社会はなぜこんなにも不寛容になってしまったのだろうか。「自己責任」「生産性」「迷惑」などといった言葉が暴走し、また誰かが傷つく。人と人が傷つけ合い、心を擦り減らしていく社会に希望はあるのだろうか。3年前、相模原の障害者施設で起きた殺傷事件もこの不寛容な社会が生んでしまった結果だろう。「障害者は不幸しか作らない」という発想に至る原因は事件を起こした植松被告だけでなく、この社会の在り方にもあるのではないだろうか。
その真相に迫るべく10月14日(月)ロフトプラスワンで相模原障害者殺傷事件を巡るイベントが開催される。その開催を前に、植松被告と何度も接見や手紙のやり取りをしている月刊『創』編集長の篠田博之氏と、元参院議員で視覚障害を持つ堀利和氏、映画「生きるのに理由はいるの?」制作者の澤則雄氏の3人による、相模原事件をテーマにしたイベントで語られた植松被告を巡る議論の内容の一部を紹介したいと思う。[構成:宮原塁(LOFT/PLUS ONE)]
植松被告はなぜ残忍な行為に及んだのか
堀:彼は大学時代に刺青をしていて美容整形もしている。簡単に言えば彼の中に深いコンプレックス、劣等感があるのではないかと思っている。自分の弱さ醜さ、コンプレックスと自覚せざるを得ない状態で、強くなりたい、イケメンになりたいという想いが彼にあったと思う。その中で彼にとって刺青は美であり強さでもある。植松被告に刺青が発覚した時、やまゆり園の理事長や上司が辞めさせるかどうするか考えた。結果的にはやめさせない方向になったが、これは彼にとって非常に屈辱感です。自分も障害者にさせられてしまったと感じた。そこで目の前にいる重度の障害者を抹殺することによって強者になろうとしたのではないかと思います。その中でも3段階に分けて変化している。特に衆院議長公邸に出したあの手紙を重視しています。まず1段階目に車いすに一生縛られて気の毒な利用者を可哀そうと彼は思う、と同時に職員は精気のない目をして、かつ親は疲れ切っていると感じている。彼は素直にそれを受け入れてやまゆり園の風景を見ている。ここにはそういう第1段階がある。第2段階になると、障害者は不幸を作ることしかできませんという考え方になってしまっている。障害者という人間が自分に対して、あるいは健常者に対して、社会に対して迷惑な存在というかなりの飛躍をしている。ただ3段階目になるとパッと変わるんです。日本経済のためだとか世界革命という言葉を口にするようになる。第1、2段階の個人的なレベルから一気に世界平和だとか人類のためだとかいう言葉で自分の考えを合理化していく。これは彼の歪んだ思想、歪んだ正義感がそうさせた。単なる精神異常とはちょっと違う。私は彼を思想障害者として見ている。彼は健全ではなくて彼が持った思想が障害なんだと。
マスコミ報道の限界
澤:事件から今日までの中で、マスコミ報道ではヒトラーの思想が下りてきたということが非常に大きく取り上げられた。マスコミが植松被告をモンスターのようにつくりあげているように。植松被告の近々の状況を知っている者とマスコミや多くの世間一般の人々とでは、彼についての隔たりがあると思うのですがこの現状に対してどう思いますか。
篠田:マスコミを一括りにしてしまうのも良くないけれど、一言で言ってしまうと新聞やテレビにとっては、スイッチを入れれば嫌でも情報が入ってくる。その中で植松被告の思想を紹介してしまうのは限界がある。ニュースにするだけでも差別の助長って言って批判が来るから。雑誌っていうのは少し踏み込んで伝えることができる。ここまで植松被告と親しく近づけたのも踏み込んで伝えることができることが大きな理由です。もちろん肯定的ではなくて批判をしています。他の多くのマスコミは事件から3年経っても、もちろん変わっていない。やはり限界がある。でもそれでいて1周年、2周年というときだけ報道する。セレモニーみたいに。
澤:まるで記念日ですね。
篠田:それでそのあとパタって報道がなくなるんですよ。これはちょっといくらなんでも酷いでしょ。という気持ちは今も変わっていない。記念日の時だけマスコミは大騒ぎ。そういう批判はいっぱいある。だから市民の立場からしてみればメディアリテラシーを持って事件の現状を知って欲しいかな。来年の初公判の裁判は大変大きな報道になる。そこでマスコミには頑張って欲しいなと思います。
澤:実は僕、ほぼ30年間テレビの世界の人間だったので偉そうなことは言えないけど、テレビの世界を肌で感じていますから彼の言っていることはテレビに載せられないなと思いました。
篠田:私が出した『開けられたパンドラの箱』の本でも批判が来る。「植松の言葉を本にしやがって」という。でも、聞くとほとんど本を読んでいない。「読むわけねえだろ馬鹿野郎」って返ってくるんです。これはなかなか克服するのは大変です。読む前から植松被告の発言を紹介したってだけで批判がくる。そういう現実になっている。
澤:今度マスコミは頑張ってほしいって言っていましたけど、初公判のなかで、植松被告の考えがテレビに載るだろうかって思うとテレビの制約はもっと厳しいのではと思っています。
事件から3年経つ今、植松被告の中で起こる変化とは
澤:僕は3通の手紙をやり取りして1回だけ接見することができました。植松被告に接見したことを周りに言うと「印象はどうだった」って聞かれるんだけど、非常に礼儀正しく誰に対しても生真面目で気弱、それでいてすらっと話しをする好青年だった。その時に感じたのは彼に後悔の念は感じなかった。むしろさわやかのような達成感があった。高揚していたのではないかなと思います。
堀:篠田さんの記事でもあった植松被告が変わってきたっていうのは、一般的な拘禁症状から出てくるものなのか、それとも自分の主張がマスコミや人々に理解されない、同調してくれないことに対しての悲壮感で変わってきたものなのでしょうか。
篠田:これは微妙ですが、多分彼は犯行に及ぶ前にいろんな人に考えを主張している。職員にも友達にも。でも皆それは間違っていると思っている。周りが反対しているんだけど彼は法律があるからという考えで、内心は支持者はもっといると主観的に解釈して、自分はある程度受け入れられると考えている。これは割と初期の段階。たぶん核心については変わらない。それはいろんな凶悪犯と接してきて感じる。自分のやってきたことを否定することは全否定になるから。だからそこはそれなりに覚悟を持って、ある意味命がけで犯行に及んでいる。犯行そのものを否定しだすと心のよりどころがなくなっていく。どのみち死刑だとしても自分のやったことについて最後まで肯定して自分を鼓舞しないと、拘置所で生きている意味自体なくなってくる。だから植松被告は最後までそこは譲らないと思う。先ほど堀さんが言っていたコンプレックスも一つのキーワードとしていて、彼の中の超人思想があるんです。超人に憧れる。ここをしっかり分析しなきゃいけない。
澤:これから初公判が始まろうとしているわけですけども、彼からもらった手紙の中には「死」という言葉が書いてある。彼は自分の死、死刑を下されるということについてどこまで理解して考えているのでしょうか。
篠田:ここの問題は植松被告が自分の「死」についてどう考えているのかについて微妙で、最近の接見では自分が死刑判決を出されても仕方ないって言い方なんです。事件を起こした当初はそこまで考えていなかった。だんだん周りの話を聞いて、それは仕方がないっていうようになっている。ここは彼の変化に関わってきている。自分が死刑になるっていうのが自覚されつつある。だから彼の中にどういう影響があるのか気になるところ。だんだん受け入れている感じがします。
—10月に行われるイベントでは篠田氏、堀氏、澤氏の他に映画「こんな夜更けにバナナかよ」の原作者である渡辺一史氏と精神科医である高岡健氏をゲストにお招きし、社会がもたらしたこの事件真相にまた一つ足を踏み入れる。