今、やらなくてはいけないこと
内藤:初めて一緒に曲を作ったときから考えると、もう3、4年も経つね。
成宮:内藤さんのMCで印象に残っている言葉があってたびたび思い出すんです。「僕は自分の感受性をつらく思ったことがない」って。こんなに繊細な音楽を作るのに、感受性をつらく思わないというアンビバレントな感じに驚きました。
内藤:本人としては別に自分が優しいとは思っていないんだけど、アウトプットした音楽ってなんだか優しそうな印象になるみたいなんだよね。
成宮:そのバランスを保ったまま制作に向かえるのは理想形に思えます。
内藤:「君はその感性があるから尊いんだよ」とか言われたことがないし、誰かが感受性を評価してくれることもなかったし、自分の中だけで対峙していれば済むことだったからかな。“この旗を建てなければ生きていけない”っていう位置ではなくて、生活の温度のようなものだったと思う。
成宮:内部に秘めているもの、かな。わたしは作っているものと自分自身は切り離したいので、書いた詩そのものみたいなイメージを他人から持たれると違和感があります。確かに自分の一部ではあるけれど、すべてではないから。特に内藤さんとクロダさん(※クロダセイイチ/Genius P.J's)と制作をするようになってからは、より切り離せたかなと思います。
内藤:それはすごく向いていることのように思うな。聞き手は詩こそが成宮さんから見えている世界だと思うかもしれないけれど、切り離したほうが鋭くソリッドに書ける気がする。この先も制作を続けていったら、もっと離れていくものだと思うよ。過去や自分の中にあるものからの引用ではなくて、きっと違うものを作るんだろうなって思う。
成宮:以前は、「自分の作ったものは自分のすべてなので、同じ気持ちの人はわたしでよければ委ねてもらってかまいません、すべて一緒に考えましょう」と思っていたけれど、それは今後も継続していくには誠実じゃないなと気づいたんです。それぞれがいつか自分で生きていかなくはいけない。そう思うと、自分自身を書くのではなくて現実を書くことや、歌詞提供をして人へダイレクトに当て書きをするのはとても健康的に感じています。
内藤重人
内藤:ものすごく向いているんだろうね。最近、楽はしたくないなって思う気持ちがあるんだ。なじみ深いテンポ、コード進行、使う音源に甘えるようにはなりたくないなって。違うものにトライしてみたいなって気持ちがある。成宮さんの得意そうな音はなんとなく察するし、好きな感じとかコード感とか絶対あると思うんだけど、不得意な曲にトライしてみることで広がることも多いだろうね。
成宮:選びがちなニュアンスってありますよね。わたしも、以前はもうちょっと朗読にも猶予がある音楽をしていたはずなんですけど、最近は流れるようにたくさん言葉を詰め込んでいます。内藤さんにピアノを弾いてもらって制作した「ノンフィクション」なんて一回言葉が詰まったら終わるので緊張感があります。
内藤:「ノンフィクション」めっちゃいいけどね。詩が良いんですよ、本当に。
成宮:嬉しい。あれはコロナ渦に書いていた日記から膨らませました。24時間あいている喫茶店で知らない人が怒られていたり、駅のホームで人身事故があったときに変なWi-Fiを拾っちゃって「わたしは大丈夫だよ」って送れなくなったり、いつもピリピリした世界だった。
内藤:未来を焦るわけではないけど、俺は生き急いじゃうから一番手前にあるやらなきゃいけないものを取りがちなんだ。もうちょっと器が大きくなれたらいいのになって思う。それを無理に取らなくてもいいんだよと言ってあげたかったりもするし、もう少し頑張って遠くに手を伸ばしてもいいんだよとも言ってあげたい。そういうところで成宮さんともまた道が交わるといいなと思っています。
成宮:わたしは生き急がなくなってきたら、逆に着地点が分からなくなりました。永遠に完成しないものを作っている気持ちです。ずっと同じ色を塗り続けても満足しなくて、キャンパスが厚み3センチになってるようなイメージ。
内藤:自分自身が持っているものとお別れはできないから、そこに足していく行為ができたらいいんじゃないかな。なにか足せばもともとあったものが薄くなるかもしれないけれど、それくらいでしか人は変わることができないかもしれない。『PALE』ツアーで、この曲はどうやってライブで再現したらいいのかまだ悩んでいます(笑)。