事件の真相に近づきたい、その決意表明の場
──群馬県出身のヤジマさんが同志社大学に進学した流れで関西でバンドを始め、今はお姉さんが勤務されていた西成に毎月出向くなど、関西圏とはよほど縁があるんでしょうね。
ヤジマX:姉は昔からよく海外へ行っていたんです。ネパールとかインドとか、貧困支援のために医者としての自分の腕を活かしたいということで。当初はそうした海外で活動するつもりだったのが、西成という差別や貧困が横行した地域を知り、自分はここで頑張らなくちゃいけないと思ったみたいです。
──ご両親も医師なんですよね。
ヤジマX:はい。
──お姉さんは昔から弱者の傍に寄り添うような、正義感の強い方だったんですか。
ヤジマX:正義感はめちゃめちゃ強かったですね。中学生のとき、同級生をいじめた先生に対して猛烈に抗議したという話も聞きましたし。
──ヤジマさんがお姉さんから影響を受けたところはありますか。
ヤジマX:どうだろう。医者になるくらいだから勉強が凄くできたので、勉強はよく教わりましたけどね。僕にとってはとても優しい姉でした。モーモールルギャバンのライブにもよく来てくれましたし。僕らのライブを見ると元気が出ると言ってくれました。
──お姉さんから言われたことでよく覚えている言葉はありますか。
ヤジマX:「剛、息がくさいよ」って(笑)。中学2年とか一番多感な時期に言われたので、それから念入りに歯を磨くようになりました(笑)。僕にとっては母親に近いというか、特に何も言わずに見守っていてくれる、ただただ優しい姉でした。関西で活動していたので時間があればライブを見に来てくれたし、差し入れをくれたり、たまに小遣いをくれたりして。僕が26、7の頃かな。バンドが忙しくなってきつつ、でもバイトしないと生活ができなかった頃。
──お姉さんの晩年にやり取りしたことでよく覚えていることは?
ヤジマX:ちょくちょく会ってましたからね。あとで出てきた手帳を見たら、あの頃はこんな大変な状況だったんだ…と思ったりもしました。姉が亡くなった後に知って凄いびっくりしたことが多々ありました。弟には心配をかけたくなかったからなのか、大変な素振りは一切見せなかったんです。でも、手帳に「私は殺されるかもしれない」くらいのことを書いていたし、身の危険を感じていたようです。
▲大阪市西成区の木津川、千本松渡船場にて
──イベント当日は毎月配布されているビラも設置されるそうですが、どんな内容なんですか。
ヤジマX:毎月中身を変えていて、事件に対して思いのある人にいろいろと自由に書いてもらっています。
──モーモールルギャバンのファンの人たちもビラ配りの手伝いをされているんですか。
ヤジマX:たまに手伝ってくれる人もいますけど、基本的にウチのバンドのファンは触れちゃいけないことなのかな…みたいな雰囲気が未だにあります。ただ年に一度、姉の月命日の週の土日のどちらかに『さっちゃんの集い』という催しをやっていて、そこにファンの方が来てくださることはありますね。
御坊:そういう催しやビラ配りもそうだし、こうしてイベントを開くことで僕みたいに事件に関心を持つ人が増えると思うんです。ヤジマさんの力になりたいという人が増えて、多くの人が事件を知れば状況が変わるはずですよね。
ヤジマX:とてもありがたいことです。さっきも話しましたけど、YouTuberの方々が事件について触れてくださることで風向きも変わりつつありますし。
──YouTubeというメディアにはつくづく翻弄されてしまいますね。
ヤジマX:はい、非常に振り回されてます(笑)。
──肝心の音楽活動についても聞かせてください。コロナ禍が今より深刻だった頃からツアーをやり続けていたということは、ここ数年もずっと通常運転だったということですか。
ヤジマX:それでも地方には行けなかったので、通常運転というか、逆に意地になっていた部分もありますね。今はやっとマスク着用なら声出しもOKになりましたが、通常運転に戻りつつあるちょっと前の段階なんだろうな、という認識です。ただ、もともとライブハウスへ来ていた人たちが完全に戻ってきている感じはしませんね。とは言え止まってもいられないし、今年はモーモールルギャバンとしても動きたいとは思っています。おそらく年末になってしまうでしょうけど。
──ロフトプラスワンウエストへお越しくださる方々、このインタビューを読んで事件に関心を持った方々へ最後に一言いただけますか。
ヤジマX:モーモールルギャバンのゲイリー・ビッチェ(ヤジマX)という生き方をしてきた上で、この事件について触れるべきなのか、触れないべきなのか、ずっと手探りしながら今日に至るわけですが、矢島剛という一個人としては、「パンティー泥棒の唄」を唄うのなら(「お姉さん 貴女に興味はないけれど/僕に貴女のパンティーをください」という歌詞がある)姉が亡くなったという事実もありのままに晒していきたい、事件の真相に近づきたいという思いがあるんです。そうした事実のすべてを押し付けるみたいで申し訳ない気持ちもありますけど、よろしければ今回のイベントを通じて事件に関心を持っていただけたら嬉しいです。2009年11月から14年近く、遺族はこの理不尽な出来事と向き合わざるを得なかった流れの中で生きてきて、何が正しくて何が間違っているかは全然分かりませんが、こんな人間ですけれどもよろしければ応援していただければ嬉しいです。そんな思いをこれからもっと出していける決意表明の場を与えてくださった御坊さんを始め、ロフトプラスワンウエストの皆さんに感謝しています。どうかよろしくお願いいたします。