自分自身をがんじがらめにしない
クロダ:根岸さんが所属しているバンド・Dr.StrangeLoveのメンバーが、Coccoさんの20周年記念ライブ武道館2DAYSの1日目で演奏されていましたけど、あのときは久しぶりにメンバーが集まったんですか?
根岸:そうですね。ギターは長田とムーンライダーズの白井良明さんでした。良明さんは、Coccoのファーストアルバム『ブーゲンビリア』で結構ギターを弾いてもらってるんですよ。あと、僕はスパイラルライフでベースをやっていました。
クロダ:えっ?! そうだったんですか!
根岸:そうそう、スパイラルライフのファーストとセカンドはほとんど僕がベースを弾いています。『FURTHER ALONG』は「LIFE IS SPIRAL」がL⇔Rの木下裕晴さんで、それ以外は全曲僕です。
クロダ:そうだったんですね、驚きました……! 根岸さんはミュージシャンのほかにプロデューサーとしても活躍をされていますが、ぜひお聞きしたいことがあるんです。僕は、楽曲単位でプロデュースをすることが多いんですけど、「こっちのほうがいいよ」とか、「こういうのはどう?」ってアーティストに提案をするときによく悩むんです。そこがかみ合わないときの葛藤はどうされていますか。
根岸:「これはやだ!」ってはっきり言われちゃうこともありますよね。「これは間違いない」って思うときは何度も説得をしようとするけれど、最近は、「それもありかもな」って思うようになってきたかな。こうじゃなくちゃいけないって自分自身をがんじがらめにしないようにしています。
クロダ:アーティストとして芯が強い=我が強いところは大切だと思うんですけど、相手が無茶なやり方をして作品を作っていると不安になってしまったりやりづらさを感じてしまうこともあって。ただ、お互いが自分のなかに持っている頑固さをぶつけて、完成したものは想定よりも素晴らしいものができたりもするし。
根岸:昔は、ライブでの見せ方まで全部自分で考えたかったし、こういう音楽をこういう感じでやったほうがいいってはっきりイメージをしていました。その分、そこからはずれるとイライラしちゃってたんですよね。最近はもう、「だいたんこんな感じ」っていう漠然としたイメージだけを思うようにしていますね。
クロダ:そう思うようになったのはきっかけがあったんですか?
根岸:自然に、かな。あまり我を張っているとアーティストとうまくいかなくなるし(笑)。他人と疎遠になるときは、自分自身まわりが見えていなくなっている状態のときが多いから。多分ね、ちょっと柔らかいくらいがちょうどいいんですよ。それに自分の意思がない人は、この時代にアルバムを作ろうと考えないはず。レコード会社に頼らずに自分で作ろうとしている人もいる。若い人たちのほうがフレキシブルだし、楽器の演奏能力は昔よりも格段にあがっている。僕が気づかないことにまでたくさん目を向けているんじゃないかって思います。最近は先に若い人の意見を聞いて、そこに自分なりの意見を乗せるようにしてます。今って、吸収しようと思えばいくらでも機会がある時代なんですよ。スクールもあるし、YouTubeもある。みんな情報収集能力が高い。それをちゃんと吸収して自分のものにしている人は、スピード感があるんですよね。
クロダ:そうですね、教本を見なくてもYouTubeでいくらでも勉強できますし。
根岸:僕らの時代はもうちょっとスピードが遅かったから。その分、1曲ずつが強いものだったという自信はあるけど。ただ、そんなことよりもやりたいことはすぐに試して、それがだめだったら次! ってどんどん変わっていける若い人の行動が楽しみだし、僕もそうありたいなって思うんですよ。意地を張っていても楽しくないから。ただ、これまでの音楽をいい感じに今に取り入れると若い子は新鮮に思ってくれるから、自分はそこの橋渡しをしたいです。
クロダ:いろんなアーティストをプロデュースされていますが、「この人は最初から違った」って思うことはありますか?
根岸:やっぱりCoccoは全然違いました。ちょうど沖縄のアクターズスクールからアーティストがたくさん出てきた時代で、Coccoはクラシックバレエをやっていたから、沖縄出身で踊れるっていうからダンスミュージック路線で話しが進んでいたようなんです。でも本人の話しを聞いていると、どうやらダンスミュージックよりもニルヴァーナとかが好きなんじゃないかなって漠然と感じました。歌詞は書いたことがないって言っていたけど、「なんでもいいから思ったことを書いてみて」とお願いをしたら、1ヶ月くらいで分厚いノートにぎっしり歌詞を書いてきて、その中にデビューアルバム『ブーゲンビリア』に収録している「首。」の完全版がありました。すごいじゃん! って思って、デモテープ制作に関わるようになったんです。ビクターとしては、鳴り物入りでデビューをさせたいから僕みたいな無名のプロデューサーじゃなくて有名な人に頼もうとしていたんだけど、Coccoが「ネギが一緒にやらないならデビューしない」って言ってくれて、僕がプロデュースをやることになりました。
クロダ:根岸さんがいろんな現場で音楽を作ってきているし、歌謡曲もやられているなかで、『ブーゲンビリア』ってすごくオルタナっぽい音ですよね。どうしてあのアレンジ方向で行こうと思われたんですか?
根岸:当時の自分の感覚でアレンジしていたら、たまたまああいう音になりました。最初からイメージしていたわけじゃないんですよ。
クロダ:アクターズスクールや小室哲哉さんのサウンドが全盛の時代に、あのオルタナ感は新しかったです。
根岸:当時、確かにああいった手触りの音楽は日本になかったですよね。Coccoのような強い個性とあの声じゃないと、『ブーゲンビリア』は生まれなかったと思います。
クロダ:自分の場合はプロデュースをしているときに、相手のパワーに自分があてられちゃうこともあるんですけど、楽曲と歌詞がリンクしていてすごく衝撃的でした。アーティストをいちばん輝かせるポイントってなんでしょうか。
根岸:ケースバイケースだから本人に会ってみないとわからないけど、例えばその人が前に出していた作品を聴いて、「自分だったらこうしたい」って思ったりする部分かな。その次はどういった曲を出したいのか聴いて、「僕で大丈夫?」って逆に確認するときもあります(笑)。
クロダ:Genius P.J'sはなんとか20周年を迎えられたんですけど、20年やるぞっていう気持ちはなくて続けていたらこうなった感じなんですけど、根岸さんはそれよりももっと長く音楽をされているんですよね。音楽に対して、離れたいと思ったことはありますか。
根岸:やっぱり30歳になるときの、社会的な不安は大きかったですね。このままスタジオミュージシャンをやっていて将来ご飯を食べられるのかなっていう恐怖にかられて。あとは3、4年前にもあったんですけど、「若い才能がいっぱい出てきたし俺はもう用無しだろうな」って思うときもあったんです。自分にはもう新しいことはできないんじゃないか、音楽業界にいなくてもいいんじゃないかって。今は、20代のころみたいに、「俺は世界進出してやるぜ」ってところまではいかないけれど、がんばって海外の人ともコラボレーションして仕事ができればいいなという欲が戻ってきています。あと、いまベーシストシーズンなんですよ。
クロダ:プレイヤーとしての熱がある時期なんですね。
根岸:そう。ベースのことを考えているのがすごく楽しくて!今日もザ・クルセイダーズを聴きながら来ました。ザ・クルセイダーズのサックスプレイヤーであるウィルトン・フェルダーはベースプレイヤーでもあって、ジャクソン5の「ABC」とか「I Want You Back」のベースを弾いている人なんですよ。最近は、その人が70年代に参加していたアルバムをいろいろ聴いているんです。70年代のディスコブーム直前のストリングスアレンジってものすごくよくできていて、そのころの音を今の音楽にのせたらって考えると楽しいんですよ。今の音楽って、1つ1つのメロディはいいんだけどそれを詰め込みすぎちゃって、「どこを覚えればいいの?」って感じになっている気がします。もうちょっとうまく整理したいな、と。大ヒットした曲って覚えやすいポイントが必ずあるんです。雰囲気がそれっぽければいいっていうわけじゃなくて、覚えやすいポイントがあって、そこに向かっていいアレンジをしていることを再認識したんですよ。そこを知っているかどうかはアレンジャーとして大きな差になるだろう思います。
クロダ:今のモチベーションってなんですかって聞こうと思っていたんですけど、そこにモチベーションの根本があったんですね。
根岸:でもこのまえレコーディングで70年代を意識して弾いたら、「ちょっといなたすぎません?」って言われました。ですよね、って(笑)。良い具合にのせていきたいですね。