友人でもある俳優・半田健人の楽曲提供
──ボッサ・ラウンジ系の「漂流のサブタレニアンズ」をゲルさんとのデュエットにしようと提案したのは…?
M:ワタクシです。最初は「せつないあなた」と同じくオクターブのユニゾンにしようと思ったんだけど、自分の歌入れが終わってからゲルさんにも唄ってほしいと提案させていただきました。東京に帰ってからゲルさんの歌を足したデータを聴かせていただいたら、スケべさが増して非常に良くなっていたわ。浜辺でひたすら男女がイチャついている曲に相応しい仕上がりという感じで。
──エリス・レジーナの名唱でも知られる「せつないあなた」は、ゲルさんがやっていたザ・シロップもカバーしていたそうですね。
M:あれがもともと好きだったもので。ゲルさんが早い段階でリアレンジしたデモをくださって、それがとても良かったし、ゲルさんによる訳詞のハマり具合も秀逸ですし。
──それにしても、ライダー俳優の半田健人さんと支配人に接点があったとは知りませんでしたし、「ガラスの時間」や「裁かれる者たちへ」といった優れた楽曲を書く才能のある方だとも知りませんでした。
M:半田君はもともと音楽家志望で、作曲家か編曲家になりたかったそうです。彼とは10年ほど前に一度お会いしたことがあったんだけど、時は流れて今年の初めに渚ようこさんの追悼ライブを観に行った時に彼も出演していて、偶然再会したんです。終演後の中打ちで「お久しぶりです」と声をかけてくれて。そこで妙に打ち解けて、キノコホテルの実演会に来てくれるようになったわけ。6月に新宿ロフトでやった創業12周年記念の実演会にも来てくれて、その打ち上げで「マリアンヌさん、ソロのレコーディングはいつなんですか?」と訊かれたので「8月に歌入れなのに、全然曲が足りてないんだけど」なんて話を冗談交じりにしたら、「僕が何か提供しましょうか?」と言ってくれて。「裁かれる者たちへ」はもともと半田君のアルバム(『HOMEMADE』)に全く違うアレンジで収録されていた曲で、「ガラスの時間」は完全に書き下ろし。いただいたデモはギターで弾き語りでした。
──「ガラスの時間」は今作の中では割と直球と言うか、他の歌手が唄ってもおかしくないスタンダード性の高いラブソングですね。
M:アレンジはゲルさんからフィリー・ソウル路線をご提案いただいて、お任せしたらとても美しくて完成度の高いものが来たんですけど、ワタクシにはいささか正統派すぎる気がして。歌入れが終わった段階で、自らワンコーラス目だけアレンジを変えさせていただきました。1番が終わって間奏のドラムインするところからゲルさんのアレンジに戻して、メロトロンの音を足してみたり。
──冒頭の「本気じゃなかったのよ/あんな事云ったけど」という歌詞は、素の支配人に近いように思えたのですが。
M:どうかしら。相手にカマをかけてみて玉砕することはしょっちゅうですけども(笑)。「ガラスの時間」の主人公はとてもいじらしい女性で、半田君はワタクシ本来のイメージとは全く異なる女性像を確信犯的にぶつけてきたんだと思います。
──「裁かれる者たちへ」は口琴のとぼけた音がクセになるアレンジで、これも今作ならではの楽曲と言えそうですね。
M:この曲のアプローチについてゲルさんと話していた時、二人してほぼ同時に「口琴じゃないか?」と意見が一致しまして。もうこれは口琴しかない、口琴ありきの曲ってことで(笑)。
──では、だいぶ原曲と様変わりしたわけですね。
M:半田君のオリジナルは山本リンダさん風と言うか…「狙いうち」みたいなアップテンポではないけど、割とド直球の歌謡曲だったので、趣きを変えて、異端っぽさや胡散くささを増していく方向でアレンジを進めました。
──「グッド・バイ」は事前の情報がなければ支配人のオリジナルと見紛うほどの素晴らしいカバーだと感じましたが。
M:あら本当?ピンキーさん(今陽子)が唄ってらっしゃる原曲があまりに完璧なので、比較されるのがイヤで最初は正直気が乗らなかったの。それでも何やかんやと自分なりに落とし所を見つけて唄うことにしたんですけどね。
──何かしらのカバー曲を入れる構想は当初からあったんですか。
M:あったんですけど、キノコホテルでもこれまでさんざんカバーに取り組んできましたし、今さらカバーしたい曲が思いつかなかったんです。ワタクシの性誕祭でも胞子(ファン)の方々からカバーのリクエストを募ってこれまで数十曲は唄っているし、自分の中ではちょっと飽きているところもあって。
──森高千里まで唄い切れば、さすがに食傷気味になりますよね(笑)。
M:そう、「私がオバさんになっても」を新宿ロフトで熱唱できたことでだいぶ気が済んだと言うか、自分の中のカバー欲が一旦結実した気がする。「グッド・バイ」に関しては、サミー(前田)さんがどうしてもと懇願してきてしつこかったので唄うことにしたんだけど(笑)。
クールな「絶海の女」は〈ダブ歌謡〉の進化形
──「グッド・バイ」はアレンジのしがいがある曲でした?
M:ワタクシは電子音やクラビのシーケンス、パーカッションを足した程度で、アレンジはゲルさんにほぼお任せでした。リズムやテンポも原曲を踏襲していて、あえてそれほど冒険はしていないですね。基本的にゲルさんの曲はほぼゲルさんが、ワタクシの曲はほぼワタクシが、半田君の曲は二人でアレンジした感じなの。自分がいかに鍵盤を弾かないかが今回のテーマでもあって、ゲルさんは鍵盤も多少できるので、お任せできるところはゲルさんにお願いしています。
──ソロだからと言って鍵盤のソロを随所で聴かせる感じでもなく、たとえば「脱出」でも効果音のひとつとして音を入れるニュアンスに徹しているように感じましたが。
M:そうですね。ソロのライブでは基本的に自分では弾かないスタイルにしたいの。そもそもキノコホテルでも鍵盤を弾ける従業員が見つからなかったからやむを得ず自分で弾くようになって今に至るわけで、弾きながら唄うスタイルには全く固執していないので。
──曲を書いた人がほぼアレンジまで担うということは、「絶海の女」のひんやりとした感触のレゲエのアプローチは支配人のアイディアだったわけですか。
M:そうです。あれはほぼワタクシのデモのままで、ゲルさんにはギターを入れてもらって、あとは部分的にドラムを生に差し替えていただきました。
──レゲエのリズムを基調とした曲も珍しいですよね。
M:去年、会場限定で出したキノコホテルの音源(『有閑スキャンドール』)の中に「樹海の熱帯」という曲があって、それはルーツ・レゲエのビートを下敷きにした、キノコホテルでは斬新な路線の楽曲なんですが、胞子の皆さんからも評判が良くて。〈ダブ歌謡〉、アリじゃないかと(笑)。そこで目覚めたわけですね。「絶海の女」は「樹海の熱帯」をアップデートした曲と言えるかもしれない。
──レゲエやダブならもっとカラッとした明るい音になりそうなところを、敢えてここまで荒涼たる音にするのがユニークですね。
M:舞台は海、なのにトロピカル感皆無(笑)。こんなに寒々しいレゲエのビートは他にないでしょうし。
──サビで一気に開けて、ちょっとフレンチ・ポップスっぽいメロディが顔をのぞかせるのが支配人らしいようにも思えましたけど。
M:「絶海の女」は歌入れの日程が刻一刻と迫る中で半狂乱になりながら書き上げたもので、自分でも良い曲が書けたと思う。
──〈絶海〉というだけあって、中盤の歌詞にある両眼の描写はだいぶグロテスクですね。流麗なメロディの対比としてそうした展開になるのがまた面白いのですが。
M:「漂流のサブタレニアンズ」でひたすらイチャついていた男女の間に何が起きたのか。気になります。今作の後半、「裁かれる者たちへ」あたりからどんどん不穏な感じになっていくのが個人的には面白いと思っているの。衝撃のラストに向けて進んでいく感じで。
──こうして見てくると、今作がソロならではの新たなトライアルを実践した意欲作であることが如実に窺えますね。
M:こう言うのもなんだけれども、今作は自分が本格的にソロに向かう前の準備段階みたいな感じもあるんです。次にまたソロ名義の作品を出せるのであれば、コンセプトも含めて今作とは全く違うものになると思います。キノコホテルが安心して1年くらい休めるような環境が整えばベストなんだけど、まぁ諸般の事情でそうもいきませんので。これまで常にバンドの活動を優先するしかなかったし、1年休んでもきちんと胞子の方々が待っていてくれる手応えを感じなければソロはあり得ないという気持ちがどうしてもあった。今回はゲルさんや半田君の力を借りて何とか形にできましたけど、いつか自分だけの力でじっくりとソロ・アルバムを作ってみたい気持ちはありますね。
──なるほど。ちなみに「MOOD ADJUSTER」をそのままアルバムのタイトルにしたのは、あの曲が群を抜いて秀でていたからですか。
M:キノコホテルでは基本的に英題を使用しないので、分かりやすく差別化、という意図もあります。
──だけど言い得て妙なタイトルだと思うんですよ。変幻自在にムードを変えるような多彩な楽曲が揃っているという意味で。
M:確かにそんなふうにも取れるかもしれない。〈ムード〉はもともと好きなワードで、過去のキノコホテルのインタビューでも、歌詞の意味や意図を訊かれるたびに「理屈よりもムード」と答えてきた気がするの。今回はたまたまゲルさんが提示してくれた〈MOOD ADJUSTER〉というワードがいろんな意味で合ったんでしょうね。
──今作はアートワークも美麗で、ジャケットには伝説のヴィンテージ・シンセサイザーとして知られるアープ・オデッセイが全面的にフィーチャーされていますね。
M:その辺の機材選びはアートディレクターの常盤響さんにお願いしたんです。あの方はその手の貴重な機材をいろいろと所蔵されていて、撮影の日にわざわざ持ち込んでくださいました。