11月18日(土)に開催される『10周年だよ!ガワラまつり』は、2人組のスーパーJポップユニット・ONIGAWARAの結成10周年を祝うアニバーサリー公演。昼と夜で全く異なる二部制のイベントで、第一部ではONIGAWARAが楽曲提供等をしているアイドルと共に、第二部ではONIGAWARA結成前のバンド・竹内電気の時代の盟友バンド仲間と共にONIGAWARAとしてステージに立つ。開催を前にしたインタビューで改めて、現在はONIGAWARAとして斉藤伸也・竹内サティフォ両名が歩んできた音楽でのあしあとを振り返る時間にもなったし、この日のイベントではそれを実際に音で感じることができる一日となるだろう。さてそんな『10周年だよ!ガワラまつり』のチケットは第一部が残りわずか、第二部はソールドアウトとのこと。このインタビューを読んだら今後、ペンライトを振りにアナタもONIGAWARAのライブに行きたくなるはず!(Interview:高橋ちえ)
ONIGAWARAのライブは、更地の状態から作り上げていった
──早速ですがオフィシャルサイトのお2人の紹介は、ここ最近で一番笑ったぐらいに面白いプロフィールでした!
竹内:2019年にそれまで所属していた事務所から独立してフリーランスになったとき、2人でプロフィールを考えた…気がするね?
斉藤:どんな文章でしたっけ?
──たとえば、斉藤さんは“13歳ごろなぜかエレキギターを手にし、28歳ごろ、置く”…置く、とわざわざ書いていたり(一同笑)、おそらくその文章を受けて竹内さんは“28歳ごろ、HOTEI MODELを手にし、現在はTC-HOTEI 25th Anniversaryの所持者の1人である”とか。
竹内:これは世界で250本しかないギターなんですよ。
斉藤:確か、京都にいるコレクターから買ったんだよな?
竹内:そう。もう現行では売ってないモデルなので、探して。(柄の)白い線がさらに金で縁取られてて、ギターヘッドには“25th Anniversary”って書いてあって。
──オフィシャルでアップされているライブ動画を見てもこのギターがステージに置いてありますし、普段もこのギターを弾いておられて?
竹内:もちろんそうです、ライブでもガンガン弾いてます。
──遡って、2013年に竹内電気が解散してからお2人がONIGAWARAとして活動する方向に向かったのは?
斉藤:事故ですよ(笑)。竹内電気が解散することになって、竹内から“何かやりたい”って誘われて(補足:斉藤は2011年の時点で竹内電気を脱退している)。でも俺はそのとき、愛知県で仕事をしてたし一旦断って。でもその後、俺がどうしても仕事が嫌になって“一緒にやるわ!”って竹内に言って、上京してきたっていう。(愛知を拠点に活動していた)竹内電気も、俺が抜けるタイミングで他のメンバーが上京してて。
竹内:俺の中では、音楽をやめるっていう選択肢はずーっとなくて。斉藤が辞めるときも、バンドがどうなるのかな、とは思ったけど“俺、東京に1回行きたいから行くわ”って言ったら(他のメンバーも)行く、っていう感じになって。上京したんだけど結局解散することになって、でも俺は音楽をやめるつもりはなかったから。それで斉藤が空いてるはずだし1回誘ってみようと声をかけたら“仕事あるし、やらない”って言われて、俺1人で弾き語りをやったりとか音楽を続けてたら斉藤が“東京行くわ”って言うから、“どうぞ”って。
斉藤:だから竹内電気が解散して3カ月ぐらいでONIGAWARAが始動したのかな。
竹内:5月に解散して、8月31日にONIGAWARAを始めたからね。
斉藤:面倒くさいことに実は、ONIGAWARAというものがそれ以前からあったんですよ。2011年ぐらいから2人で遊びで、この名前でやってて。
──斉藤さんは竹内電気を脱退後、音楽からはすっかり距離を置くつもりだったのでしょうか?
斉藤:何かをやりたいとは思っても、放っとかれると俺は何もやらないんで。もともと、全てにおいてやる気のある人間ではないので(笑)、引っ張ってくれたり声をかけてくれる人がいないと多分、何もやらなかったと思う。たまたま竹内が声をかけてくれて一旦断ったけど、“もう1回やりたいって言えば、アイツもいいって言うだろう”って(笑)。
竹内:俺はずうっと、もったいないと思ってたんで。こんなにできるのに、音楽を何もやってないっていうことが。
──話を戻して、“2011年頃に遊びで”スタートしたときから今のONIGAWARAサウンドに繋がる原型はできていたのでしょうか?
竹内:そんなに遠くは…ないですね。
斉藤:この間、久しぶりに聴いたらクソしょぼかったですけどね(笑)。今はもうちょっと、ちゃんとできます。
──そして現在は、竹内さんが“主に歌とギター、作詞、作曲を手がけ、アレンジは相方に丸投げしている”とプロフィールにはありますが、2013年からこの形で楽曲制作をされて?
竹内:基本的にはそうですね。斉藤が詞と曲を書くときもあるんですけど、俺はアレンジが本当に全くできないので完全に任せちゃってますね。
斉藤:分量的には(竹内が制作の割合が)5分の4、俺が5分の1ぐらいですね。
竹内:いや、それは半々でいいんじゃない(笑)。
──斉藤さんは”主にONIGAWARAの楽曲アレンジメント、コーラス、合いの手、ガヤ、ダンスなどを担当”で。
斉藤:発足当初から、何をやるとか全く決めてなくて。最初は正直、ステージに立つつもりもなかったんですよね。曲だけ作って発表してやっていけたら良いね、っていう感じで曲を作ってたんですけど、“ライブ、やってみない?”って言われたことがあって。何やりゃいいんだよ、って思いつつも断れないほうなんで、“やります”って言って。ステージ上で俺らは何をすれば良いんだ…って、ね(笑)。
竹内:俺も最初はステージでギターを弾いてなくて、ただ持ってるだけで。
斉藤:(アンプに)繋いではいない(笑)。
竹内:カラオケで曲を出してね、最初の頃はもう何をやっていたか記憶がないです(笑)。
斉藤:(2人で)歌だけ歌ってましたね、マジで更地の状態から始めたんで。ダンスも踊れないし、カラオケに乗せて歌を歌うだけ、みたいな。それで曲のキメに合わせて身振り手振りをするだけで、衣装もあるんだかないんだかよく分かんないし。そこから1個ずつ、こうしようこうしよう、っていうのを足していって。
竹内:自分らの音を出そう、振り付けを作ろう、衣装もちゃんとしたのを揃えよう、って。
斉藤:始めて1年ぐらい経ってから、ダンスの先生が知り合いにいたので“俺らでも踊れる簡単な振り付けを作ってくれないか”ってお願いして。ギターも当てぶりだったけど“やっぱりギターを弾いてないとつまんねーな”って、カラオケからギターの音を抜いてギターは弾いて。
竹内:ギターは音が出てないと楽しくないもんね。
斉藤:本当にね、1個1個(積み重ねて)、今の形になったのは2014〜15年ぐらいですかね。前例がないと言うか、2人でステージに出てカラオケに乗せてライブハウスでやるという人間を見たことがなかったんで。
竹内:ラッパーとかでもなければ(笑)。
斉藤:その当時、アイドルとかがライブハウスでやり始めたぐらいで、男性だったらなお少ない時期だったと思うし。
竹内:ちょうど過渡期でね。ザ・リーサルウェポンズとかの形は近いかもだけどね。俺らは、(TVの)『ミュージックステーション』でCHAGE and ASKAが歌うのをイメージしてたんだよね(一同笑)。
斉藤:“バックバンドなしで2人で出てきてやるのが良いよね”って真顔で話してました。ノートPCを持ってきて(サウンドを)ポン出ししながらマイクで歌う人とかはいたんですけど、チャゲアスはポン出ししないじゃないですか。だから頑なにCD-Rを渡して音響さんに音を流してもらって、ステージ上は俺たちだけっていうスタイルに落ち着きましたね。それでどこか、“これは何とかなるな”って思ったタイミングがあったんですよ。
竹内:いろんな曲もできてきて、ライブも盛り上がるじゃん! って思ったんだよね。
斉藤:最初の頃はもうちょっとバンド寄りと言うか、ロックっぽい曲も多かったんですけどね。
竹内:そう、だからエンタメ性がなかったし、お客さんを盛り上げようみたいな気持ちもなかった。でもアイドルさんたちと一緒にやるようになっていって、ファンの熱量とかを感じてきて2014年の後半にはライブ向けの楽曲が増えて、ライブも盛り上がるようになって。
斉藤:だったら踊るか! みたいな話にもなっていって。それが30(歳)手前ぐらいのときだね。
──ギターを置いてダンスに行くというチャレンジは面白く感じましたか?
斉藤:今も全然踊れないんですけど(笑)、当時はそうしていく他なかったと言うか。ライブで盛り上がる、みんなで楽しめるという延長なんだと思います。コール&レスポンスの入った楽曲とかダンスビートの曲が増えると振り付けがあったほうが良いよね、ってどんどん膨らんでいった感じ、ですかね。
──音楽シーンを全体を見回しても、なかなかいないような2人組ではないかと思います。
斉藤:いないことはないんでしょうけど、こういう人たちに会ったことはないですね。
竹内:唯一無二になりたいわけでもないし、気づいたら周りに誰もいなかった感じですかね(一同笑)。
斉藤:細っそいけもの道を作ってきたけど、後ろを見でも誰もいないっていう。
竹内:でも別にそれでいいって感じですね(笑)。