ギャグ漫画家として活躍をする漫画家・相原コージ。『Weekly漫画アクション(現:漫画アクション)』に持ち込みした作品をきっかけに漫画家としてデビュー。そして、今年2018年に漫画家生活35周年を迎え、周年記念イベントを7月4日(水)阿佐ヶ谷ロフトAにて開催決定! まだ、相原コージを知らない人にどんな人物で、どんな作品が好きなのかを知ってもらう為の初心者向けインタビューとして、相原コージ先生に直撃インタビュー!【interview:おくはらしおり(阿佐ヶ谷ロフトA)】
ロフト系列への出演
----LOFT系列へのご出演は2013年『Z〜ゼット~』発売&画業30周年記念イベント以来ですね!
相原:そうですね。その時は、漫画家の三家本礼さん、羽生生純くん、河合克夫さん、映画監督の西村喜廣さんと、新宿ロフトプラスワンでやりました。35周年イベントの阿佐ヶ谷ロフトAは初めてなので、楽しみにしてます。今回、企画らしい企画もないから大丈夫なのかな? って...。(笑)
----大丈夫ですよ!(断言)
相原:本当に話だけのイベントになっちゃうけど...大丈夫?(笑)
----相原先生のお話をたくさんお伺いしたいので、大丈夫ですよ!(笑)
「マンガの描き方」から学ぶ漫画家生活
----相原先生が漫画家を目指したきっかけはなんですか?
相原:結構、子供の頃から"漫画家になりたいな"って思ってたんですよね。絵を描くのが好きで。出身が北海道なんですけど、漫画家さんでも北海道出身の方って多くって、冬の間なんにもすることがなくって漫画を描いていたって人は結構いるからね。でも、僕の住んでいた登別っていうところは海があって、山があって、川があって、っていう環境だったので結構外でも遊んでて。ずっとこもって漫画ばかり描いてたら、もう少しうまくなってたかもしれないんだけど(苦笑)。漫画家も今の時代よりも多分、憧れの職業...だったんですけど、そうでもないかな?(笑)
----いやいやいや! 今でも十分憧れの職業ですよ。
相原:そうかな。当時の漫画好きな子、絵描くのが好きな子は"本当に漫画家になりたい!"って思っている人は結構多かったと思うんだよね。今みたいに情報も多くはなかったから漫画家界のネガティブな情報も入ってこなかったし。直接的なきっかけは、手塚治虫の『マンガの描き方』かな。その本を読んでリアルに"漫画家になりたいな"って。
----手塚先生がきっかけだったんですね! 相原先生の作品『サルまん』は、手塚先生の『マンガの描き方』が影響されているのかな? と思ったのですが...。
相原:あ~、それはあるでしょうね! 当時の人は、石ノ森章太郎先生の『マンガ家入門』か、『マンガの描き方』のどっちかで漫画家を目指す人が多かったんじゃないかな? 僕は完全に『マンガの描き方』がきっかけでしたね。『サルまん』はいわゆるマンガ入門書のパロディがやりたくて描いた作品なので、原点として『マンガの描き方』は影響してると思います。その本を読んでからじゃないかな? ちゃんと漫画を描きはじめたのは。それまでは鉛筆でノートに落書き程度のものしか描いてなかったから。
実はストーリー漫画を描きたかった?!
----当時から、主人公を決めて物語性の高い作品を描く! というよりは4コマ、ギャグを描く、といった感じだったんですか?
相原:いやいやいや! 小学生の頃は物語が書けないから4コマを描いていたようなもんで、富士山に登ったら山自体が怪獣だったとか「ワー!フジサンダーだ!助けてー」「ガオー」みたいなくだらない内容で。もちろん小学校からスゴイ作品を描いている人はいるんですけど、僕は描けなかったんで。代表作『コージ苑』も4コマなんですけど...。もともとは4コマ志向がなかったんですよ。
----え?! そうなんですか?!
相原:そうそう。もともとはね。ストーリー漫画を描きたくって。高校時代に描いていたのもストーリー漫画。はじめて漫画をちゃんと描いたのは高校生の頃かな? ひょっとしたら遅いかもしれないんですけど。
----わたしの中では"相原コージ=ギャグ、4コマ漫画の人"っていう人物像が出来上がってしまっていたので、とってもびっくりしました! ただ、『Z-ゼット―』で初めて主人公・凛子がいて、2巻からは物語があって、というのを感じてストーリー漫画を描くんだ! という印象を受けて衝撃だったんです。
相原:そうじゃなかったんですよね~(笑)。最初は完全オリジナルのストーリー漫画。中二病みたいな内容だったけど、そこから江戸川乱歩とか夢野久作の作品をコミカライズした作品を描いてみたりしてましたね。当時、ギャグっぽいものは内輪受けみたいなものをちょっと描いたぐらい。
----いつ頃からギャグ漫画作品を描くようになったんですか?
相原:マンガ専攻科のある専門学校へ通って、卒業制作で描いた作品を持ち込んでデビューをするんですけど、その作品がたまたま結構ギャグっぽかったんだよね。でも、その後に"俺は本当はこっちじゃなくって、こういうのが書きたいんだ!"って二回目に持って行った、少年が自殺するようなド深刻なストーリー漫画の作品が全然ダメで、ボツだったんですよね。それで、"こっちじゃダメなんだ"って思い、どんどんギャグ漫画を書くようになったんですよね。山上たつひこさんわかります? 『がきデカ』とかの。『がきデカ』はとにかく僕の中で大きいんですよ。小学校の中学年の頃に連載が始まって、赤塚不二夫的なものがギャグ漫画だと思ってたのに『がきデカ』は信号的ではないリアルな肉体を持つキャラが、リズムのいい下品なギャグをやってて、その面白さにハマったんです。僕とか吉田戦車とか中川いさみとか松本人志とか、同世代なんですよね。ここの世代でお笑いの一時代を担った人が多い、というのは「THE MANZAI」とかの漫才ブームなんだと思うんだよね。中学高校でまったく新しい形のお笑い、漫才のニューウエーブが出てきた。それが面白くって、衝撃的で、その当時のギャグ、漫才っていうのはパンクだったんですよね! "うわ、カッコイイ!!!!"っていう。"お笑いで社会の常識を壊していくんだ!"っていうのがビシビシ伝わって来て。その辺の世代でお笑いをしている人たちは影響を受けてるんじゃないかな? って思います。
―4コマギャグ漫画家の誕生
----なるほど。だから、相原さんのギャグ漫画は熱いロックな部分を感じるんですね。なんだか、納得しました。
相原:そうなんですかね。なんかに感染しちゃったんですよね。ただ単に"笑える! 面白い!"ではなくって...本当に衝撃だったんですよね。でも、1番大きいのはなんといっても専門学生の頃、18歳くらいの頃に出会ったいがらしみきおさん。4コマを描き始めたのはいがらしさんの影響なんですよ。
----え?! そうなんですか!
相原:もう、衝撃だったんですよ?! 4コマって、それまでは新聞とか大人の週刊誌で見るくらいのヌルイ古いもので、いしいひさいちさんが出てきて革命を起こしたりしてたんだけど、実は僕はそんなに読んでなかったの。だから、いがらしさんの4コマの過激さ、斬新さにビックリして、ドハマリしたんです。死ぬほど笑って(笑)。
----いがらしみきおさんって『ぼのぼの』のいがらし先生ですよね?
相原:そう!(笑) 『ぼのぼの』は単にラッコがカワイー、ナゴムーという作品じゃないんですよ。実は過激な作品なの。『ぼのぼの』は、その前までの過激な4コマがどんどんすごい所までいって、それがいきついた作品が"これか!"って...。ラッコが川を流れて石にぶつかって向き変えて流れていくだけ、ただ、それだけとか。あれはすごいことだったんですよ? 今まであんな漫画なかったんだから。最初は反道徳とかタブー破りとか、人間の業の過激な作品が多かったのにどんどんシュールな作品が増えてきて、この人は一体どこまでいくんだろう? って感じをリアルタイムで見てました。そして、いき尽く果てがかわいいラッコだったってこと自体がまた過激だったんです。あとは、漫画でいうと"ニューウェーブ"。わかりやすい人だと大友克洋さん。絵もそうだし、内容もそう。今までの漫画の文法と全く違う作品なんですよね。鼻の穴を書いたり、鼻もひくかったり。描き方もそうだし、ストーリーも特になかったりとか、漫画の新しい表現をどんどんしてた。他にもニューウェーブっていう人達がたくさん出てきて、テクノの影響を受けたような作品もあったし、いわゆる"ヘタウマ"っていう人達もそうだし。そういう人達にもすごく影響を受けましたね。