映画を作るプレッシャーでドツボにはまった
──ツアー中、撮影する意識に変化は出てきましたか?
神谷:映画にしたいとか具体的な発想は浮かばなかったんですけど、どんどんどんどん…。なんだろう、やっぱり撮らねば! って思いが強くなったのかな。スイッチの入れ方が街ごとに違ってきて、その街に合わせてスイッチの入れ方みたいなのを、だんだん考えていくようになっていった気がします。
──あぁ、なるほど。GEZANを撮るのはもちろんだけど、街やそこに暮らす人も意識していったんですね。
神谷:たぶんそうなんだと思います。それが…、その〈違い〉が自分に投げかけられてくるような…。いろんな出会い、街で見たことが、自分に向かって問うてくるような感じになっていって。
──まず最初の、LAでのライブはメチャメチャ楽しそうで。
神谷:メチャメチャ楽しかったです。興奮しました。
──LAでは民家でのライブ、いわゆるハウスショウで凄く盛り上がって。次の場所、サンタクルーズではLGBTのコミュニティハウスでライブ。楽しんでるんだけど、こう、聴き入ってる感じなんですよね、お客さんは。
神谷:そうなんですよね。ホント不思議ですよね。その場所によって、そこにいる人によって、響き方というか、響くものが全然違うんです。衝撃でしたね。同じ言葉、同じ曲であっても伝わり方違うってことに。身をもって感じました。
──それは可能性ですよね。
神谷:そう。音楽の可能性。ワーッてグシャグシャになることもあれば、一人一人で受け止めていることもある。もちろんどっちがいい悪いとかじゃなく、音楽の可能性ですよね。それで…、ライブを観ながら泣いてる人もいたんです。すると、なぜ泣いてるのか、その人の、その場所の背景というか、アメリカではそういうことも考えさせられました。まぁ、わからないんですけどね。LGBTのことも人種間のことも、僕にはわからない。わからないから考えさせられて。
──バークレーではFUGAZI、MDC、GREEN DAY、RANCIDなども出演したライブハウス、924Gilman streetでライブ。
神谷:もう殿堂みたいなとこで。興奮しましたね。
──パンクの在り方みたいなエピソードもあって。ポートランドでは、かつてはスラム街だったという場所でライブ。そこでスケーターの人の言葉が、その後の出来事に繋がっていく。
神谷:さっき言ったショーンの言葉で。さらに予想してないような出会いが待っていて。
──ネイティブ・アメリカンの人たちが暮らす街での出会いが映画の軸となっていきますよね。で、ネイティブ・アメリカンのハウスから出てきた時、画面が真っ白になりますよね。あの場面、とても印象的で。とても良かった。
神谷:あ、良かった〜。あれは単純に、話を聞いてうわぁってなって、そのままカメラの絞りを変えずに外に出ちゃったんです。それであんな画面になって(笑)。
──でもそのまま活かした。
神谷:はい。その前に、ネイティブ・アメリカンの人らからウランや核の話もしてるし。
──うんうん。あと本当に混乱してる心の様子も伝わる。
神谷:そこでの話はなかなかきつかったです。ネイティブ・アメリカンの人らは「白人はNO」ってことをずっと言ってた。編集で短くしてるんですけど、もっとずっと言っていて。相当根深いんやな。悲しみ、怒り…。でも僕にはわからないし。知らなすぎました。
神谷:みんな相当食らってたと思います。マヒトとは長い付き合いだけど、あんなに食らってるマヒトを見たのは初めてだし。みんな初めて見るような表情だった。まぁ、僕も共倒れするんですけどね(笑)。
──帰国後の、メチャメチャ食らってる神谷さんが登場します(笑)。あのシーンがあるからこそ、観てる人も自分のこととして考えられる。
神谷:ただまぁ、あの汚い部屋は誰も共感できないでしょうけど(笑)。今はキレイですよ(笑)。何も手がつけられない状態になっていたんです。映画を作るプレッシャーなんですけど。そのプレッシャーって「作っていいのか?」っていう。「あの人らの言ってたことを、かいつまんで編集していいのか?」って。「あの人らの話は聞いても、俺はなんもわかってないじゃん」って。どんどんどんどんドツボにはまっていって。
──どう超えていきました?
神谷:みんな心配してくれてましたし、部屋に訪ねて来てくれて。なんとか立ち上がって…。マヒトが「なかったことにはできないじゃん」って言っていて。その言葉も大きかった。それでなんとか前に進まなきゃって。
いろんな人の〈可能性についてのフィルム〉
──神谷さんから見てツアーの後、GEZANは変わりました?
神谷:ツアーの前とは単純に全然違うと思います。音楽も変わってきてるし。『Silence Will Speak』の曲は日本で作ってた曲だけど、ツアーの後のレコーディングの時には全然違ってきてたし。凄い驚きました。ライブも変わった。言葉にしてもね、映画の中のライブのシーンを観ていただきたいんですが、ツアーの後の『全感覚祭』でのMCは、言葉に肉体が伴っているっていうか。全然変化してるなって思いました。
──『全感覚祭』の映像、いいですよね。
神谷:5回目になる2018年の『全感覚祭』。アメリカ・ツアーの半年後ですね。『全感覚祭』は、知らない人にとっては多くのフェスの一つに過ぎないだろうけど、それをどう見せるか。『全感覚祭』は投げ銭なんです。払える額って10代と40代とでは違うでしょうし、一人一人で違う。自分の生活と照らし合わせながら、フェスに対して各々自分で価値を考えられる。そうすることによって、見え方の違うフェスになっているんじゃないかって思っていて。だからけっこう、お客さんをメインで撮ってるんです。
── 一人一人の意思がフェスを作ってるんだから、その姿を撮ろうと。
神谷:そうです。僕が見た『全感覚祭』というか、僕にはこう見えたんです。一人一人の違う人が、そこに大勢いるっていう。
──ツアーの後、神谷さんは変わりました?
神谷:アメリカに行って、自分は知らなすぎたってことを実感したんですけど、実は差別は日本でもあることなんですよね。アメリカだけの話じゃない。自分が目を向けてなかっただけ。僕自身、無意識のうちに誰かを傷つけてるかもしれない。だから友だちとの付き合い一つにしても、一つ一つとちゃんと付き合っていきたいって思うようになりました。目を逸らさずに。
──では最後に。この映画、どう届いてほしいですか?
神谷:僕は『Tribe Called Discord』は、いろんな人の〈可能性についてのフィルム〉って思っていて。僕の可能性っていうのはたかが知れてるかもしれんし、やれることって限られてるけど、でも、いろんな人に観てもらって、一人一人の中でいろいろ膨らませていって。そしたら可能性がどんどん大きく広がっていく。そうなったらいいなって思ってます。
──神谷さんの将来は? もちろんこれからもGEZANを撮り続けるんですよね?
神谷:一度、映像はやめようと思ったことがあるんですけど、今は続けていくって思ってます。GEZANはずっと撮り続けたいし、他のバンドの撮影もしていきたいし。将来はストーリーものの映画を撮りたいんです。青春モノを(笑)。