転がる石に苔は生えずとも浅い傷は絶えず
──アルバムの話に戻りますが、「庄屋の倉」をインストゥルメンタルにしたのはどんな意図があったんですか。
水戸:澄ちゃんに「カズーの入ったインストを1曲入れようよ」と言われてね。アルバムの真ん中辺りにジングルっぽく入れようって。それで1曲何かをインストでセルフカバーするのは意表を突いてていいなと思って、どの曲がハマるかを探してみたわけ。その結果、いろんな意味で「庄屋の倉」がちょうどいいと思って。あまりマニアックすぎても伝わらないし、みなさんが思い入れの強い曲を選んじゃうと「ちゃんとやってほしかった」と言われそうだし(笑)、手ごろ感があったというか。もともと8ビートの速い曲だから最初はできるかな? と思ったけど、上手いことまとまったね。
──たしかに意表は突かれましたけど、こうしたアレンジでも原曲のイメージを損なうことがないのが面白いところですよね。
水戸:面白いね。シンプルなロックンロール系の曲はアコースティックでもやりやすいし、アレンジを変えても原曲が壊れない。ブギーに変えた「腹々時計」もそうだしね。
──本作では唯一の新曲となる「浅い傷」がまたいい歌なんですよね。「転がる石であれという 歌を真にうけそのまんま生きてきた」と水戸さんの唄い手としての歩みを総括するような歌詞で。
水戸:30年分の総括をした歌にしてはだいぶしょぼくれてるけどね(笑)。「浅い傷」は出だしの歌詞に尽きるんだよ。“A rolling stones gathers no moss”、「転がる石に苔むさず」というね。中学生の頃にそんな言葉を覚えて、外国にはなんて格好いい諺があるんだと思った。ストーンズもバンド名に使っていたし、とても説得力があってホントに心に沁みた言葉だったんだよ。
──苔がむさない代わりに、転がるたびに浅い傷が絶えずできるという歌詞もすごく説得力がありますね。
水戸:ミュージシャンだけじゃなく、フリーで仕事をしているすべての人に賛同してもらえると思うよ(笑)。20代、30代まではまだ傷ついてることを気にしないけど、40代になると「思ってたのとちょっと違うぞ!?」と感じるようになる。苔は生えずに済むけどだいぶボロボロだなってことに気づくし、あの諺は正しかったのか!? ってふと思ったりする(笑)。
──「私が愛した人たち」「欠陥ばかりの私のことを奇特に愛してくれた人たち」という歌詞は永く応援し続けてくれるファンに向けたものですか。
水戸:いまだに応援してくれる人たちはもちろん、かつて応援してくれた人たちにも向けたつもり。この30年のあいだにライブに来なくなった人たちも相当いるからね。もし全員集めたら、ちょっとした市町村にはなるんじゃないかな(笑)。そういうファンも然り、これまで一緒にやってきたミュージシャン、違うバンドでも同じライブハウスで関わってきたミュージシャンのことも意識して歌詞にしてみた。
──繰り返し唄われる「また浅い傷」の「また」がポイントだと思うんです。傷は絶えないけど「また」があるということは生きていることの証だし、とても前向きな言葉だなと思って。
水戸:そうだね。浅い傷ばかりできて損したなという歌ではないんだよ。転がったぶんだけ面白いこともできたし、どっちにしたってこれからも変わらず生きていこうって歌でもある。ただ、成功者の歌ではないよね(笑)。俺がもしB'zくらい成功していたらこういう歌はつくってないだろうし(笑)。
──ただ、地に足を着けて一歩ずつ歩いてきた人の歌ではありますよね。
水戸:地に足を着けて歩くつもりもなかったんだけどね(笑)。イヤでもそうなっちゃった。ホントはみなさんの手の届かないところをピューッと飛んでいくくらいのスター路線で行くつもりだったのに、びっくりするくらい地に足が着いちゃったね(笑)。
──水戸さんのキャリアのなかで「深い傷」を挙げるとすれば、どんなことになるでしょう?
水戸:致命傷があればとっくにやめてるわけで、浅い傷で済むように避けてきた気はする。アンジーを解散させたのが1992年、俺が30歳になった年なんだよね。それからエレカマニアがあって、解散して…30代後半の5年間くらいは試行錯誤というか、方向性の定まらない時期があった。その模索していた頃はアンジーを解散させたことが深い傷だったのかな? と思っていたんだけど、3-10 chainを結成して40代になって、腰が据わってきた頃には言うほど深い傷じゃなかったなと思うようになった。あれはあれで必然だったし、必然である以上は深い傷じゃないなって。
──過去の見方の下方修正ができたと。
水戸:うん。ちょうど3-10 chainが自分の思うようにやれてきた頃で、もしアンジーを続けていたとしても、その時点で自分が現実としてやっていた3-10 chainには勝てないと思ったんだよね。そう思えるようになったときから過去の見え方が変わった。前より多少上手に唄えるようになったし、歌詞の書き方もだいぶ極めてきたし、自信がついてきたことが大きかったんだろうね。そうなると、20代の頃に唄い残した歌が物足りなく思えてくる。いまならもっと上手く唄えるのにと思う。むかしの歌を聴いて、そう思えないうちはまだ未熟なんだよね。むかしの歌が子どもに見えるくらいにならないと成長したとは言えないんじゃないかな。そういうことを感じ始めたのは40歳になってからだったね。いま思えば30代はまだ未練があったというか、何かを取り戻そうとしていた気がする。そうじゃなくて、また新たに何かを掴んでいくんだと思ったのが40代だった。
ライブという現場で唄えば常にいまの歌になる
──50代のいまはどんな心境なんですか。
水戸:高くジャンプできないとか体力の回復が遅いとかできなくなることはあるんだけど(笑)、歳をとったからこそできるようになったこともいっぱいあるんだよね。20代、30代の頃はこんな感じでは唄えなかったなっていうのもあるし、歳をとることは悪くないと思ってる。
──水戸さんが22歳の頃に発表した、本作のなかで一番古いナンバー「見事な夜」でアルバムを締める構成は意図したところがあるんですか。
水戸:曲の古い、新しいは録っている最中に特に考えなかったな。どの曲も新鮮なものとして録っていたので。さっき話した「銀の腕時計」の大変さを除けば、どれもいまの曲として唄えたね。曲順は曲の性格で決めたし、「見事な夜」はどうしたって最後になるよなと思って。そいつの打順だけは最初から決まっちゃってるっていう(笑)。ライブでも1曲目にやることはまずないし、最初にやったことは多分一度もないと思う。必ず本編の最後かアンコールの最後だから、アルバムでも自然とその位置になるよね。
──オムニバス・アルバム『JUMPING JAM / REBEL STREET III』はアンジーの音源として最古参の部類で、そこに収録されていた「見事な夜」との対比も面白いし、34年を経てここまでロマンティックなバラードとして蘇生させたことが水戸さんの50代ならではの優れた手腕だと思うんですよね。
水戸:「見事な夜」の原曲は速くて、それは作曲者であるブースカ(中谷信行)のこだわりだったんだよね。『窓の口笛吹き』で初めてスタジオ録音したんだけど、そのときに「これはバラードじゃない?」って俺が言ったわけ。速い曲じゃなく、バラードに近い形でじっくり聴ける曲にしたほうがいいって。でもブースカには速い曲としてつくったこだわりがあったので、結果的に『窓の口笛吹き』の「見事な夜」はその折衷案みたいなテンポになった。それを今回は俺がもともと目指していたテンポに落としてみたんだよ。歌に歴史ありだね。
──そう考えると、水戸さんは同じ曲を何回かレコーディングすることに抵抗のない唄い手なんですね。
水戸:俺は周期的に曲を最初の形に戻すんだよ。自分は歌手だからそんなに演奏形態にこだわらないし、極論を言えば唄えさえすればいい。だからわりと平気でアレンジを変えたりする。その流れのなかで曲を最初の形に戻してみることが多いね。20年近く『ウタノコリ』をやってきているのもあるんだろうけど、その辺が他のミュージシャンとは違うところなのかもしれない。人によっては解散した前のバンドの曲は絶対に唄わないとかあるけど、俺にはそういうこだわりがないから。それは多分、自分が歌手だからなんだと思う。歌は唄われて初めて歌だから、唄わないと可哀想なんだよ。仮にこれがすごく売れた歌で、俺以外の誰かが代わりに唄っているならいいけど、俺の歌は俺が唄わないと誰も唄ってくれないからね(笑)。俺自身はアンジー時代の歌でもこだわりなく唄うモチベーションがあるし、いざ唄ってみるといまの歌として表現できる。ライブという現場で唄えば、それは常にいまの歌になるんだよね。歌を唄うことはその瞬間の記録だし、だから同じ曲を2回、3回とレコーディングすることにも抵抗がないんだと思う。
──ミュージシャン、バンドマンという肩書きよりも「歌手」という意識がやはり強いですか。
水戸:歌手としか言いようがないね。たとえなんちゃって歌手だとしても(笑)。確定申告の職業欄には一応「音楽家」と書くけど、俺は言うほどミュージシャンらしくないしなぁ…って思うしね。長いことやってるからミュージシャンとしての知識は素人に比べて最低限あるけど、演奏とかプロデュースは俺以外の得意な人、才能のある人に任せればいいと思ってる。ずっとバンドでやってきたからそう思うのかな。自分に向いてないことに時間を取られるよりも、自分の得意なことに集中したほうがいいしね。
──30年以上に及ぶ水戸さんの歌手としての歩み、成長の跡と円熟味を聴かせられる意味でも、今回の『ウタノコリ』という作品はとても重要な意味を持つアルバムだと言えそうですね。
水戸:30周年のときには『ウタノコリ』のアルバムを出したいと5年前から思っていたのは、まさにそういう部分。アコースティック・スタイルでこれまでのレパートリーを唄うアルバムをつくることがこの30年のキャリアを一番伝えられると思っていたからね。
──この調子なら歌手・水戸華之介はまだまだ進化していけそうですね。
水戸:うん。そこがアスリートと違って歌手やミュージシャンのいいところでね。辛うじてでも声の出る限りはその時々の歌を模索できるし、ずっと極め続けられる。アスリートはどこかで絶対に限界が来るけど、俺たちにそれはないから。あの山本昌だって50歳で現役を引退したし、キング・カズ(三浦知良)は50歳を超えても現役を続行していて頑張ってほしいけど、さすがに還暦を迎える頃には引退すると思うんだよ。でも俺はきっと60歳になっても唄っているはずだし、生きていれば70歳になっても唄い続けていると思う。たとえばボブ・ディランの近年の作品を聴くと、ずっと変則的な唄い方で来ているから声が出なくなっている部分もある。だけど最小限の動きで最大限の効果を生むところが神業なんだよね。ちょっと聴いたら狭いキーの幅のなかでボソボソ唄っているようにしか思えないかもしれないけど、いまのディランにしか唄えない歌を最大限発揮している。歳をとってだんだん喉を痛めて思うように声が出なくなったとしても、それはそれでやりようがあるんだよね。だからまだまだ行けるよ。人生は永遠じゃないってことをここ数年身に沁みて感じるし、ぼんやりしている暇はない。踏み込んだアクセルから足を離さず、ベタ踏みのまま行けるところまで行ってやろうと思うよね。