日雇い労働者の街として知られる大阪市西成区釜ケ崎で困窮者の医療支援に尽くし、約14年前に34歳の若さで亡くなった医師・矢島祥子さん。2009年11月14日、勤務先の診療所を出た後に行方知れずとなり、11月16日に市内の千本松渡船場で水死体として発見された。大阪府警察本部は当初、過労による自死と判断したが、首に絞められたような痕があったことなどから家族が他殺であると主張。2012年8月に殺人・死体遺棄事件として告訴状が受理されたものの、現状、残念ながら捜査の進展は見られない。
祥子さんの実弟は、モーモールルギャバンのドラム&ボーカルであり、ソロとしても活動するゲイリー・ビッチェ(ヤジマX)。来たる4月12日(水)、大阪のロフトプラスワンウエストにて『「大阪西成女医不審死事件」を語る夜』が開催され、生のトークライブとしては初めて事件に対する胸中を語ることに。イベント開催を前に、企画立案者である御坊(レズ風俗レズっ娘グループ代表)、MCを務めるケチャップ河合を交えながら、今回のトークライブに出演する経緯や意図などをヤジマXに聞いた。[interview:椎名宗之+小林タクオ(Loft PlusOne West 店長)]
事件のことをオープンに喋ってもいいんだという空気になってくれたら
──今回のイベント出演を決めた経緯から聞かせてください。
ヤジマX:レズ風俗レズっ娘グループ代表の御坊さんから連絡をいただきまして。以前、げるしー(マーガレット廣井±ゲルシー豊田、ベルノバジャムズ、赤いくらげ etc.)というドラマーの誕生日会で御坊さんと初めてお会いしたときに、自分も酔っていたのもあって「実はうちの姉(矢島祥子)が…」と突っ込んだ話をさせてもらって、そのことを御坊さんが覚えていてくださったんです。姉の弟として大阪で毎月ビラを配っていることを定期的にツイートしていることもあり、御坊さんが企画してくださいました。とてもありがたいことです。
──こうしたトークライブに出るのは初めてですか。
ヤジマX:初めてではないです。昔、アーバンギャルドの(松永)天馬くんと一緒にトークをしてその後ライブをやるイベントを新宿のロフトプラスワンでやったことがあります。あと、池袋のアダムで毎日配信で無観客のトークライブをやっていて、それに出たこともありました。でもトークライブはあまり出たことがないし、事件について語るトークライブはこれが初めてです。
──モーモールルギャバンのファンの方には、事件のことは知れ渡っているんですか。
ヤジマX:事務所に所属していた頃は知ってて知らないフリをするみたいな空気があったのが個人的に気持ち悪かったんですけど、事務所はもう抜けているので。今は毎月ビラ配りをしていることを自分のメインのアカウントでツイートするようになりましたが、それをどう手伝えばいいのか、どう共有すればいいのかよく分からないって雰囲気がファンの中にあるのかな? とは感じています。今回、こうしたイベントをやることでファンの人たちが事件について共有しやすくなればいいなというか、このことをオープンに喋ってもいいんだという空気になってくれたらいいなと思いますね。
──モーモールルギャバンがデビューアルバム『野口、久津川で爆死』をリリースした直後に事件が起きたんですよね。
ヤジマX:はい、まさにあのタイミングで。
──その頃は事件のことを公にはできなかったんですか。
ヤジマX:自分のアカウントからの発信は全くしませんでしたけど、テレビの取材がよく来たんです。その取材は事務所に確認することなく受けていました。
──事務所からは事件のことをあまり公言しないようにと言われていたんですか。
ヤジマX:そういうことは一切ありませんでした。姉が亡くなったときも供花を贈っていただきましたし、とても良い事務所でしたから。
──ただ、お祭り騒ぎの異形バンドというイメージと事件とのギャップが拭えないところはありましたよね。
ヤジマX:当時、あの事件がお客さんにどう見えていたのかは分かりませんけど、2ちゃんねるのモーモールルギャバン スレッドでは「この件に関しては触れないほうがいいよな」みたいな流れにはなっていましたね。
──そうした公然の秘密みたいな空気を変えたいと思ったのはいつ頃からですか。
ヤジマX:やっぱり事務所がなくなってからですかね。ゲイリー・ビッチェ(ヤジマX)というTwitterアカウントで気兼ねなく発信できるようになってから、自分が毎月大阪でビラ配りをしていることも伝えられるようになったので。まあ、そうした変化は全然最近の話なんですけど。
──何か具体的なアクションを起こすにも、この3年はコロナ禍もありましたしね。
ヤジマX:でも僕はコロナがしんどい時期でも空気を読まず、めちゃめちゃライブをやっていたんです。地方は全然行ける雰囲気じゃなかったけど、東京、名古屋、大阪、北海道を主にまわりました。その勢いの流れで「ビラを配っているので手伝ってください」というツイートをしていましたね。
▲兄(矢島敏)と共に演奏
──事件解決に向けたアクションとして、他にどんなことをされているんですか。
ヤジマX:僕個人としての活動は毎月、姉の命日である14日にビラを配るのがメインなんですが、兄(矢島敏)が最近、「さっちゃんの聴診器」というCDを出したんです。事件のことを知った作詞家のもず唱平先生(「釜ケ崎人情」などのヒット曲で知られる)が姉に捧げる追悼歌を出さないかと兄に提案してくださったみたいで。もず先生の歌詞に兄が曲を付けて、もず先生の弟子の高橋樺子さんが唄う歌なんです。
──お兄さんもミュージシャンなんですね。
ヤジマX:そうなんです。そもそも僕は兄の影響で音楽を始めたんですよ。