久しく見ることができていないぎゅうぎゅうに詰まったライブハウス。そんな情景を浮かべるとき、彼らのライブの記憶が呼び起こされるのではないだろうか。シェルターに数多くの汗と音とカオスを刻み込んできたバンドから、荒井岳史(the band apart)、フルカワユタカ、安野勇太(HAWAIIAN6)のお三方。そんな彼らの背中を追い、昨今では若いシェルタースタッフたちの良きアニキとして慕われている山﨑聖之(CONFVSE)の4人による特別座談会を開催。数々のシェルターでの出会いと思い出を語ってもらった。[interview:川本俊(下北沢SHELTER)]
初めてのシェルター
──初めてシェルターに来た日のことは覚えてますか?
山﨑:俺はCOMEBACK MY DAUGHTERSの1stアルバムのツアーファイナルです。【※2004年8月14日、Spitting Kisses TOUR】
荒井:俺は何だっけな…。多分、古閑さん(KOGA RECORDS社長)仕切りのMIX MARKETのレコ発みたいな…。それが最初だったような気がするんだよな。それに呼んでもらった気がしてて、バンドアパートを。そのときにキャプヘジもシークレットで出ててみたいな、多分それが最初だと思う。【※2001年4月29日 MIX MARKET『fuzzv floor』発売記念ライブ】
フルカワ:俺ね、イースタンユースかなあ。
荒井:お客さんで見に行ったのが?
フルカワ:ソバットかイースタンユースだと思うんだよね。
安野:多分、出たのが昼のオーディションが初めてだと思うんだけど。いつだっけなあ。【※1998年12月12日】
──'98年みたいです。
安野:そうそうそう! それそれ!
荒井:23年前か。
フルカワ:俺が出たのはモーサムトーンベンダーとか髭とか出てた『活火山』というイベント。【※2000年9月20日、VELTPUNCH / MEAT EATERS / 髭 / MO'SOME TONEBENDER / DOPING PANDA】
荒井:イベント名も覚えてるの?
フルカワ:そうそうそう。衝撃だった、モーサムのボーカルの人が。プロってこんなに上手いんだと思って。【※DOPING PANDAのシェルター初ライブはこちらだったようです。1999年8月8日、suitcasetour final&mew maxi-single『I was given time』release party】