つぶやきシロー氏の著書『私はいったい、何と闘っているのか』が映画化。当たり前の日常を過ごす、普通の家族に起きるドラマを魅力的に描いた本作。誰もが自身の人生の主人公であると感じさせてくれるこの物語の映像化をどのような視点・思いを込めて作られたのかを監督である李闘士男氏に伺いました。
[interview:柏木 聡(LOFT/PLUS ONE)]
ペーソス(哀愁)を感じました
李(闘士男):そうですよね(笑)。
――そこからの後半の怒涛のドラマが素晴らしかったです。(伊澤)律子と昔なにかあったんだろうなというのは匂わせていましが、まさかあんな事とはというドラマ展開で楽しんで観させていただきました。
李:ありがとうございます。
――原作はつぶやきシローさんの同名小説ですが、原作を読まれた際の印象を伺えますか。
李:とても自分にしっくりくる作品でした。それは何故かというと、僕はあまり大きな事件がいっぱい起きるものが好きではないんです。この作品は大きな事件は、ほぼ起こらないじゃないですか。
――本当に普通の日常を描いている作品でした。
李:僕はそういった作品が好きなので、良い作品だなというのが素直な感想です。この伊澤春男に対して凄い共感出来たんです。人は誰でも良い恰好をしたいし、頭の中ではうまくいく妄想をしていますが、実際にはうまくいかないことが多いじゃないですか。そこにペーソス(哀愁)を感じました。まるで、織田作之助さん『夫婦善哉』のような匂いを感じたんです。
――私は吉本新喜劇を観ているような感覚になりました。
李:その感想もわかります。
――出てくる登場人物は全員いい人じゃないですか。そういう意味でも吉本新喜劇のようでした。
李:そこは僕の他の作品にも通底していることです。例えば、伊藤ふみおさんが演じる金城(正志)もひどい男じゃないですか。映画ではそんなに悪い人に見えないように描きました、この人にも何かあるんだろうなと感じられるようにしています。その人なりの正義に寄り添うと悪くならないんです。ただ、物語を作る人間としては、本当は善悪をはっきりさせた方がいいんじゃないかと疑問符を持つこともあります。
――今はこういった日常ドラマに限らず、悪役にもそこに至った経緯があると描くのが普通になので、そういった意味では今のドラマの描き方に合っていると思います。キャラクター付や関係性はどのように構成されていったのですか。
李:例えば、金子(大地)くんが演じた金子や(ファーストサマー)ウイカさんの高井は原作ではこのように描かれていないんです。映画で何故こうなっていったかいうと、それぞれの葛藤を描くためです。金子が最後に起こした行動を彼の1つの大きなポイントとし、あそこに彼の芝居のクライマックスで観たときにそこに至るまでに何が見えていたらいいんだろうと考えたんです。ああいった行動をしなさそうな人がやった方が、葛藤があったんだろうなと彼の心情を伺い知れると思ったんです。なので、体育会系で熱血な最もそういった行動を起こさないだろうと感じるキャラクターになりました。高井もこの子の葛藤は何だろうと考えて作中のキャラクターになりました。「カッコいいと思っているんですか。」とか「自分の事を考えた方がいいですよ。」とか、実は春男のこと好きだったんじゃないだろうかと感じられる。そういった形で登場人物それぞれに葛藤を抱えさせました。
――金子が「伊澤さん、良い人ですね。」と言って春男の決断についていくかと感じさせつつ、最後にああいった行動に出る。でも、あの行動も決して間違ってはいないんですよね。どちらが正しいのかという事も決められない決断でした。
李:人生なんてどちらが正しい・間違っているなんてことは、決められないんです。