンの方も全部見て、空気を作っていくというのを意識しながらやってはいます。最近は若いバンドと一緒になると打ち上げで関わることが少なかったりして話ができなくて、寂しい気持ちもあるんですけど(笑)。
稲村:変わっていくことに対しては受け入れないといけないし、音楽で言うなら例えば昔は軍歌を聴いてテンションが上がってたわけやんか。でも今、僕らが聴いても「古~っ!」としか思わへんし、感覚というものも変わっていく。否定できひんし否定することも良くないし、そういうもんやと思っていけば良いなと思ってて。だから結局、どんなことでも“良いことを見つけていく”ほうが話が早い。それだけやね。