今年、歌舞伎町へ移転して25周年を迎えた老舗ライブハウス・新宿LOFTが『新宿ロフト野音フェアウェルパーティ 〜さよなら、ありがとう野音』を来たる12月8日(日)に日比谷公園大音楽堂で開催する。出演は、氣志團と柳家睦&THE RAT BONES。MCにピン芸人のまちゃまちゃを迎え、ザ・シスターズハイ、レイラ、the myeahnsの3組がハーフタイムアクトとして出演する。老朽化のため改修整備される現・野音での最後の新宿LOFT主催ライブとなる。
その開催1週間前となる12月1日(日)、下北沢のライブバー・演家 -SHITORAYA- の柿落とし公演に出演する綾小路 翔を柳家睦が訪ね、リハーサルの合間に急遽対談が実現。"路地裏のシルク・ドゥ・ソレイユ"と"シンナーを吸い過ぎたサザンオールスターズ"の顔役二人に現行最後の野音ライブ開催へ向けて意気込みを語り合ってもらった。(Photo:ニイミココロ / Interview:椎名宗之)
両者の出会いはジュノンボーイ・コンテスト?!
──共演は今回が初ですか。
翔:イベントで何度か共演してますね。
──これまでに接点は?
睦:確かあれは…ジュノンボーイのコンテストだっけ?
翔:ああ、そうでしたね!(笑)
睦:綾小路君は木更津代表、俺は湯河原代表で予選を通過して。
翔:決勝で競い合いまして。お互いグランプリには届かなかったんですけど(笑)。
睦:どれだけ田舎モンかの競い合いで(笑)。
──つかみはOKです(笑)。今回は新宿LOFTの主催イベントなんですが、お二人とも小滝橋通りにあった旧LOFTのほうが馴染み深い世代ですよね?
翔:僕は旧LOFTに通っていた最後の世代なんですけど、出たことはなくて。ウチのメンバーの中で旧LOFTに出られたのは二人くらいかな。みんな別のバンドで。
睦:俺は3回くらいかな、旧LOFTでやったのは。当時のLOFTはサイコビリーのバンドをあまり出させてくれなかったから接点がなかった。
──じゃあ歌舞伎町へ移転したLOFTのほうが馴染みはありました?
睦:いや、下北や高円寺ばっかだった。あとはライブハウスじゃなくてクラブだったね。
翔:僕が初めてBATTLE OF NINJAMANZを観たのは251でした。あと、渋谷のGIG-ANTICでも観たかな。
──氣志團が90年代末に頭角を現してきたとき、睦さんも衝撃を受けましたか。
睦:そりゃ受けるでしょって感じで。聞けば木更津の出身っていうから、あの集団の中から出てきたのか?! と驚いて。当時、綾小路君の先輩たちがまるで集団就職みたいに大量に『BILLYS WEEKENDER』(90年代から2000年代中期まで行なわれていた下北沢のサイコビリー、アウトロー・ロカビリー系イベント)へやって来ててさ。
翔:仲間十何人とかで先輩たちの車に乗せてもらって『BILLYS WEEKENDER』を観に行って、その感覚を木更津へ持ち帰って少し間違えて解釈したイベントをやったりして。ただ暴力を振るいに来るだけの先輩たちが押しかけて、ど突きど突かれるパンチ合戦になったり(笑)。当時の僕らにはとにかくサイコビリーが衝撃で、暴走族よりも刺激的でパンクよりもさらにお洒落で、自由度が高かったんです。解釈も自由だったから、どこまでがサイコビリーでどこからがサイコビリーじゃないかのルールが良い意味で曖昧でした。だからこそ勝手な解釈ができて面白かったんですけど、木更津ではサイコビリーのことをよく知らないのにサイコ刈りする高校生が異常に増えたんです(笑)。
睦:俺が氣志團を最初に観たのは多分、新宿のCLUB WIREでやってた『SEARCH & DESTROY』だよ。噂にはなってたんだけど、だんだん人気が出てきてるから出てくれねぇんじゃねぇの? みたいな話の頃に出るってことで。それが氣志團を知って1年くらいじゃなかったかな。
翔:2000年くらいの話ですかね。きっかけは『DOLL』だったんですよ。当時は『DOLL』に載るのが一番の夢だったんですけど、どうやれば出られるのかがわからない。雷矢の(田中)信二さんがウチの(白鳥)雪之丞と仲が良くて、われわれのCDが初めて出るってときに「じゃあ聞いといてあげるよ」って言ってくれたんです。で、完全に自作自演のインタビュー記事と写真を自分たちで用意して。それを読んだGIGØLO13のゲン・ザ・ジゴロック先輩や『LONDON NITE』のDJをやっていたYOICHIROがある日突然、僕たちがライブをやる渋谷屋根裏の楽屋へ現れたんです。「われわれは『東京サイコビリー』の者だ」と。何事かと思ったんですけど、「結論から言うと君たちは合格だ!」と唐突に言われて(笑)。
睦:その『DOLL』の記事が「夜露死苦機械犬(よろしくメカドッグ)」だの「ジョニー大倉、お蔵入り」だのいちいち面白くてね。完全に俺らの世代のギャグだから、ゲン・ザ・ジゴロックと「こいつらいくつだよ?!」なんて話して。あの文面は衝撃だったね。
旧新宿LOFTでライブをタダで観る方法
翔:睦さんが初めてLOFTへ行ったのはいつですか?
睦:MAD SINの初来日(註:1997年12月12日、13日。BATTLE OF NINJAMANZが旧LOFTに初めて出演したのもこの日だった)。俺はいわゆるライブハウス・シーンみたいなものが嫌いで、クラブで遊んでるほうが好きだった。クラブのほうが女の子も可愛かったから(笑)。バンドもブームが過ぎて全体的に落ち目だったし、クラブのほうがたとえばスキンズ上がりのヒップホップの人とか考えられないような人たちがいて面白かった。それでもLOFTや目黒の鹿鳴館くらいは名前を知ってたけど、憧れみたいなものはなかった。
翔:僕がLOFTで最初に観たのは誰だったかなあ…。行ってる回数はANTIKNOCKのほうが多かったんですよ。LOFTはニューロティカをよく観に行ってて、クリスマスもニューロティカを観て過ごすなんてことがありました。東京に出てきてからは雷矢やBLIND JUSTICE(envyの前身バンド)あたりをよく観に行ったりして。雪之丞がやってたバンドが来日したTHE BUSINESSと対バンしたときに初めて楽屋の中を覗いて「こんなに狭いんだ!」とびっくりしたり、中学生の頃から東京へ行けば訳もなくLOFTの前へ行って何をやってるか確認したり、LOFTはとにかく憧れでしたね。小滝橋の旧LOFTに出るのが間に合わなかったのがいまだに悔しいですよ。
睦:BLIND JUSTICEとか懐かしい。LOFTに関しては同世代みたいなもんだよね。何だっけ、あのハードコア系のレーベル。
翔:H.G. Factとか、Snuffy Smileとか。
睦:そうそう。そういうのがよくLOFTで企画をやってて、楽屋のほうから入ると無料で観れるっていうのを知って(笑)。まずダイヴしてフロアへ入って、なんだ簡単じゃん! なんて思って。楽屋の入口にLOFTの関係者がいると入りづらいんだけど(笑)。
翔:こっちは当然普通にチケットを買って観てましたけど、あれは一体どういうシステムなのかと思ってましたよ(笑)。先輩たちがぞろぞろ舞台袖から現れて、アンプの後ろで酒を飲んだりタバコを吸いながら観てたので(笑)。
睦:ステージに50人くらいいるみたいなね(笑)。
──今も印象に残る野音のライブというと?
睦:ザ・モッズ。雨じゃないやつ。雨の後の2回目くらいだったのかな(1986年5月)。「TWO PUNKS」を唄ってくれない時期でさ。3回目の野音(1993年4月)で「TWO PUNKS」を唄って、唄うんだ?! と思った。それくらいかな。
翔:僕はモッズやブルーハーツの野音を映像でしか見たことがなくて、自分もいつか野音のステージに立ちたいと思ったのはKENZI & THE TRIPS(第一期)が野音でやった解散ライブですね(1989年9月)。それもビデオ(『GOOD LUCK』)だったけど擦り切れるくらい見て、この場所で絶対にライブをやらなきゃいけないと思いました。自分たちが初めて野音でライブをやったとき(2002年10月に行なわれた『氣志團現象IV 完結編~房総与太郎行進曲~』)は自分たちが印象に残ってる野音のいろんなライブをオマージュとして全部のせでやりました。X JAPANがCO2を噴射しながら登場するのをマネたり、尾崎豊ばりにダイヴしてみたりとか(笑)。誰かのマネをしてみたいだけっていう、やってることはずっと一緒ですね(笑)。
睦:野音の近所にさ、あの日焼けしてるコックさんの店があるんだっけ?
翔:「たいめいけん」ですか?(笑) まあ、そばっちゃそばですね。
睦:知り合いじゃない?
翔:知り合いじゃないです(笑)。
睦:ちょっとオムレツでも作りに来てくれないかと思っただけなんだけど(笑)。