変わり映えのないことかもしれないけど、歌を作るのは常に新しい
──FOOLSのメンバーと交流もあったんですか。
マモル:(川田)良さんには個人的に東中野の家によく呼ばれた。夜中なのに面倒くせえなと思ったけど(笑)、いろんな音楽を教えてもらったね。「マイルス・デイヴィスって知ってるか?」「知りません」「バカヤロー!」「何を聴いたらいいんですかね?」「そんなの自分で調べろ!」なんてやり取りをしたり。そんなふうにかわいがってもらってた。FOOLから教わったことは台本を決めずにライブをやることから始まって、実はグレリチの「牛乳&タバコ」(EP『Golden Hits』収録、1986年10月発表)の曲作りもそうだったんだよね。途中まで曲作りをしてたんだけど、あとはもう適当にやろうと。やったことないけどインプロビゼーションにしちゃおうとか(笑)。それで途中のパートができたんだけど、それは完全にFOOLSの影響だった。ここからどう展開する? ってときにスタジオのその場のノリで決めるっていう。そうやって事前に決め込まないほうが自分でも面白かったし、その場で即興で進めていくのがロックンロールの源流なんだなと思ったね。いい意味でも悪い意味でもいい加減にやるっていうことを、弱冠20歳の僕はFOOLSから教わった。
──でもその“いい加減”というのが一番難しいですよね。
マモル:そうなんだよ。FOOLSのライブってハズすときは酷いんだけど(笑)、いいときは外タレみたいでホントに凄かった。一番身近で参考になったバンドだったね。人間形成って言葉があるようにバンド形成っていうのも実際あって、20歳の頃って言えばまだ高校のときに遊びでバンドをやってたことの延長だった。バンドをどう進めていけばいいかわからない模索の時期にFOOLSのライブを見れたのはラッキーだったし、いま思えば彼らが指針になってくれたところがあった。僕はけっこう極端な性格でさ、それまでかっちりやってたのを急にその反対側へ振り切りたくなる。それで何も考えずにいい加減にやってみたら凄く楽しかったってだけの話なんだけど。
──即興の極みと言うか、インプロビゼーションの極限まで突き詰めたのがグレイトリッチーズの活動末期でしたよね。
マモル:そうそう。最後は行き着く所まで行ってしまって、即興は僕の中でもういいかなと思った。
──その反動でMAMORU & The DAViESのようなフォーマットが生まれるわけですから、まるで振り子の法則みたいですね。
マモル:確かにね。グレリチが解散したあとにまたちゃんと曲を作ろうと思って、3分で収まるロックンロールをやることにしたから。FOOLSに影響を受けた即興性が行き着く所まで行っちゃったからこそ今があるんだと思う。
──次なるオリジナル作品は、今回の「命の次にロックンロール」を軸にしたものになりそうですか。
マモル:軸になるかどうかはわからないけど、「命の次にロックンロール」を収録したアルバムを作ろうと思ってる。まだこれから曲を作らなきゃいけないけど、頭の中ではだいたいできてるんだよね。それを形にして、早く発表できたらいいんだけど。
──前作『いかすぜライブハウス』が2020年8月発表の作品ですから、コロナ禍以降、3年以上にわたってマモルさんが感じたこと、心象風景みたいなものがテーマになりそうですね。
マモル:そうかもしれないね。僕の場合、自分が生きて感じてきたものがアルバムごとにインプットされてるし、歌詞に直接出なくても、自分がその都度感じたこと、見てきたことが反映されてるから。今さら唄いたいことなんて特にないし、唄ってるのは変わり映えのしないことかもしれないけど、僕の中で歌を作ることは常に新しいことでさ。それがどんな言葉となって出てくるのかを今は模索してるけど、自分でも楽しみなんだよ。また「ヘタレのパンクロッカー」の“ヘタレ”みたいにヘンな言葉が出てくるかもしれないし、どうなるかはわからない。でもそれが楽しい。
──以前、野茂英雄と江夏豊をモデルにして「百戦錬磨のオトコ」を書き上げたように、今度は大谷翔平をモデルにした曲を書けそうじゃないですか?
マモル:「百戦錬磨のオトコ」を書いた頃はホントに野球にハマっててさ。自分で野球チームを作ってたし、金を貯めてLAまでドジャースの試合を見に行こうと真剣に考えてたからね。野茂モデルのスパイクまで買って、あのときはどうかしてた(笑)。今はそこまで野球に夢中ではないけど、このあいだのWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は見て楽しかったし、久々にスポーツの良さを実感できた。2年前の東京オリンピックが自分の中で納得できないものだったから。スポーツってやっぱりいいなと素直に思えたのは、WBCの日本代表メンバーのおかげかな。WBCだってきっとドス黒い部分はあるんだろうけど、ドス黒さを吹っ飛ばすくらいのエネルギーが日本代表の選手たちにはあったんだろうね。
──日本経済はずっと低成長なのに物価高騰が続き、貧困層と富裕層の両極化は進むばかりで、軍備拡張を国民に負担させ、差別横行や人権無視を助長させる政権がそれでも支持を得る昨今なので、皮肉にもマモルさんの歌がますます生まれやすい状況にある気がしますが、いかがですか。
マモル:まあね。僕の場合は直接的じゃなく、柔らかいフィルターを通した表現にはなるだろうし、ストレートなメッセージではないけどさ。唄いたいテーマが増えるのがいいことなのかどうかわからないけど、まあやるしかないよね。世の中のフィルターを通して自分がどんな発信をしていくのかは僕自身面白いから。
──自分の心身や感性が現世のリトマス試験紙みたいだと思ったりしませんか。
マモル:僕のやりたいロックンロールって本来そういうものだったんだと思う。40年こんなことを続けていたらそんなことに気づけたって言うかさ。自分では意図しないところで「命の次にロックンロール」という曲が出てきちゃうっていうのが自分のやってきたことの積み重ねなんだろうね。なんでこんな言葉が出てきちゃうんだろう? と自分でも思うし、曲も3コードに毛の生えただけの簡単なものばかりなんだけど、でもそれでいいんだよなって思っちゃう。大好きなビートルズみたいなテイストの曲ももっとやりたいけど、スパッと出てくるのは「ヘタレのパンクロッカー」みたいな曲なんだよ(笑)。どれもほぼ鼻歌の延長なんだよね。それをちゃんと録音して、人に聴いてもらえるような形で出すだけっていう。
──偶然は必然なのかもしれないし、神のみぞ知るですよね。今回の7インチのジャケットが拡声器なのも必然だったのかもしれませんし。
マモル:ジャケットの絵はいつも頭に浮かんだものをらくがきみたいにメモ用紙に描いててね。今回は最初に描いたのが拡声器で、人が踊ってるところまで描き込んでいて、ああこれでいいやと軽いノリで決めた。だいたいが思いつきだし、深いところまで考えない。僕ももう60歳になるし、もうそれでいいんじゃないかと思って。いちいち深く考える時間も反省する暇もないし(笑)、ここまで来たらあとはただ楽しいことだけやって暮らしていきたいよね。